第4話 幻のラーメン屋の最期

「ようこそ、永遠の世界へ。」


 店主の言葉が響いた瞬間、異界のラーメン屋を包んでいた空気が一気に不穏に変わった。まるで周囲の空間そのものが歪んだかのように、冷たい気配が満ちていく。静かにラーメンを啜っていた「永遠の客」たちが、一斉に俺に視線を向ける。その目には、まるで人間の感情が消え去ったような目。冷徹で無表情な視線に、死んだ魚のような陰鬱さを感じた。


(なんで、俺がこんな目に合わなきゃならねぇんだ。)


 ため息をつきながら、俺は店主を睨みつけた。


「君のような特別な人間が、この店に足を踏み入れた時点で運命は決まっていたのだ。」


 店主は微笑みながら、ラーメンの湯気が立ち上る鍋に手をかける。その動きには異界の住人らしい不気味さが漂っているけど、妙に人間的な仕草にも見えた。


「君たち人間がどれほど欲望に忠実か、私たちはよく知っている。そして、それを利用するのが私たちの役目だ。」


「利用?」


 眉をひそめ、俺は思わず言葉を返す。


「そうだ。人間界の味覚を極限まで満たすことで、君たちはその魂を差し出す。それが私の役割……異界と現世を繋ぐ者としてね。」


「魂を差し出す? そんな話に付き合うつもりはねぇ。」


 拳を握りしめながら意識を保とうとする。だが、脳裏にあのフラッシュバックが蘇る。ラーメンを一口啜った瞬間、目の前に狂気と混沌に満ちた光景が広がり、まるで世界がひっくり返ったように感じた。暗黒の空間、叫び声、無数の目が俺を見つめていた。


 朦朧とする意識の中で、言葉の一つ一つが歪んで聞こえる。やつの言葉に感じた、どうしようもない違和感の正体を必死で探った。


 ー味覚を極限まで満たすー。


 それだ!それなら、あれがいけるかもしれねぇ!俺はここに来る前、色々準備していたんだ。


「あんたのラーメン……、確かに旨かった。でもな、決定的に欠けてるもんがある。」


 ポケットに手を突っ込んで、俺はすぐにそれを掴み取った。


「……それは?」


 店主が目を見開く。初めてその余裕に満ちた表情が少し歪んだ。俺はラーメン鍋をじっと睨みながら、その袋を思い切り引き裂いた。


「それはなんだ?」


 店主の声が一瞬だけ硬くなる。その反応を見て、俺は口の端を歪めた。


「あんたのラーメンが異界の味なら、これを足したらどうなると思う?」


 袋を振りながら挑発的に言う俺。その中身は、どこにでも売っている化学調味料だ。


「やめろ!俺のラーメンにそんな不純物を入れるんじゃない!」


 迷わず、俺は化学調味料をラーメン鍋に一気にぶちまけた。粉末がスープの中で渦を巻きながら溶けていく。


「やめろ!」


 店主が手を伸ばそうとするが、もう遅かった。俺は鍋を掻き混ぜ、その香りが店全体に広がるのを感じた。


「あー、これだよ、これ。これがラーメンだ。」


 湯気がふわりと立ち上ると、その香りは、異界の不気味で鉄のような匂いとは正反対に、まるでお袋のラーメンのような、懐かしく温かい匂いだった。


「そんなはずは……!」


 店主が目を見開いた。異界に囚われていた「永遠の客」たちが、一斉に動きを止めた。無表情でラーメンを啜り続けていた彼らが、ふと箸を置き、鍋から立ち上る香りに顔を向ける。


「これ、懐かしい匂い……」


 一人の女性が呟いた。その声を皮切りに、他の客たちも次々と反応を示し始める。


「この味……覚えてる。昔近所で食べたラーメン……」

「俺が大好きだったあの店の味だ……」


 異界のラーメンに取り憑かれていた彼らが、次第に人間らしい表情を取り戻していく。俺はその光景をじっと見守る。


 店主は歯を食いしばりながら後ずさり、その目には恐怖と絶望が入り混じり、明らかに混乱していた。


「なぜだ……なぜ、ただの化学調味料が……!」


「簡単な話だよ。」


 鍋の上に湯気が渦巻く様子を見ながら、俺は冷静に答える。


「お前のラーメンは確かにうまいかもしれねぇ。でもな、俺たちラーメン好きは結局、化学調味料でブーストされた、ジャンクで濃い味が大好きなんだよ!」


「そんな、くだらない……!」


 店主が声を荒げるが、ラーメンを啜り始めた「永遠の客」たちはもはや彼に目もくれない。その顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。


「やっぱこれだよな……」

「ああ、これがラーメンだ……」


 次々と席を立ち、目を覚ましたかのように現世への道を歩き始める。その姿を見て、店主は力なく膝をついた。


「異界の味が現世に負けるなんて……こんな馬鹿なことが……!」


「悪いな。あんたの敗因は素材にこだわり過ぎたことだ。」


 そう言い捨てて、俺は店主の前を通り過ぎ、店を出た。


 外に出ると、そこはもはや異界ではなかった。普通の路地裏が広がっているだけだった。振り返ると、ラーメン屋そのものが跡形もなく消えている。


「……現世のラーメン、万歳!」


空っぽになった袋をポケットに突っ込み、深く息を吐いた。その匂いはもう現実のものだった。

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