間章 混沌と叡智のロンド
破壊された聖域の壁から差し込む光を背に、二人の男は静かに立っていた。
その存在感は、BB最強ギルド『征竜遊団』が誇る二人の隊長、リルカとクラマですら、思わず息を呑むほどに異質で、そして圧倒的だった。
「……なんや、あんたら」
影の鎖による拘束から解放されたクラマが、忌々しげに舌打ちしながら問いかける。彼の警戒心は、目の前の臣屋藤乃から、新たなる乱入者へと完全に向いていた。
「……
リルカは、驚愕に目を見開いていた。
彼らを目にするのは、これが初回ではない。むしろ、記憶の中にしっかりと鮮明に残っている。
ギルドにも属さず、ほとんどソロで。
それでいて、最大火力を保持する
「よう、天斧の嬢ちゃん。この前のLADの意趣返し、とでも行こうや」
巨漢の男――楽が、その筋骨隆々たる腕を組み、ニヤリと笑う。
「それから、そっちの狐の兄さんよぉ。––––––俺たちは藤乃のアネキに用があんだ。邪魔するってんなら、そっちから先にミンチにしちまうぜぇ〜?」
その言葉には、隠す気もない純粋な闘争心が満ち溢れていた。
「―――
外套の男――M.M.が、静かに楽を制する。彼はその大鎌を杖のようにつきながら、部屋の中心に立つ藤乃を見据えた。
「臣屋藤乃。あんたの結界は相変わらず、悪趣味なほどに硬いな。だが、計算じゃ追いつかないほどの、
「……『
藤乃の顔に浮かんでいた驚愕は、すでに氷のような冷静さに変わっていた。だが、その声には、隠しきれない警戒の色が滲んでいる。
「話は後だ」
M.M.は、ゆっくりと大鎌を構えた。
「まずは、このやかましい『書庫』を、少し静かにさせてもらおう」
「ボクらを無視して話を進めるんは、感心せんなァ!」
クラマが、再び幻影のようにその姿を消し、M.M.の背後へと回り込む。
だが、その刃が外套を切り裂く寸前、楽の巨大な拳が、まるで壁のように二人の間に割り込んだ。
「俺の
「ちっ……!」
楽の拳とクラマの短剣が激突し、凄まじい衝撃波が聖域を揺るがす。
戦局は、混沌を極めていた。
『征竜遊団』、『幻影戦線』、そして書庫の主、臣屋藤乃。三つの勢力が、互いに牙を剥き合う、三つ巴の大乱戦が始まったのだ。
「―――私の書庫で、これ以上、好きにはさせません!」
藤乃が再び手を掲げると、
「鬱陶しいッ!」
リルカが戦斧を振るい、迫りくる魔導書の弾幕を雷撃で吹き飛ばす。
「モニカ、ヴェリエール! 体勢を立て直して、あの女の詠唱を止めなさい!」
「は、はい!」
二番隊は、指揮官の檄に応え、再び陣形を組み直す。だが、結界による【情報汚染】のデバフが、彼らの連携を著しく阻害していた。
「ククク、面白ぇ〜なァ〜! こうでなくっちゃあなァ!」
楽は、全身からドス黒い、暗赤のオーラ――狂戦士の固有スキル《狂気(バーサーク)》を立ち上らせ、インクの触手を力任せに引きちぎっていく。彼の戦闘スタイルは、あまりに単純明快。圧倒的なSTRで、全てのギミックを真正面から粉砕する。
「
咆哮と共に放たれた拳圧は、書庫の床を粉砕し、藤乃の足元まで一直線の亀裂を走らせた。
––––––『蛮勇の凱旋』《チャンピオンズ・アライバル》。楽の持つ、超短期決戦用のSTR・バフ・アビリティ。
今しがた放った、拳圧による衝撃波は、恐るべきことにスキルやアビリティによる技、そのものではない。
超高ステータスのSTRをバニラで記録する楽が、さらに『蛮勇の凱旋』《チャンピオンズ・アライバル》によって瞬間的に超強化したSTRをベースに放たれる、「ただの素振りの拳圧」。
「……相も変わらず、野蛮ですね」
藤乃は最小限の動きでそれを回避するが、その額には一筋の汗が伝っていた。楽の攻撃は、彼女の結界の「許容量」を、物理的に少しずつ削り取っていた。
一方、M.M.の戦い方は、その真逆だった。
彼は、決して藤乃の結界そのものを攻撃しない。ただ、静かに聖域の中を歩き、その手に持つ大鎌で、空間をゆっくりと撫でるように振るうだけ。
「……何をしてるんや?」
クラマは、楽との戦闘の合間に、M.M.の不可解な行動を訝しんだ。
「―――ああ、見えんか」
M.M.は、初めてクラマに視線を向けた。
「この結界を構成している『理』の糸……臣屋藤乃。相変わらず、あんたの『知』は、あまりに整然としすぎている。––––––故に、脆い。昔の忠告の通りさ」
M.M.の大鎌が、再び宙を薙ぐ。すると、聖域を飛び交っていた魔導書の一群が、ぴたり、とその動きを止めた。
「なっ……!?」
藤乃が、目に見えて動揺する。
「私の《
「あんたの結界は、無数の『情報』と『魔力』の繋がりで成り立っている。いわば、巨大な生命体だ」
M.M.は、静かに告げる。
「そして、生命あるものには、必ず『死』があるのがお決まりだろう?―――俺のジョブは『死神』。その理を、少しばかり弄らせてもらっただけだ」
ユニークジョブ『死神』の権能。それは、生命はおろか、概念や術式にすら宿る「生命力」を観測し、それに干渉する力。M.M.は、結界を維持する魔力の流れ――その『命脈』を、一つ、また一つと、その大鎌で断ち切っていたのだ。スキル《デッド・ソウル・コンダクト》その真髄が、ここに現る。
「そんな、馬鹿な……! 私の『知』が、そんな曖昧な概念に……!」
藤乃の完璧な支配に、初めて亀裂が入った。
その好機を、戦場の獣たちが見逃すはずもなかった。
「―――今よッ!」
リルカが叫ぶ。
「クラマ、M.M.、楽! あの女の注意を惹きなさい! 私が、あの大元を叩き割る!」
リルカの視線の先にあるのは、天井で一際強く輝く、巨大な発光水晶。この大結界の制御コアだった。
「フン、命令されるんは気に食わないもんやね」
「へぇ!面〜白そうじゃん!」
「……仕方ない。ここは、一時休戦だな」
三人の男たちが、一瞬だけ視線を交わす。
次の瞬間、四つの頂点が、一つの目標に向かって同時に動き出した。
「行かせませんわ!」
藤乃が障壁を展開するが、
「遅ぇんだよッ!」
楽の《絶・狂戦士の本能》《イモータル・バーサーカー・ソウル》を乗せた拳が、障壁をガラスのように粉砕する。
「隙だらけやで、お嬢さん」
クラマの無数の分身が藤乃を惑わせ、その思考のリソースを奪う。
「–––––––––––––––死の揺りかごに、眠れ」
そして、M.M.の大鎌が、制御コアへと繋がる全ての魔力の流れを、完全に断ち切った。
「しまっ―――」
藤乃の防御が、完全に途切れた一瞬。
その頭上へと、天から降り注ぐ雷光の如く、リルカが舞い降りていた。
「すべて叩き落とす! ―――『天墜・雷戎衝閃』!!!」
轟音。
リルカの全身全霊を込めた一撃が、巨大な制御コアを直撃し、聖域全体が閃光に包まれた。
光が晴れた時、そこに広がっていたのは、静寂だった。
「はぁ、はぁ……」
リルカは、荒い息をつきながら、玉座の前に立つ藤乃を睨みつけた。
藤乃は、結界を破られたにも関わらず、不思議と落ち着き払っていた。彼女は、ゆっくりと手を挙げ、降参の意を示した。
「……見事ですわ。私の『知』は、貴方がたの予測不能な『混沌』に敗れたようです」
彼女は、まるで美しい詰将棋の終局を眺めるかのように、穏やかに微笑んだ。
「よろしいでしょう。交渉の席に着きましょうか。こちら側が提供できる範囲の情報でしたら、お渡しすることも吝かではありませんが……?」
藤乃が、探るような視線を征竜と幻影の面々に送る。
この場の主導権を誰が握るのか。リルカが、あるいはM.M.が、その問いに答えようと口を開きかけた、その瞬間だった。
【—————— World System Announce ——————】
ピーン、と。
場違いなほどに澄み切った、しかし、決して無視することのできない絶対的なシステム告知音が、破壊された聖域の隅々にまで響き渡った。
それは、通常の通知音ではない。BB世界の根幹に関わる事象が発生したことを示す、全プレイヤーに強制的に届けられる、神の啓示にも似た音だった。
目の前に強制表示されたシステムウィンドウ。そこに表示されていたのは、彼らが血を流してまで手に入れようとしていた、一種の答えだった。
《ワールド・システム告知:Ver.3.0 シナリオトリガーを検知》
≫ ユニークモンスター『オロチ』の初討伐を確認
≫ 討伐者: Party【リゼ , ルナ】
≫ 上記功績により、メインシナリオ『月天の風来坊』を開始します
≫ 同時に、全プレイヤーを対象に、サブシナリオ『アンゴルモア・ラスト・サン』を開放します
「……嘘でしょ」
リルカの口から、乾いた声が漏れた。
「リゼ……ルナ? 最前線で聞いたこともない! そんな奴らに、先を越されたっていうの!?」
「クク……ビンゴやな」
クラマが、面白そうに喉を鳴らす。
「今朝方フジヤマにいたという絶世の美少女。そのパーティの名前………リサーチが甘かったみたいやね。––––––藤乃はん、幾らか見当はついてるとちゃいますのん?」
クラマの問いかけに、しかし、藤乃は答えない。
彼女は、システムウィンドウに表示された、ある一つの単語を、食い入るように見つめていた。その瞳には、恐怖と、そして、長年の研究が結実する瞬間を前にした、学者の狂信的なまでの輝きが宿っていた。
「『アンゴルモア』……!」
藤乃が、震える声でその名を呟く。
(間違いない……! あの例の箱庭の奥底に潜んでいたという、禁忌の名……! それが、こんな形で、全世界に……!)
そして、その名を、誰よりも重く受け止めている者たちがいた。
「……チッ」
楽が、忌々しげに舌を打つ。
「最悪の名前を聞いちまったな、Mのアニキ」
「ああ」
M.M.は、静かに頷いた。彼の纏う空気から、それまでの余裕が消え、凍てつくような殺意が滲み出る。
「シンプルに、これまで時間をかけすぎた。………俺たちの過去に、きちんとケリをつけなければいけない時が来た。それだけだ」
重々しく述べ、沈黙するM.M.。
その場の空気は、もはや戦闘の熱気ではなく、どこからか生じた重圧によって、鉛のように張り詰めていた。
その沈黙を破ったのは、臣屋藤乃だった。
彼女は、先ほどまでの動揺を完璧に抑え込み、再び、この知の聖域の主たる、絶対的な冷静さを取り戻していた。その瞳には、もはや恐怖はない。ただ、解き明かすべき、あまりに巨大で、美しい謎を前にした、研究者の悦楽の色だけが浮かんでいた。
「―――皆様」
藤乃の声は、静かだったが、その場の全員の意識を引きつける、不思議な力を持っていた。
「どうやら、私たちが盤上で駒を動かしている間に、ゲームそのものが、盤をひっくり返してしまったようですね」
彼女は、宙に浮かぶシステムウィンドウを一瞥する。
「ですが、嘆いていても始まりません。Ver.3.0の開始に伴う、当面の行動指針――いえ、目標とすべきミッションを、ここでお伝えします」
それは、命令ではなかった。だが、この場にいる誰よりも早く状況を分析し、進むべき道を示した彼女の言葉に、リルカも、M.M.も、静かに耳を傾ける。
「––––––我ら三者三様にして、目的や行動の動機は違います。……しかし、ことこの局面において、重要となる至上目標は、三つ。存在します」
藤乃は、その白く細い指を一本、立てた。
「一つ。言うまでもありませんね。この物語の引き金を引いた『特異点』、プレイヤー『リゼ』と『ルナ』の捜索、及び確保。彼らが何者で、如何にしてこのトリガーを引いたのか。そして、メインシナリオ『月天の風来坊』彼らが、ここで何を見るのか––––––その全てを解明することが、この世界の理を知る上で、最優先事項となります」
彼女は、二本目の指を立てる。
「二つ。全プレイヤーに開放されたサブシナリオ、『アンゴルモア・ラスト・サン』の攻略。このサブシナリオが、何を意味するのか。そして、メインシナリオとどう関わってくるのか。これを放置すれば、我々は物語の潮流から完全に取り残されることになるでしょう」
そして、藤乃は、最後の三本目の指を立てると、その瞳に、挑戦的な光を宿した。
「そして、三つ目。―――それは、
「……!」
その言葉に、リルカが目に見えて反応する。
「バージョンシナリオの情報がご破産になった分、こちらで手打ちとしましょうか。––––––『ワタリ』の威信を持ってお伝えしますが、Ver.3.0の開始そのものが、第20回廊の攻略の前提条件で間違いありません」
「今この瞬間も、見当をつけていたであろう、他のギルド……『黒獣』や『燦兎』の連中が、我々を出し抜こうと、すでに動き出しているかもしれませんわね」
三つの、あまりに巨大な目標。
藤乃は、書庫に集った各人を、一人ずつ見据えた。
「もはや、私たちに争っている時間はありません。ですが、馴れ合うつもりも、当然、ありません。……ここからは、競争です」
「––––––ゲームクリアを目指すか。シナリオ踏破を目指すか。はたまた、この世界の裏側、真相に至るのか。………賽は投げられた、と言っていい状況でしょう」
「……面白いな」
M.M.が、静かにつぶやいた。
その瞳には、先ほどのアナウンスから消えず灯された、煌々と輝く灯りが見える。
「–––––––––ようやく、時が訪れた。俺たちの『過去』を、清算する」
「フン、望むところよ!」
リルカもまた、不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「その『特異点』も、新しい回廊も、なんならメインシナリオも!最初に手に入れるのは、私たち『征竜遊団』に決まってるじゃない!」
もはや、そこに言葉は不要だった。
異なる勢力は、それぞれの目的を胸に、静かに、しかし、迅速に、この知の書庫を後にしていく。
BB史上、最も混沌とし、そして、最も鮮烈な時代の幕が、今、静かに切って落とされた。
これより続くは、次なる間章―――『第五区域進行編』。
長らく停滞していた最前線が、ついに動き出す。
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