第42話

 先ほどまでの激闘が嘘のように海は凪いでおり、辺りには静かな潮の音のみが響いている。


 そんな普通なら心休まりそうな環境の中、私は倒れてしまったアリスに膝枕をしていた。倒れられた時には肝を冷やしたものだけど、どうやらただ気絶しているだけのようだ。大事でなくて何よりである。……本当に。


「……貴方も、そんな顔をするのですね。意外です」

「……」


 そんなアリスと入れ違いのようにして、イーディスには意識が戻っていたようだった。イーディスはアリスに剣で斬られたはずだ。しかし血の一滴も出ておらず外傷もほとんどない。にもかかわらずやはり彼女は依然として仰向けで倒れており、心底ダルそうにぐったりとしていた。これもおそらくアリスの〈不思議の国〉によるものなのだろう。


 命を狙われていたのに、本気の殺気に当てられていたはずなのに。この子はどこまで優しいのだろうか。


「……勇者イズミ、訊いてもいいですか?」


 するとイーディスがこちらに顔を傾けてくる。


「ん」

「……わたしはなぜ、負けたのでしょう」

「なにそれ。そんなの、アリスが強かったからに決まっている」

「……強かったから。けれど地力ではわたしが圧倒的に優っていた」

「違う。そういう強さの話をしているんじゃない」

「……?」


 イーディスは頭に疑問符を浮かべている。私はアリスの綺麗な金髪を撫でながら続ける。


「私が言っているのは意志の強さ。アリスにはそれがあった。そうなるように、アリスは努力した。一度挫けても、諦めずに立ち向かった。それからも、ね。そんな強いアリスにだからこそ、【七大権能】が追い付き、宿ったんだ」

「……なるほど。【七大権能】があるから強いのではなく、強いからこそ【七大権能】が宿る、と。そう考えるわけですか」

「ん。この子は強い。そして、強いだけじゃない。人を惹きつける、不思議な魅力も備えてる。私にとっては、アリスの方がよっぽど勇者だよ」

「……」


 気持ちよさそうに眠っているアリスのぷくぷくの頬をつつきながら、私はふとそんな言葉を零していた。普段の私ならこんなことは言わない。確実に雰囲気に流されてる。


 そう頭の片隅で思いながら、しかし私の彼女への想いが〝最初〟のころより比較にならないほど大きくなっていることに、今更ながら気づく。

 ……ああ、もう。これだから私は。


「……ふふっ。貴方は本当に、難儀な人生を送りますね」

「……」


 そんな私の姿を見て何かを察したのか、イーディスは口角を上げていた。


「異世界に転移する前。わたしはてっきり、和泉葵は里出流恭一と結ばれるものとばかり思っていましたが」


 ……なるほど。イーディスは日本の天使。転移前の私たちのことも知っていたわけか。


「……まあ正直。私も漠然となんとなく、そんなことを思っていた時期もあった」

「……へえ、そうなのですか。しかし、そうはならなかった。なぜです?」

「良くも悪くも、幼馴染は負けヒロイン属性だったってことだよ」

「……はあ。わたしには分かりませんが」

「そして何より、イーディスのお姉さんが無類の人たらしだったから、かな」

「……? …………。……はッ。あ、貴方もまさか」


 ――――そして〝君〟もね、アリス。


 イーディスは口をパクパクとさせ、今にもなにかが爆発してしまいそうな顔をしているが。


 そんな彼女をよそに、私はアリスの小さく可憐な唇に、人差し指と中指でそっと触れ、そしてその指をそのまま、自分の唇に当てた。


 少し甘いような気がして、私の胸はきゅっと締め付けられるように痛む。血が熱く、ドクドクと全身に巡っている。


 ……どうしようもなく、愛おしい。


 こんな気持ちは、もう二度と抱くことはないだろうと思っていた。


「……あの。……貴方、普段は澄まし顔で俯瞰していますけど」


 イーディスがジト目で、そんなことを言ってくる。


「なに」

「……実は貴方、とびっきりの恋する乙女ですよね」

「…………。うるさいな」


 ついアリスみたいな物言いになってしまい、私はアリスをちらりと見やる。


「……」


 ……起きていない。

 アリスが未だ気を失っている現状に安堵すると同時、けれど不思議と、こういうのも案外悪くはないかなと。

 かつて私が否定した、過去の私を肯定する自分が、今は確かにいることに。

 決して、悪い気分ではなく。


「……」


 そして。

 私はもう、なにかと戦っているわけでも、なにかを成し遂げねばならないわけでもない。

 今はただ、アリスがいるこの場所が心地いいのだ。

 ……だったら。だったなら。


「……」


 私はいい加減、ただの女子高生である、普通の女の子である〝和泉葵〟を。

 少しだけ、ほんの少しだけでもいいから。


「…………受け入れても、いいのかもしれないね」


 それは、今の私だからこそ、思うことができる言葉だった。

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