第二章 基盤編

第26話 理由 sideカレン

「ふぁぁ・・・・・・朝か」


 薄暗い天井を見上げながら、欠伸混じりに呟く。

 窓の外では、まだ夜の気配が残っている。時刻は早朝、五時前――学園の寮の静けさの中、私は一人、布団から体を起こした。


 眠気を払いながら身を起こし、手早く動きやすい服に着替える。慣れた所作。

 ようやく、この生活にも馴染んできた気がする。


(この生活ももう三年目か)


 入学当初は、格安の宿屋でなんとか生活を繋いでいた。

 だが、同じかそれ以下の費用で、遥かに快適な学園寮に入れると知り、即座に引っ越しを決意した。何より、長すぎる通学時間を短縮できることが魅力だった。


 そして、王立学園――その名は伊達ではなかった。


 寮には鍛錬用の器具に加え、正確な測定ができる装置まで備え付けられている。

 学園までの距離は徒歩数分。図書館にはありとあらゆる魔法の書が揃い、休日にも研究に没頭する教師陣がいて、質問にはむしろ歓迎の姿勢すら見せてくれる。


 何より、先達たちの言葉には重みがある。

 彼らの多くは、自分と同じ壁にぶつかり、それを乗り越えた者たちだ。その指導は理屈ではなく、経験に裏打ちされたもの。これ以上ない成長の場――そう言い切ってもいいだろう。


 入学時には、成績はほぼ最下位だった。けれど、今ではようやく「それなり」と言える結果を出せるようになってきた。


 血筋も身分も関係ない。平民でも、努力次第で頂点を目指せる。


 この環境が、今の私を前へと押し出している。


「よしっ」


 鏡の前で軽く髪をまとめ、気合いを込めて立ち上がる。そしてそのまま、寮を飛び出した。


 朝の空気は冷たく、けれど心地いい。入学以来続けている朝のトレーニング。

 走りながら、体内に魔力を巡らせ、身体強化の魔法を発動させる。肉体と魔力を同時に鍛える、私なりのルーティン。


 この朝のトレーニングを始めたきっかけは、魔法理論科の講師――オルニアス先生の助言だった。


 あれは、まだ入学して間もない頃だったと思う。

 私は、魔法の発動時間をどうにかして短縮できないかと、先生に相談を持ちかけた。


 その時、返ってきたのは、意外な言葉だった。


『何のために発動時間を短縮したいのだ?』


 その問いに、私は即答できなかった。思わず口を閉ざしてしまったのだ。


(・・・・・・何のために?)


 短縮できるに越したことはない、それは誰にでもわかる常識。

 戦闘の瞬間、技術職の現場、どんな場面でも速さは武器になる。そう思っていた。だが、それは「当然」だと思い込んでいたからこそ、逆に理由を問われた瞬間、言葉に詰まった。


 目的を、具体的に定めたことなどなかった。


 そんな私を前に、先生は淡々と語った。


『発動時間の短縮。それは、魔法士なら誰もが考えるテーマの一つだ。だが、基礎を超えてまで本格的に取り組むべきものではないと私は考える。なぜだと思う?』

『・・・・・・分かりません』

『そうか。それならば、図書館で“魔法士の栄光へ”という書物を借りてみるといい』


 そして、少しだけ口元を緩めると、こう続けた。


『ちなみに私の結論だが――君たち学生がまず手をつけるべきは、身体強化魔法だ。本を読んで、それでも疑問が湧いたらまた来なさい』


 試験の難解さと意地悪な問題で、正直、生徒からの評判はあまりよくない先生だった。

 けれど、質問に対しては、まるで地図のように道筋を示してくれる人だった。


 私はその足で図書館に向かい、『魔法士の栄光へ』という分厚い書物を借りた。


 それは、栄光の名にふさわしくあろうとした、数多の魔法士たちの“失敗”を綴った記録集だった。


 神経加熱事故。魔力衝突による爆散。魔法反動による心肺停止。そして、精神と肉体の乖離。


 それらはすべて、魔法の発動に伴って起きた事故だった。


 原因は多岐にわたる。けれど共通して見えてくるのは一つ――詠唱の負荷に肉体が耐えきれなかった、という点だ。


 高位の魔法を行使するには、術者自身の魔力を体内に巡らせ、術の余波から自身を保護する“魔力レジスト”が必要になる。だが、体内操作に不慣れな者がそれを試みれば、神経系への魔力過負荷で機能停止を起こすのは当然とも言えた。現実には、多くの魔法士がその一歩で命を落としている。


 だから、オルニアス先生は最初に「身体強化魔法を学べ」と言ったのだと、自分なりに理解を示した。


 身体強化魔法を継続して習得・実践すれば、心肺機能や集中持続力、神経の応答速度までも底上げされる。肉体という器を鍛え直すことで、詠唱の長さにも、制御の細かさにも耐えられる“基礎”を作ることができる。


 さらに、魔力量の管理や魔力の流れを体感的に把握できるようになる。

 これもまた、理論ではなく経験に基づく一つの真理だ。


 私はオルニアス先生の元を再び訪ね、効率的に身体強化魔法を身につける方法を尋ねた。そこで教えられたのが、今続けている朝のトレーニングだった。


(焦っても意味ないし、とにかく愚直に、だ)


 自分は英雄になりたいわけじゃない。世界を救いたいわけでもない。


 ただ、将来、ちゃんと稼げるようになりたい。それだけだ。

 この学園に来たのも、特別な志があったからじゃない。生活のためだ。


 育ててくれた孤児院に、少しでも恩返しがしたい。それが目標。


 もし、少しだけ余裕ができたなら――今度は、私が誰かに手を差し伸べられる人間になれたら、それ以上のことはないと思っている。




 一時間程でトレーニングを終え、寮に戻る。

 食堂も既に動き始めており、少数の学生が席に着いて朝食を取り始めていた。


 一度部屋に戻って汗を拭いて着替えてから私も食堂に移動する。

 パン、野菜、フルーツの出るいつものメニューを伝え、盆で受け取って席へと持っていく。

 少な過ぎず多過ぎず、朝はこれぐらいの量が一番だ。

 程なくして、友人のアリスが食堂に降りてきて私と対面の席を確保する。


「おはようカレンちゃん」

「おはよう。少し寝癖が付いてるよ」

「えっ、あはは。お恥ずかしい」


 苦笑いしながら自分の髪を手で押さえようとするアリス。見ていられず、私は手を伸ばして軽く整えてあげる。


 彼女は学園でできた私の友人だ。

 良く笑い、人への気遣いができる優しい性格を持っている。

 半面自分への配慮が欠如しているのが偶に傷だが、そこは友人の私が最大限に配慮したいところだ。この学園で唯一、お互いに助け合える親友と言ってもいいと思う。


 気恥ずかしくて本人の前で言うのは少し躊躇してしまうけれど。


 まあようするに、彼女は私の大切な友人だ。

 見た目も整っていて、性格も良い。そんな彼女には、やはりというか、よからぬ輩も寄ってくる。


 以前、貴族の学生に目をつけられ、危うくひどい目に遭いかけたことがあった。相手は平民を虫けらか何かと勘違いしているような、救いようのない人物だった。


 幸い、手を出される前に私が見つけて止めて事なきをえたが、一歩遅ければ惨事になっていただろう。


「カ、カレンちゃん! スプーンが曲がってるよ!」

「おっとと」


 思わず手に力が入ってしまっていたらしい。


 ――結局、あの男子生徒はたった一か月の停学処分だけで、学園に戻ってきた。


 信じられなかった。普通なら即、退学もののはずだ。人ひとりを襲おうとしたのだから。


 だが現実は違った。貴族という肩書きが、それすらも軽くしてしまう。


 怒りが、喉元までこみ上げる。非難の言葉を吐き出したい気持ちは山ほどあったが・・・・・・それを言ったところで、私のような平民の言葉が、どこまで届くのか。


 戻ってきた後も、あの男の態度はまるで反省の色がなかった。下手をすれば、あのとき止めたことすら逆恨みしているのではないかとすら思えるほどで――


「カ、カレンちゃん! スプーンが! なにかスプーンに恨みでもあるの?!」

「・・・・・・あ」


 パキンと音を鳴らしてお亡くなりになったスプーン。

 幸い弁償の必要はなく頭を下げるだけで済んだが、物に当たるのはやめようと己を戒めた。


「体調が悪いなら休んでも良かったのに」

「別に体調が悪い訳じゃないから大丈夫だよ」


 私の言葉に、アリスはじとっとした目で睨んできた。


「本当? カレンちゃんはなんだか色々と隠すからな~ この前も演習で怪我したのを隠して続けようとしてたしな~ その前だって・・・・・・」


 説教モード、発動。


 予想外の長期戦に突入し、私は背筋を丸めるしかなかった。まるで飼い主に叱られる猫のように。言い返したくても、反論できる言葉が見つからないのだから仕方ない。


「ほっほらアリス、もう教室だしさ! 私も今度から気を付けるし、そろそろ」

「あっ本当だ」


 気づけば目の前に教室の扉。

 アリスがここまで気づかないほど、私への心配が溜まっていたのだろう。まだ言いたそうな顔はしていたけれど、私が「これからは気をつける」と約束したことで、ひとまず矛を収めてくれた。


 席に着くと(アリスは私の隣の席だ)、彼女が思い出したように言った。


「そう言えばそろそろ交流戦が始まるんだって」

「交流戦か。あっ、今回から私達も出れるね」

「うん。今まではずっと見てきただけだけど、私達も三回生になったからね」


 王立学園の伝統的行事の一つ交流戦についてだ。

 三回生以上の生徒が参加する模擬戦形式の訓練で、実戦に近い環境の中で技術と経験を高め合う。まだ基礎の固まっていない一・二回生は見学のみで、私たちも昨年までは遠くから眺めるだけだった。


 今年からは私達も参加できることになる。


「去年までは、傍から見てるだけだったからちょっと楽しみかも」

「そうだね。でも、先輩方と戦うのはちょっと怖さもあるな~」


 アリスは不安げに眉を下げた。彼女の性格を考えれば、確かにこの手の実戦形式は向いていないかもしれない。


 だから、私はそっと言った。


「大丈夫。怪我しそうになったら私が割って入るから」

「もっもう! 分かったから! ち、近い近い!」


 手を握って話すと、顔を赤くして離れてしまった。

 そしてまたやってしまったと気付く。私の悪癖だ。偶に距離感が分からなくて相手が顔を赤くさせてしまう。怒っているのかと謝ると、それとはまた違う反応を見せるので、正直まだよく分かってはいない。


(交流戦か)


 上級生との模擬戦。だが、例外もあると聞いたことがある。


 戦力のバランスを見て、場合によっては同級生同士が当たることもあるらしい。


 その瞬間、私の脳裏にはある顔が浮かんでいた。あの、うすら笑いを浮かべた貴族の三男――アリスを傷つけかけた男。


 もし、交流戦の舞台で彼と正面から対峙できる機会があるのなら――



****************

二章スタート

よろしくお願いします(*´ω`*)

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