第36話

 江の島の隣に位置する腰越海岸。夕日が差し込み、幻想的な橙色の世界を作り出している砂浜では、剣戟の爆音が響き渡っていた。私が人払いと認識阻害の術式を行使していなければ、今頃大騒ぎになっているであろう事態だ。


「――ッ」

「……」


 私は先ほどから間一髪のところで相手の凶剣をさばき続けている。対するイーディスと名乗った天使は無表情。【七大権能〈鏡の国〉】とやらを使い、私と同じ竜の姿を取っている少女は淡々と紫黒の剣を振るう。表情豊かなアリスとうり二つの容姿を持っていることも相まって、違和感はぬぐい切れない。


「……っ」

「……」


 ……勝算はある、だなんて恭一君には言ったけれど、まさかこれほどまでとは。


 いや、少しも勝算がないわけではない。戦いの最中見えてきたのが、〈鏡の国〉はたしかに相手の能力を完璧に模倣する。しかし、どうやらその模倣先の人物がイーディスの前で未だ発動していない魔法や権能なんかまでは模倣できないらしいのだ。もしそれが可能ならば、イーディスはとっくに私の切り札を模倣、行使し、それこそ秒で決着がついていたであろうから。


 つまり、イーディスは私の今の状態を断続的に模倣している。そして先ほど江の島で晒してしまった【竜纏い 二式】を使ってこないことも考慮すると、模倣のストックもできないと考えていいだろう。


 勝算があるとすればそこだ。今やっているようにあえて最初から出力を抑えて戦い、時間を稼ぎ突破口を探るか、切り札を切りイーディスが模倣するまでのその一瞬にすべてをかけて勝負を決めに行くか。その二択。


 いまのところ私は前者の択を取っているがしかし、それもいつまで続くだろうか。イーディスは自身固有の魔法までも、自分に上掛けしている。常に私の一歩先を行かれている状態だ。そんな状態を長引かせてしかも突破口を探るなど、不可能に近い。


 けれど後者もやはり厳しい。イーディスが私を模倣している間に隙があるのかも未知数、そして一撃で勝負を決められるかどうかもかなり怪しい。


 なぜなら私は【竜纏い 一式】の状態で、私の切り札を一発は耐えることができる自信があるから。今のイーディスは私の【竜纏い 一式】を模倣している。

 つまり――耐えられる。イーディス固有の身体強化魔法も上掛けされている、今の状態ならばなおさらに。


「表情が芳しくありませんね。どうされました?」

「……理由はわかっているのにあえて問うてくる。それ、君たちの良くないところだから」

「そうですか」

「――」


 私はかち合っていた自身の剣を斜めに傾け、イーディスの剣を流し柄頭で相手の左胸を打つ。


「……!」


 がしかし、半身を引いて避けられた。続けて私は回し蹴りで牽制。


「……ッ」


 イーディスは上半身を折り、私の蹴りは彼女の頭上を通過する。

 私はすぐ様に軸足を浮かせ、空中で身をよじり片手で剣を上段から振るった。


「……」


 けれどそれすらもイーディスは剣で防ぎきってみせ。そしてイーディスの空く右手には反撃の銀色の魔力が渦巻いている。


 ……これもダメか。


 仕方なく保険を発動。


「……」


 私自身もまたイーディスと同じように、剣を持たないもう片方の手のひらに魔力を溜めていた。

 彼女よりも速く魔力を解き放つ。


「……!?」


 私とイーディスの間には爆風が吹き荒れ、双方衝撃で軽く後方へと飛んでいった。


 両者の間合いは一刀一足の外となる。

 戦闘が始まってからずっと、こんなことの繰り返しだった。


「流石の判断力、身のこなしですね」

「……昔、中国雑技団をしていたことがあるから。これくらいはお手の物」

「んふふっ、面白いです」

「そこは騙されるかツッコむかの二択でしょ。やっぱり君じゃダメだね」

「……? なんのお話でしょう」

「私とアリスの、夫婦漫才の話」


 私はゆらりと立ち上がり、青色の直剣を握りなおす。

 ……さて、どうしたものか。正直軽口を叩ける場面ではないのだけど。もはやワンチャンにかけて切り札を切るしかないのか。


「……」


 というかそもそも、どうしてこの私がこんなことになっているのだろう。いつもの私ならば、勝てない勝負には乗らないはずなのに。どうしてこんなにも勝率の低い賭けに乗っているのだ。


「……」


 ……いいや、違うか。今の私だって、ちゃんといつもの私だ。なにか違うことがあるとすれば、それはきっとアリスの存在なのだ。


 なにせ、久しぶりなんだ。守りたいと、心の底からそう思える人が出来たのは。久しぶりなのだ。私が、私以外の誰かのことを大切に思えたのは。

 初めてなのだ。私が、私以外の誰かに、生き方を教えてもらったのは。


「……」


 だから、余計なことは考えるな。それこそ和泉葵らしくない。

 私は私のために、私の大切なアリスという存在を命を懸けて守り抜く。それ以上でも以下でもない。それ以外は、不必要だ。ただちに断ち切れ。切り捨てろ。


「――」

「……。なるほど。ようやく本気を出す気になったようですね」


 気取られた。しかし構わない。

 私は両手で握っていた直剣をだらりと下げると、【竜纏い】を解く。制服姿に戻った私はそして、魔力を急激に高め始める。ぶわっと、白色の魔力の風が、私の黒髪を靡かせる。私を中心に、ものすごいエネルギーが集約し、刹那私は、【七大権能】を解放させる――


「――やああああああぁっ!!」


「――……はッ?」


 そんな間の抜けた声が聞こえたのは、私が権能を発動させる、その瞬間一歩手前だった。


 同時、緩やかな放物線を描いて、どこからともなく一振りの剣がイーディスの頭上に飛んできていた。刹那、カッと――


「ッ――」

「……ッ!!」


 ゆったりと宙を舞っていたその謎の剣は突如として爆発し、辺りに閃光を撒いたのだ。あまりの眩しさに私は目を細め手で庇を作りながらも、高めた魔力は解いてしまっていた。


「……?」


 すると閃光の最中、誰かが私の横を通り過ぎていく。なにやらやけに大きいなにかを携えて。重そうに引きずりながらもその人は、イーディスに向かって駆けていく。そして、


「――おもっ!? じゃなくて!!!! らああああぁ!!」

「――ッ!?」


 閃光が引く。なぜかイーディスは回避行動をして、渋面を作り出していた。その視線が走る先。私の目の前には、堂々とイーディスの前に立ちはだかる少女の後ろ姿があった。


 金色の長髪を揺らし、アホ毛がぴょこぴょこと動いている。ブレザーを翻し、ミニスカートが風に靡く。きっと前頭部には、トレードマークの黒いリボンがあるのだろう。可憐ながらも、凛々しい印象さえあるその少女はやがて、半身だけ振り返り、私に向けニコッと、誰かとそっくりの人好きのする笑みを浮かべた。そして――


「遅くなってごめん! でももう全部吹っ切れたから!! 助けに来たぞ――葵っ!!」


「――――ッッ」


 瞬間、不覚にも目を丸くして、私の全身にはなんともいえない激情が走った。

 その少女の姿を見て、あらゆる疑問をさしおき、どこかホッとしてしまった。

 思わず、目頭が熱くなってしまった。


 ――鼓動が、高鳴ってしまっていたことについて。


 どうか〝君〟に、バレていなければ良いな、などと。

 私は今、どんな表情をしてしまっているだろうか。

 変な顔でなければ良いな、などと。

 そんなことを、刹那的に、咄嗟に思ってしまった私は。

 私自身を、私は。


 心の中で、少しだけ笑った。

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