姫プの功罪、これ如何に



「なーんちゃって、♡」


「こーーーんなに可愛いのに、”オレ”、だとか冗談冗談♡」


「正真正銘の、『』魔法使い、”リゼ”って言います♡ 深界のみなさん、ご機嫌麗しゅう♡」


 その、あまりに天真爛漫な、先ほどまでの雰囲気とは180度違う豹変ぶりに、ギルドホールにいた全員が、完全に思考を停止させた。


 後に残されたのは、何が起こったのか理解できずに立ち尽くす探索者たちと、完全に尊厳を粉砕され、その場にへたり込むオークの姿だけだった。



 ルナは、リゼに手を引かれるまま、夢遊病者のように歩いている。彼女の頭の中は、先ほどの光景――愛らしい少女の姿で、チンピラのような暴言を吐き、歴戦の猛者であるオークを言葉だけで屈服させ、そして、最後には全てを茶化すように「なーんちゃって♡」と笑った、あの豹変ぶりのリゼの姿で、完全に飽和していた。


 .

 ...

 ......



 宿泊部屋に戻った後、部屋の空気は、張り詰めていた。

 しかしそんな空気を打ち破るかのように、ルナが発言する。


「リゼ……!」


 ルナが、興奮した様子で駆け寄ってきた。


「すごかった! まるでイベントシーンの主人公みたいだった––––––!」


 彼女の瞳には、疑いの色はない。ただ、自らが信じる「主人公」が、秘められた力を解放したことへの、純粋な称賛と興奮だけがあった。


「それに……」

 ルナは、少しだけ、照れたように頬を掻いた。

「もう、『』なんて、変な冗談、言わないのね。…………まぁ、『フジヤマ』の酒場の時みたいでちょっと危なっかしいけど–––––––––うん、そっちの方が、ずっとあんたらしいわよ」


 ルナの中で、「男だと偽る奇妙な少女」という認識は、完全に払拭された。

 目の前にいるのは、いざという時には誰よりも勇敢に、そして気高く戦う、最高の相棒。

 完全無欠の「女の子」。


「……うん」

 リゼは、ルナに向かって、優雅に微笑んでみせた。

「もう、迷わないことにしたの」

 その仮面の下で、後戻りのできない道を選んだことへの、一筋の冷や汗が流れていることなど、誰にも気づかれずに。


「……お前は」


 その時、沈黙を保っていたリヴェルが、静かに口を開いた。

「……見事なものだった」

「え?」

「お前の、あのオークに対する立ち回りだ」

 リヴェルは、感情の読めない瞳で、リゼを分析するように見つめていた。

「あのオーク、『鉄牙』のグラックは、この集落でも五指に入る実力者だ。気性も荒く、一度怒り出せば、誰も手が付けられん。それを、お前は、一度も武器を抜くことなく、言葉だけで屈服させた」


「……」


「お前の戦闘分析は、完璧だった。装備の欠陥、構えの癖、そして、何より、相手のプライドという最大の弱点を、的確に突いた。……あれは、ただのヒステリーでできる芸当ではない」


 リヴェルの言葉は、リゼの嘘を暴くものではなかった。

 だが、その分析は、リゼの行動が「計算」、ないし熟考された末のものであることを、暗に示していた。


「お前が何者かは、今は問わん」

 リヴェルは、そう言うと、話を打ち切った。

「お前が持つその力が、我々の目的……最下層への到達に、必要であることは、よく分かった。……それで、十分だ」


 彼女は、この異邦人に敵意や疑念を抱いたわけではなかった。

 むしろその逆、その能力、その素質に対してのシンプルな敬意。


 それは、合理的で、同時に、少し温かみを感じるものだった。

 それは、ルナの熱を冷ますには、十分すぎるほどの効果があった。


「……そう、ね。これからどうするか、よね」


 ルナは、まだ当惑の混ざった表情ながらも、自らの「ゲーム」の目的へと、意識を強制的に引き戻した。



 ::::



 リゼは、なんとかその場を乗り切ったことに安堵しながらも、内心では冷や汗が止まらなかった。

 この二人の、あまりに重く、そして、あまりにズレた期待を、自分は、いつまで背負い続けなければならないのだろうか、と。


「それより、さ」


 リゼは、重い空気を振り払うように、話題を変えた。


「ギルドで時折話に出てきたけど、階層、浅層––––––この、巨大な地下空間のことだと思うけど。––––––リヴェルは最下層に、行きたいんだよね。大きな依頼を果たした今、次の目的地は第二層。……これで合ってる?」



「……少し長くなるが、いいか?」

 リヴェルは、テーブルを囲むように二人を促した。「我々の、最初の作戦会議だ」


 彼女は小さな革袋から、煤けた炭筆と羊皮紙の切れ端を取り出す。ぱきり、と筆先を折って整えると、手早く輪郭線を描き始めた。


「先に、ここの理を示す。――深界は、すり鉢状に落ちている」


 羊皮紙に、粗い同心円と、その円を断ち切る巨大な裂け目が現れる。


「ここが《第一層》。浅層、アビス・フロント。鍾乳洞と地下湖。そして、中央を占める、広大な地下空洞の層だ。ルルドのような集落が点在し、我らが暮らす」


「次に《第二層》――“大亀裂グランドクレバス”。断層と風穴が絡み合い、闇の川が縦横に走る」


「その下に《第三層》――“沈黙の地底湖”。音が吸い込まれる黒の洞、無音の森、幻の霧。……そして、沈黙が支配する巨大な地底湖。“静寂の図書館”は、そこにある」


 リヴェルの線は止まらない。さらに、すり鉢の底に、ふたつの記号を打った。


「伝承では、まだ下がある。《第四層》は“神々の墓標”。崩れた古い都が眠る、と」

「そして底。《第五層》――“根源領域”。……ここは、物語の外側だ。誰も辿り着いていない。……少なくとも、我らは」


 ルナが身を乗り出す。

「上は? 地上のプレイヤ……じゃなくて、人たちは?」


 リヴェルは小さく首を振った。

「“上の世界”は、遠い。……昔、遠い昔に“空の民”がいたという唄はある。だが、上から人が降りてきた話は、私の世代にはない。そもそも、彼らは我らの世界のことを――」


 そこで言葉を探すように、彼女は短く息を呑んだ。


「――のだと思う」


 リゼは、目を伏せた。胸の奥で、理成の声が微かに軋む。

(……やっぱり、そういうこと、か。ここは“表示されていない”。あの上で遊んでいる彼らにとって、深界は、最初から“無い”)


 喉の奥がからりと乾いた。だが、かわりに“美少女”の仮面が、柔らかく口角を持ち上げる。


「ありがと、リヴェル。地図、分かりやすいね」


 そう答えるが否や、脳裏に占めるのはゲーマー・理成としての思考。


(………攻略にあたって、手元にあるのはゼロ情報じゃない。リヴェルの知識、地形の概要。あとは、エネミーの出現ルート、過去の挑戦者。………『探索団』だ、きっと、拾える端緒は、ある)


「とにかく、今の情報だけじゃ、流石に挑むのは無謀。もっと、情報が必要……、なんにせよ、二層への攻略ルートが、可能なのか不可能なのか。それを見極めるのが、の、最初の『クエスト』」


 その言葉に、ルナとリヴェルは、力強く頷いた。


「それで、具体的にはどうするの? 情報収集って言ったって、当てはあるの?」


「まずは基本に立ち返るべきでしょ。こういうのは、人が集まる場所で地道に聞き込みが定石。つまり……」


「……ギルドホール、か」リヴェルが引き取る。「今のルルドで最も情報が集まる場所ではある。––––––なるほど、合理的だ」


「とはいえ、まずは外にでも出ていきましょうか」


「––––––へ?ギルドホールは、すぐ隣の建物でしょ?」


「あそこ、品揃え良くないんだもん。––––––美味しいものでも食べながら、作戦準備♡」



 ::::


 三人が宿屋を出ると、そこには深界の営みが作り出した幻想的な光景が広がっていた。

 天井から垂れる発光苔と水晶が、天然のシャンデリアのように柔光を降らせる。鍾乳石と石筍はそのまま壁や屋根となり、足元の水路には発光魚が跳ねて、子どもたちの笑い声が弾ける。


「すごい……本当に、別の世界みたい……」

 ルナが、無意識に呟く。その一言が、彼女自身の“防壁”――「これは巨大イベントだ」という自己暗示を、さらに厚くする。


 屋台の並ぶ一角で、リザードマンが焼く串焼きの香りに誘われる。

「ねぇ、あれ、食べよ?」

「……『ロック・リザード』の尻尾肉と、『火吹き茸』か。悪くない」


 リヴェルが冷静に分析する。三人はそれぞれ串焼きを手に取ると、水路のほとりにある石のベンチに腰を下ろした。


『火吹き茸』はその火薬がいいスパイスとなって、ただの素焼きとは思えない香ばしさを放っていた。

『ロック・リザード』の尻尾肉は、中心の骨の周囲に付いた肉が、脂も多く、肉肉して実に美味しい。


 –––––––––この地下世界に来てからというものの、腹が減る。

 それは生物として至極当然の欲求であったが、同時に––––––VRの世界では、本来あり得ないはずの、「飢餓」という感情だった。


 久々の食事らしい食事に、ルナとリゼは一心不乱にくらいつく。


 しばらく無言で串焼きを頬張っていたが、不意にリゼが口を開いた。

「……さて、と」


 食事を終えると、リゼはくるりと立ち上がった。


「腹ごしらえも済んだし、本題。――ギルドホールへ」



 ::::


 再び訪れたギルドホールは、昼間にも増して活気に満ちていた。三人が足を踏み入れた瞬間、喧騒が一瞬だけ静まり、視線がリゼに吸い寄せられる。先ほどの“事件”は、もう尾ひれ付きで広まっている。


「おい、見たこともねえ種族だなぁ!」

「綺麗な顔だち、まるで御伽噺に出てくる人間ヒューマンみてえだ」

「銀髪のあの可愛い子が、さっきはあんな大立ち回りを演じたたあ、にわかにゃ信じがたいぜ」


 野太い声援を優雅にいなし、リゼはカウンターへ。ケットシーの受付嬢・ミャアラに愛想よく問いかけ、周囲に聞こえる声量で話題を投げる。


「–––––––––『大亀裂』!あそこを攻略してみたいんだけど!」


 酒が回った探索者たちは、気分を良くして口々に語りだす。

 周囲で様子を伺っていた男たちも、我先にと饒舌に語り出す。曰く、巨人の骨の谷、鬼の泣く川――どれも荒唐無稽で、核心は遠い。


 リゼは相槌を重ね、話題を「詳細な攻略手段」「実現的な冒険ルート」へと少しずつ誘導していく。


「へえへえ!西の湖がねえ!なるほどお」

「大亀裂の周辺の魔物の情報! いいね、興味あるある〜!」

「第二層で起きた異変? 嫌嫌、そんな怖い話––––––」



 少しずつ、だが確実に、この「探索団メイソン」の集合知のような形で、第二層攻略の情報が集積していく。


 ふと、そんな折。


 数多くの男たちが、口々に情報を提供する中。酷く泥酔した一人の男が、ある話題を口にする–––––––––。


「………だったらヨォ、リゼの嬢ちゃん!『凶月マガツキ』に喰われたやつの話は知ってっかァ?」


 誰かがぽつりと漏らした途端、喧騒がぴたりと止んだ。硬直。視線の硬さ。乾いた喉。


「……おい、その名は禁句だ」

 さきほどまで上機嫌だったドワーフの老人が、低く言う。

「あれは伝説じゃねえ。触れりゃ死ぬ、ただの呪いだ」


 隅で飲む傷だらけのオークが、グラスを叩きつけた。

「見りゃ死ぬ、聞きゃ死ぬ、関わりゃ集落ごと滅ぶ! それが『凶月』だ! 俺のダチも……影を見ただけで、おかしくなった……!」


(……ダメ。……ダメ。なんだ、これは–––––––––明らかな異常。明らかな禁忌)



 動揺しながらも、リゼは質問を投げかける。

 先日から不思議な違和感を抱いていた存在。単語。タイミングは悪いが、もし攻略に関係するのなら、このタイミングで情報を集めるしかない。


「––––––ええと、ちょっと待って。それはモンスター?接敵するだけでもダメってこと?そんな、近づいただけで終わり、みたいな––––––」



「ああ。近づくことすら、死だ。昔、“深淵の斧”が習性を解こうと挑んだが、誰も帰らなかった。教えはひとつ――《挑むこと自体が間違い》、だ」


 絶望の事実。だが、リゼの脳は、その闇の中から、一本の線だけを拾い上げる。


(–––––––––ルート、周期、先駆者。ゼロじゃない。であれば、もし遭遇しても、それは完全敗北の詰みチェックメイトには、ならない)


 リゼは立ち上がり、場違いなくらい明るく笑った。


「みんな、ありがとう! とっても勉強になったよ!」


 呆気に取られる視線をひらりとかわし、二人の手を取る。

「さ、行こっか」




 ::::


 部屋に戻った三人の間に、重い沈黙が落ちた。

「………どうするのよ。なんか、やばいのが近くにいるみたいだけど」

 ルナが、初めて弱い声をこぼす。彼女の“巨大イベント”という自己暗示ですら、集団の恐怖の前にはきしむ。


「––––––––––––っ」

 リヴェルは、先ほどから不自然なまでに沈黙を貫いている。その顔に映るのは悲痛な表情。彼女も、先ほどの騒動で思うところがあったのかもしれない。


「だが――」


「だからこそ、行くんだ。……『大亀裂』に」


 二人が顔を上げる。

「正気なの!? 死にに行くようなものよ!」

「逆だよ、ルナ」


 リゼは地図に指を置く。瞳に宿るのは、恐怖を押し流すための、鋭い光。


「戦うから死ぬんだ。わたしたちは、戦いに行くんじゃない。“生き残るための答え”を探しに行く」

「かつての先駆者、『深淵の斧』は、なぜ『大亀裂』に向かった? ただの無謀じゃない。きっと、何か――《僅かな可能性》を掴んだからだ。その痕跡が、まだ残っているかもしれない」


 自分自身に向けるように、心の奥で小さく呟く。

(……怖いに決まってる。でも、この“顔”でいる限り、二人は進める)


「リゼ……」

 ルナは揺らぐ心を、その瞳の強さに繋ぎ直す。

「……ほんと、あんたって……」


「––––––––––––私も、無論––––––同行する。何があっても、無様に逃げ帰ることはしないさ」


 覚悟を決めたような表情で、リヴェルもその声を発する。


「決まり、ね」


 不敵に笑って、仮面を被り直す。冷や汗は、誰にも見せない。


 部屋のランプが、ほそく灯りを揺らす。深界の夜は、音も、風も、眠っている。

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