第2話 あなたの猫になります

「それで、妖精の乙女を傷物にした、と」

「言い方」

 異を唱えようとして、ゴミを見るような眼差しに射抜かれ、黒曜は仕方なく押し黙った。

 気がつけば居城の寝室で、側近の彩雅さいがに枕辺から見下ろされていた。

 元々目つきの鋭い部下であるが、目を覚ましてすぐの視界に在るのもとしては精神衛生上よろしくない剣呑な眼差しに、困惑して半身を起こした。

 美しい少女の姿をしているが、寿命の長い地霊である。

 自分よりも年嵩であり、この地の宮仕えも長く、宮内の統括管理を任せている。

 そんな頼りになる部下が、何をもって仮にも主君である己をこのような目で見るのか訝しんだが、差し出された薬湯で思考が晴れて全て悟った。

 経緯を説明した後の、冒頭の発言である。

「私にも、何が何だか……」

 ふむ、と彩雅は腕組みをする。

「まあ、妖精という種族は総じていささか頭がポンチョコリンで、まともには理解が難しい者達ですからなあ」

 言い方、とまた口にしかけて、すんでのところで飲み込んだ。

「人界と接する事が多い種族であるから、我らの感覚では考えが及ばぬのかもしれんな…、ただ」

「ただ、とは」

「確かに見知らぬ乙女であるのだが……知ってるような不可解な感覚はあった」

「それで手を付けなさった、と」

「つけてない。疲労と空腹で、いささか意識が混濁し、菓子と間違えただけだ」

 再びゴミを見るような眼差しを向けられ、黒曜はついと顔を背ける。

「して、その…ロゼッタと言ったか。その者はどうした?」

「我が君がいたく熱烈に抱擁しておりましたので、共に連れ帰りましたぞ」

 言い方、と三度口にしそうになったのを舌の上で留め、黒曜は苦々しく額に手を当てた。

「して、今どこに?」

「客人の間に通し、そこに控えているよう言い置いてあります」

 黒曜は寝台を出て、その部屋へ向かった。

 傍に置くつもりはないが、あの乙女が言ったように、妖精達の王と女王が背後にいるなら、事は慎重に進めねばならない。

 共に、世界に強い影響を持つ存在だ。

 郷里に返すにしても、礼を損なうようなことがあってはならない。

 妖精王に直接の面識はないが、風のフロリンダに口利きを頼めるだろう—―面白がって煽られなければ。

 黒曜は背後に従う彩雅に気どられぬよう、小さく息をもらす。

 妖精とは見た目は可憐で愛くるしい者が多いが、愉楽を優先させるきらいがある。

 智と武を重んじ、誇り高くあれとされる龍族の自分とは、かけ離れた気質だ。

 どこまでも自分に正直に生きる姿勢は、いささかうらやましくもあるが……。

「入るぞ」

 ずいと前に出た彩雅が、言って扉を開ける。

 しかし、そこはもぬけの空だった。

「はて、どこぞに行きおった。さては故郷に帰ったか?気ままなのも、妖精の性ですからなぁ」

 それならそれで、面倒が手っ取り早く片付いて何よりだが、それはない、と黒曜はとっさに思った。

 自らの拠点である地の宮に無意識に張っている感知に引っかかるよりも先に、まだ近くに、あの妖精から漂っていた香りがあると感じた。

 果実と花を、籠いっぱいに詰めて差し出された甘い芳香。

「…何やら、常ならぬ芳ばしい匂いが漂っていますな?美味そうな…」

 はた、と黒曜と彩雅は顔を見合わせる。

 同時に思いついて、厨に足を向けた。

 いつにない賑わいが、扉の外にまで芳ばしい香りと共に漏れ出てている。

「すごーい!フワフワのふかふかにできあがりました!」

 弾んだ妖精の声に、歓声と拍手が上がる。

 彩賀が扉を開け放つと、ロゼッタなる妖精が楽しげに平たい片手鍋を手に、厨人たちとはしゃいでいる。

 こちらに気づくと、厨人たちは飛び上がるように驚いて慌てて畏まり、ロゼッタは大きな目をなお見開いて鍋を置き、嬉しそうに笑った。

「客人の間に居れと申したに、お主は何をやっておるのだ」

「パンケーキを焼いております!」

 溌剌はつらつと返すロゼッタの額に、彩雅が手刀をお見舞いした。

「いたっ!」

 両手で額を抑え、ロゼッタはオロオロと事訳を口にする。

「地の司守さまが、甘い物をご所望だったようなので…お目覚めになったら、召し上がれるようにご用意しようかと…」

「我が君は、お目覚めすぐの食事は粥がお定まりだ」

「パンケーキも美味しいですよ!」

 ロゼッタは、誇らしげに両腕を広げてテーブルに並べられた物を披露した。

「苔桃のジャムと、クロテッドクリームと、マッシュポテトも用意したので、甘いものも塩気のあるものも準備万端です!」

 あまり見慣れたものではないが、どれも美味そうな匂いがする。

「ジャムは、本当なら明日の方が食べ頃ですが、粗熱は取れていますから召し上がって頂けます。ここの皆さんはどなたも手際が良くて、卵の白いところの泡立てもすぐにモコモコできて、フワフワのパンケーキができました!皆さんスゴイです!」

 称えられて顔が緩んだ厨人たちを、彩雅が見据える。

「お主ら、地の君が口になさるものをこしらえる任にありながら、素性のわからぬ娘に場を明け渡すとは、迂闊うかつではないか?」

「申し訳……」

「素性、わからなくありません!ロゼッタです!」

 うなだれる厨人たちをかばうようにして、ロゼッタは彩雅に向き合った。

 名前は、存在の本質を宿している。

 自ら名乗ると言うことは、相手と繋がる、ゆだねる覚悟があるという意志を示す。

 動物が、腹を見せて敵意のなさを見せるのと近い。

「地の司守さまにくっついてここに来た経緯も、お話しました。その上で私が作りたいとお願いしたのです。キッチンの皆さんに非はありません」

 キッパリした姿勢で、ロゼッタは厨人たちを擁護した。

 どうやら、お気楽でただの考えのなしでもないらしい。

 ふん、と彩雅はロゼッタを見て、次いでテーブルの上を見た。

「そこはあいわかった。それにしても、だ。毒見もせず、我が君にお出しするわけにはいかぬ」

 彩雅は突き匙を手にすると、丸く膨らんだ黄色いパンケーキとやらに突き立てた。

 したり顔でふわりとしたそれを口に運び…添え物も口にする。

「うむ」

 幾度も頷きながら、ジャムを塗り、クリームを乗せ、芋も合わせ……。

「これらが安全であることは、確認できた」

 彩雅が微かに「けふっ」と噯気あいきを漏らしたことに、黒曜は気づいていた。

 食べたかっただけだな?と、綺麗になった皿を見て黒曜は確信するが、やはり言葉にはしない。

「温かいものを、地の君にご用意するが良い」

「はい!すぐに!」

 喜びに眼を輝かせ、ロゼッタは再び片手鍋を手に取った。

※※※

 一切れ口に入れたら、もちっとした弾力を残して溶けるように舌先に柔らかく消える。

 彩雅が毒見と称して止まらなくなった気持ちが、黒曜にもわかった。

「我が君、いかがですか。これには、珈琲が合うじゃろうな」

「紅茶も合いますよ!」

「我は珈琲が好きなのじゃ」

「コーヒーはミルクたっぷりが好きです!」

「ふっ…お主、童の舌じゃな」

「妖精はミルクが好きなんです!朝一番に必ず飲みます」

 警戒心の強い彩雅が、珍しく初対面の相手に良く喋るなと観察しながら、黒曜は温かい烏龍茶を啜った。

「ここは、どこの壁もキラキラしていますね。土の中とは思えないくらい明るくて不思議です」

 ロゼッタがぐるりと首を巡らせる。

「地の宮は、大地に眠る鉱物の恵みで造られている。壁は雲母で、この卓は大理石だ。水晶や瑪瑙も…って、何をしておる、お主!」

 すぐ側の壁の間近に寄り、ロゼッタは爪でカリカリ引っ掻いていた。

「地の君の御前で、なにをそのような無作法を!」

 こめかみに、本日二度目の彩雅の手刀を受け、ロゼッタは「ギニャッ!」とおかしな悲鳴を上げた。

うろこのような、虹のようなキラキラが見えたから…何かなって…」

 こめかみを擦りながら言い訳するロゼッタに人差し指を突きつけ、彩雅の小言が放たれる。

「結晶がそのように見えるのじゃ。まったく、幼子か小獣こけものか、お主は!」

 常とは一風変わった食膳もさることながら、間近で賑やかなやりとりが交わされるのも珍しい。

 それを不快と思わないのが、黒曜は我ながら不思議ではあった。

「して、ロゼッタとやら。お主はこれからどうするつもりじゃ?」

 唐突に本題を突き刺す彩雅に、何のためらいもなくロゼッタは即答した。

「私は、地の司守さまへの捧げ物ですので、地の司守さまの御心に従います」

 黒曜は手にしていた茶器を置いて、椅子に腰かけたまま、ロゼッタの方へ体を向ける。

「こちらとしては、人身御供など求めるつもりはない。そのような蛮行は、忌むべきものだ。お前は、一族の王にそのような無理強いを押し付けられ、思うところはないのか?」

「はい!まったく!」

 にっこり笑って、ロゼッタは小首を傾げた。

「妖精王も、女王様がどんな夢見をして、なぜにそのような託宣を下したのか、理由はおわかりにならないそうです。私にそのお役目を与えることを、哀しんでおられました。

 ですが、私は喜んで地の司守さまの元へ参ったのです。ずっとお会いしたいと願っておりましたので!」

 黒曜は訝しさに片眉を上げる。

「私は、お前と面識がない」

 何やら知っているような感覚はあれど、とは、胸内で呟くに留めた。

「見も知らぬ私に、なぜ、そのようにこだわるのだ」

「私が、ただ存在するだけの、見えないくらいとっても小さいものから、自我を持った“私”になったきっかけが、地の司守さまだからです」

 ロゼッタは胸の前で、祈るように両手を組み合わせた。

「妖精はほぼ、自然の恵みの中から生まれます。主に、妖精王の御領地、常若の国ティル・ナ・ノグ内で。

 地の司守さまは、この世界の中央である常若の国付近で、大きくどなたかと力を衝突させた事がございますね?人間の住む、人界層へのゲートがあるところです」

 あ、と黒曜は視線をさ迷わせた。

 思い当たる過去がある。

 —……水蓮が法を破り、人界に降りたあの時……。

「激しい力の衝突は、周囲に振動となって広がり、影響を及ぼします。世界を構築するために存在する成分の一つに過ぎなかった私は強く突き動かされ、ぶつかり、渦を巻き、同じように見えぬ周りのアレコレとも重なり、集合していき、感情が発生しました。

 自我が生まれ、初めて認識したのが、あなたさまだったのです。自我が芽生えたら、存在が構築されます」

 自我の芽生えは、魂の誕生だ。

「場所が、自然の循環を司る、生の恵みに溢れた妖精の国に接していたがゆえに、というのもあるか…」

 黒曜の推測に大きく頷き、ロゼッタは続けた。

「さすが、お察しの通りです。妖精は朝露から、開く花弁の中からと、様々な形で生まれます。私の場合はちょっと特殊ですが、幾つもの偶然が重なった末、常若の国ティル・ナ・ノグに溢れる自然のエネルギーは、快く私を受け入れ、育んでくれました。そうして、私は妖精として生まれたのです。

 妖精が生まれると、すぐに近くにいる仲間達が保護してくれます。そして妖精王の祝福を受け、名前を頂き、私は“ロゼッタ”になりました。

 その当時はまだ地の司守さまではいらっしゃらなかったと存じますが、あまたさまが天の指名を受け、大地にあまねくあなたさまの気が及んだ時に、気づいたのです。私を“私”にして下さった方は、地の司守さまであると」

「なるほどのぅ…。卵から孵った雛が、一番最初に見たものを親だと思い、無条件についていくのに似ているかのう」

 彩雅が腕を組み、何度も頷きながら言った。

 ロゼッタの言葉には、嘘の気配はない。

 何よりも黒曜自身が、霧が晴れるように、得心がいった。

 意図した事ではないとはいえ、己の力の影響で奇跡的に条件を満たして生を受けたのであれば、根幹の波動は同じ。

 見知っているように感じるのも、合点がいく。

「自然の愛し子である妖精は、全ての元素の力が使えます。それぞれの個性によって特出した魔力を顕すものですが、朋輩が成長と共にどんどん魔力を増していく中で、私は未だ魔力が弱く、力の具現化でもある羽も小さくて、飛ぶこともできません。

 落ちこぼれの私ですが、気の好い仲間たちに恵まれ、穏やかに過ごしていました。妖精王さまと女王さまが慈しんで下さっていることは、民草であれば、直接お会いする機会がなくともわかります。

 父なる王と母なる女王が、私に酷いことを強いるはずはありません。 御二方の意向なら、意味するところが今は見えなくても、私は喜んで受け入れます。地の司守さまにお会いできるという望みが叶うなら、なおさらです」

 どうやら、彩雅が言う所の“頭がポンチョコリン”なだけの乙女ではないらしい。

 にこやかに語るロゼッタを改めて眺め、黒曜の目は左肩に引き付けられた。

 乳白色に、淡い藤色の縁飾りがヒラヒラとついた、いかにも妖精らが好みそうな衣装は袖がなく、二の腕がむき出しだ。

 肩は組紐で結んで止められおり、そこから覗く白い肌に、くっきりと赤い痣が輪を描いている。

 まさか、と黒曜は血の気がひく。

「その傷は…私が……」

 あら、とロゼッタはそこに触れ、微かに眉をしかめた。

 黒曜は、即座に彩雅に顔を振り向ける。

「薬を持て。すぐにこの傷の手当を」

「御意」

「まあ、この程度の傷、大丈夫でしてよ?」

 すぐさま部屋を出る彩雅の背に、ロゼッタは呑気に声を掛ける。

「大丈夫ではない。私はお前より、魔力がある。霊格が上の者がつけた傷は、消えない痕になる」

 黒曜は席を立ち、執務机を回り込んでロゼッタに向き合った。

 こちらを見上げる大きな目が、動揺に揺れている。

「混乱していたとはいえ、乙女にして良い行いではない。すまなかった」

 ロゼッタはいよいよ動揺を炸裂させ、顔を左右しながら両手を宙でバタつかせた。

「私は地の司守さまのものですから!」

 その仕草が、記憶のどこかに引っかかり、黒曜は自身のそれを探る。

「何じゃお主、猫がじゃれるような動きをして」

 薬瓶を手に、素早く戻ってきた有能な部下の言葉に、「あ」と黒曜は声をもらす。

「…マオ…」

 頭頂部に二つ結い上げあた髪、予想できない動き、つぶらな瞳は猫目…ロゼッタは、故郷の龍宮で幼い頃可愛がっていた、猫に似ているのだ。

「「まお?」」

 二人に問うように凝視され、黒曜は観念して白状する。

「故郷にいた、猫に似ていると思ってな…」

「私がですか?」

 目を瞬かせるロゼッタに、黒曜はやや気まずい思いで頷いた。

「確かに顔貌かおかたちも、突然壁を引っ掻いてみたりするところも、猫に似ておるな、お主は」

「ねこ……」

 彩雅の言葉を受け、オウム返しに呟いてロゼッタは俯いてしまう。

 乙女に対し失敬だったと、弁解を探した瞬間、ロゼッタは満面の笑みを称えて顔を上げた。

「私、あなたさまの猫になります!!」

 ファッ!?とおかしな声が出て、慌てて咳払いする。

 素晴らしい思いつきだとばかりに、ロゼッタの瞳は輝いていた。

「そうか、猫か。猫ならこの宮に置いてやるのもやぶさかではない。ほれ、猫、薬を塗るぞ」

 なぜかすんなり猫に同意した彩雅に、大胆に薬を塗り込まれ、「ギニャー!」とロゼッタは悲鳴を上げる。

 そこでたまらず、黒曜は吹き出した。

 驚いたような視線を彩雅から向けられたが、止まらない。

「黒曜だ」

 目を見張るロゼッタの手を取り、その掌に指先で字をなぞってみせる。

「私の名は黒曜。このように書く」

 ロゼッタの白い頬がみるみる薔薇色に染まり、次いで花が開くような笑みが広がった。

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