第七話「混沌」
目前に佇むのは、現実とは思えないほどに朽ちた一軒家だった。欠けた瓦をのせる屋根、剥落したペンキの痕をさらす汚れた壁。
あの先輩がこんな廃墟めいた場所に暮らしているなんて、にわかには信じがたかった。
先輩はこの家で、どんな思いを抱えて日々を重ねてきたのだろう。
ゾンビという彼女の心の底に潜む孤独と苦悩が、今にも崩れそうな建物の隅々にまで刻み込まれているような気がする。
ーー恐る恐るインターホンを押す。しかし応答はない。
冷えた風が首元を撫で、異界への入り口に立っているかのような錯覚を呼び起こす。どこか遠くで、ひぐらしの鳴き声が聞こえた。
諦めかけて帰ろうとすると、古びた玄関のドアが壊れそうな音を立てて少し開いた。
覗いて見ると、散乱したゴミなどが堆積し、足を踏み入れる隙間さえ見当たらない。
「こんなところに……」
思わず漏れた言葉が、混沌とした室内に吸い込まれていく。
崩れかけのダンボール箱、変色したペットボトルやビニール袋、積み上げられた古雑誌が無秩序に重なり、通路を塞いでいた。
「すみません……」
中に入るのは躊躇したが、小さく声を落とし、身を屈めながらゴミの迷路を進んで行く。靴を脱ぐ意味さえ見いだせないほど荒れている。
すると薄汚れた布団と雑多な荷物が無秩序に散らばる一角に、先輩の姿があった。
彼女は座り込み、顔を伏せている。
「朱嶋先輩。大丈夫ですか……?」
僕は彼女の姿を見て、ほっとした。デートの時と同じ、上下ジャージ姿だった。
僕の声にピクリと反応して、ゆっくりと顔を上げた。
「もう……私に幻滅したでしょう? こんなボロボロの家に住んで、部屋は見ての通りのゴミ屋敷……。お洒落にも興味ないし、恋愛映画も苦手だし、可愛いスイーツも嫌い。そのくせ猫まで襲おうとする、頭のおかしい女が私……」
彼女の瞳からは光が失せ、肌は土の色を帯びていた。
本当にゾンビ化が進行しているかのようだ。
人はここまで変わるものかと、受け入れがたい現実がそこにあった。なるべく表情を平静に保ちながら、僕は慎重に彼女の正面に身を置く。乱雑に積まれた本や新聞の束が崩れ、埃が宙を舞い上がる。
「先輩がゾンビになった話を、聞かせていただけませんか?」
思いつきのように言っただけだった。それが彼女の心の深部に触れたのか、肩が震え始める。
声をかけようと身を乗り出したときだった。
――壁が激しく打ち鳴らされ、荒々しい怒声が響く。
「うるせえぞ! 静かにしろ!」
先輩は小さく身を縮め、両手で顔を覆い込むようにうつむいた。
荒波のように壁の向こうから怒りの声が押し寄せる。床が震動し、もろい壁が今にも崩れ落ちそうだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
先輩は震える声で、繰り返し呟くばかりだ。
何が起きているのか、僕には状況が理解できなかった。
不意に先輩が、嘔吐をこらえるように身を折る。突然の変化に戸惑いながら、僕は慌てて彼女の背に手を添えた。
「大丈夫ですか……落ち着いて……」
しかし彼女はこらえきれず、何度も何度も吐き続けた。大きくえずきながら、涙を流しながら。
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