第35話

 わたしの部屋では今、パパへのお説教タイムが延々と続いていた。わたしはベッドの端で仁王立ちし、その前には姿勢よく床の上で正座をしているパパの姿。ダイナはお眠のようで途中からそこらへんに転がって寝ている。こいつは今日ご飯抜きだ。


「大体! パパは年頃の娘に対してあまりにもデリカシーってものがなさすぎっ!!」

「……はい」

「今までずっと我慢してたけどわたしのこと『にゃん』づけで呼ぶとことか!! 妙に距離感近いとことか!! たまにわたしに対して赤ちゃんを諭すような言葉遣いをするところとかっ!!!!」

「……はい」

「わたし、いつまでも子供じゃないんだよ!? もう16歳!! 思春期なの!! それなのにパパはいつまでもわたしにベタベタベタベタベタベタベタベタ……!! はっきり言って恥ずかしいんだよ!!!!」

「で、でもさありすにゃん。そうかもしれないけどさ、俺にとってありすにゃんは今までもこれからもずっと可愛い娘で子供であって……」

「しゃらっぷ!!!!」

「……ィエス」

「わたしは別にパパの娘であることが嫌だとか、わたしはパパの子どもなんかじゃないって言いたいわけじゃないんだよ!?」

「……はい」

「むしろその逆!! わたしはパパのこと尊敬してるし愛してる!! 男手一つでここまで育ててくれたことにも感謝してる!! でもさっ!! 繰り返すけどわたしは今16歳なんだよ!! 昔のままじゃないんだよ!! もう少し接し方を考えてくれてもいいんじゃない!?」

「……はい」

「今だって!! 明らかに落ち込んでる娘の部屋に入り浸って!! 解決方法をネットで調べて!! あまつさえそれを本人の前で音読してたんだよ!?!?」

「……はい」

「ほんっっっとうにありえないよ!! パパだって自分の立場になって考えてみたらそんなの絶対に嫌でしょ!?」

「…………はい」

「わかったならこれからはもっと自分の行動を客観視して!! そして改めて!! 努めて!!!!」

「…………はい」

「もっと心を込めて!!」

「はいッ!!!!」

「……はあぁぁぁ」


 わたしはドサッとベッドに倒れこむ。……流石に疲れたな。そりゃそうか。さっきから大声張りっぱなしだったもんな。


「……だ、大丈夫かありすにゃん?」

「……誰のせいだと」


 反射的にギロリとパパを睨む。


「……は、ははは~。そ、それよりも葵が誰かのために動くなんて珍しいよな~。あ、ありすにゃんもそうおもわない???」


 太平洋くらいなら軽々と泳ぎ切れそうなほど目が泳いでいるパパは、これまた露骨に話題を逸らしてくる。なーにがそう思わない??? だ。しかし、葵がなんだって?


「……なにそれ。どういうこと?」

「えっ? ……ええっと。いやさ、今回葵がありすにゃんのためにあのイーディスとかいう娘を倒しに行ったことが、あいつにしては珍しいなって思って」

「……」

「ほら、葵って基本自分のこと以外どうでもいいって思いながら生きてる節があるだろ。だからさ、葵にとってありすにゃんはいないと自分が保てなくなるほどの存在になってるってことなんじゃん?」

「……それは、違うと思う」


 すると、さっきまでおろおろとしていたパパが、突然不思議そうな顔をする。


「なんでだよ?」

「……もし仮に、わたしが葵にとって大事な存在だったとして。それで、わたしがいなくなってしまったとしても。その時、葵はきっと、動じない。自分が保てなくなるなんてことは、ないと思う」

「……」

「葵は強いから。葵は、わたしなんかよりもよっぽど強いから。だから、そんな些細なことくらいで葵は動じない。傷つかない。響かない。届かないよ」

「……ははーん、なるほどな」

「……?」

「ありすにゃんから見た葵は、そんな風に映っているわけだ」

 パパが、そんなことを呟いていた。それって、一体……。

「俺から言わせてもらうとな。葵はそんな大層な人間じゃないぞ」

「……」

「今の葵は確かに強いのかもしれない。なにを言われても動じないし常に飄々としている。自分のうちに大事なたった一つを持っていて、それ以外は心底どうでもいいと思っている。それを裏付ける意志力もある。俺だって普段は癪で言わないけどさ。葵のこと、すげえ奴だって思ったことなんて何回もあるんだ」


 すらすらと、葵の強さを並べていく。そんなパパの姿を見て、やはりとわたしは納得する。……なんだ、パパだってわかっているじゃないか。


「……そう、だよ。その通り、パパの言う通りだよ。葵は――」

「――でもな、元々のあいつはとんでもなく弱い奴だったんだぜ?」

「――えっ?」

「昔はすぐ風邪なんか引いて身体が弱く、そして内気だった。ことあるごとに幼馴染である俺の後ろに隠れて、服を引っ張って泣いていたくらいだ。おかげで小中の時の俺の服はなんでもかんでもが伸びちまってたけどな。いやはやまったく、あの時の葵は今とは比べ物にならないくらい可愛かったな――げふんげふん、間違えた。とにかく少なくとも昔の葵は、ありすにゃんが思うような強いあいつじゃなかったってことさ」

「……葵が?」


 今の葵からは、そんな彼女はとても想像ができない。そう思わせるほどに、今の葵の印象がわたしの中では強すぎるのだ。


「ああ、そうだよ。あいつの唯一の幼馴染である俺が言うんだから間違いない」

「……」

「そんな風が吹けば飛んで行っちまいそうな葵だったけどな、中学卒業を境に変わっていったんだ。なにを言われても泣かなくなって、俺を頼ることだって少なくなった。飄々とした態度をとるようになり、物事を俯瞰してみるようになっていった。そして暫くたったある日に、俺と一緒に異世界転移して。そっからさ。あいつがありすにゃんも良く知る、今の葵になったのは」

「……」

「ありすにゃんよ。俺が言いたいこと、わかるか?」

「……わからないよ」

「いいや、わかっているはずだ。ありすにゃんは頭がいいからな」

「……」

「俺は察しろとか空気読めとか。そういう雰囲気がすっげえ嫌いだからさ、ここから先もちゃんと言葉にするぞ」

「……」

「――葵のあの強さは、元々あいつに備わっていたものじゃない。あいつがああなりたくて、そういう努力をして、あいつなりに得ていったものなんだ。ありすにゃんの目に映る今の強い葵だって、出発地点はありすにゃんと変わらない。葵の幼馴染で、ありすにゃんの父親の俺だから良くわかる。葵とありすにゃんは似ているよ。元々の自分が気に入らなくて、強い自分になりたくて、必死に努力しているところまで全部一緒だ」

「……」

「だからさ、葵は強いからなんでもできる、自分は弱いからなにもできない、だとか。そういうつまらない言葉で簡単に片づけるのはナシにしようぜ」

「……」

「葵が強いのは、葵が元々強かったからなんかじゃ決してない。あいつがああなりたいと思ったから、ああなることが正しいと信じているから。強くあろうとしているから、葵はあんなにも強いんだ」

「……」

「あいつは強いから、わたしは弱いから、だから全部仕方ない。そういう話じゃないだろ。弱いなら、強くなればいい。今の自分が気に入らないなら、理想の自分を演じ続ければいい。そうやって、人は強くなっていくものだ。ありすにゃんだって、もうそれを知っていたんだろ?」

「……」

「ありすにゃんと葵には元々、差なんてほとんどなかったんだ。それなのに、ありすにゃんが葵との間に差を感じているのなら、それはきっとありすにゃんの意識の問題だと思う。後一歩、必要なのはありすにゃんの意思だけなんだよ」

「……っ」

「なんて、らしくもなく長々とそれっぽいことを喋っちまったが、ここからはありすにゃんの気持ちの問題だな。――ありすにゃんは、これから一体どうなりたいんだ?」

「――」


 ……わたしが、どうなりたいか、だって? わたしが、どうなりたいのか、って。そんなの、一つに決まっている。決まっているじゃないか。昔から。ずっとずっと。わたしの心の大事なところに、ずぅーっとしまっておいたから。わたしの人生で、一番大切な物。ずっとああなりたいと憧れ、〝夢焦がれていた〟もの。しかし、それは……、


「……わたしは、」

「……うん」

「わたしは……ゆうしゃに、なりたくて……」

「……」

「ずっとずっと、小さいころからずっと。あの日、小さな心の檻みたいな部屋で、ゆうしゃに救われた時から。憧れた時からずっと変わらず……」

「……」


 ――人生で初めて憧れた。人生で初めて夢が出来た。あの日の情景がフラッシュバックする。


「ゆうしゃみたいに、つよくなりたくて……!」

「……うん」


「わたしは、ゆうしゃのつよさに憧れた!! あんなふうに強く振舞えたらどれだけいいだろうって毎日夢に見た!! ゆうしゃみたいに強くなることが夢になって!! だからわたしも、ゆうしゃみたいに、強い自分を演じるようになった……!!」

「……」


「ぜんぶは、ゆうしゃみたいになりたかったから……!! わたしも、ああなりたいって心底おもったから……!!」

「……うん」


「でも、ダメだった……!! どれだけ強い自分を演じたって、わたしは弱いままだった!!」

「……」


「――わたしはぁ、ゆうしゃになんて!! なれなかった……!!」


 声がかすれる。目頭が熱い。頬に流れる違和感を覚える。今までわたしが必死にせき止めていたなにかが、すべて噴き出してしまっているかのようだった。


「あのとき!! わたしは足がすくんで動けなかった!! 葵を助けなきゃって、頭ではわかっていても、こわくて動けなかったんだっ!!」

「……」


「強かったらうごけた!! ゆうしゃだったらうごけた!! ――葵だったら、きっとうごけたんだ!!!!」

「……」


「……わたしだったから、うごけなかったんだ」

「……」


「……わたしは、いくら努力したって、強くなんてなれない。わたしは、いくら自分を騙しても、強くなんて――」


「――一回の失敗が何だってんだよ。葵だって俺だって、何度も何度も失敗してきたんだぜ?」


「……えっ?」


 わたしはおもわずパパを見る。するとパパは、ニッと不敵に笑っていて、


「葵もさ、異世界に転移したての頃はたくさん失敗を繰り返してた。挫折だって、何回したかわかんないんじゃないか? それでも、あいつは諦めなかった。だからこそ、今のあいつは強いんだ」

「……」


「一回の挫折がなんだってんだ。怖くて動けなかったからなんだってんだよ。そんなの、俺にだって経験があるぜ」

「……ぱぱ、も?」


「ああ、そして多分葵もな。そりゃそうだろ。初めて他人の本気の殺気に当てられて、少しもビビらないってやつがいたんならそいつはきっとイカれてる」

「……」


「んまあ要するに、大事なのはそのあとだ。それを乗り越えることだ。怖くて竦んじまったことは、なにも恥じることじゃない。本当に恥ずべきは、立ち向かわずに逃げてしまうことだよ」

「……」


「それを踏まえて、俺はありすにゃんに訊いているんだ。ありすにゃんは、これから一体どうなりたいのか。そうなるために、今すべきこと、したいことはなんなのかってな。

 ――人生ってのは常として、ノイズが多すぎんだ。だから自分の中のあらゆるものを天秤にかけて、自分にとってたった一つの大切なナニカを見定めることこそが重要なんだと、俺は思うぜ?」


「――っ」


 ――もし勇者が、アリスが思っているほど強い人間でなかったとしたら。


 ――もし、勇者が、弱い自分が嫌いで。弱い自分を殺したくて。強い自分になりたくて。理想の自分を、演じていただけだったなら。


 ――強い、本物の勇者に憧れたアリスはきっと。失望、しちゃうかな?


 そんないつかの言葉たちが、わたしの脳裏でリフレインした。

 葵があの日、言った言葉。あれをわたしは愚直にも葵が言った通り、もしもの勇者の話だと思っていたけれど。


 もしかしたらあれは、葵自身の話だったのではないか。だからあの時の葵はあんなにも、泣きそうな顔をしていたのではないか。


 だとしたら葵は、これまでも今だって思い悩みながら。それでもなお、理想の自分を演じ続けてきたのだろうか。何度くじけたって、それでも葵は、歩み続けてきたのだろうか。強い自分になることを諦めなかったのだろうか。


 理想の自分に、少しでも近づくために。


 わたしはそれを知りもせずに、『葵は強いから』なんて、月並みな言葉で片付けようとして。誤魔化そうとして。わたしとは違うからと、頭から否定して。


「……」


 葵がそこまで頑張っているのに、わたしは尻尾を巻いて逃げるのか? 葵とわたしが同じだったことを知って、わたしはわたしを否定できるのか? 葵がかつて直面したであろう一度の失敗で、わたしは夢を諦めてしまうのか? 


 ――かつてわたしが憧れた夢は、そんなに薄っぺらいものだったのか?


 ――違う。


 ……違うだろ。


 なにがなんでも叶えたかった夢だったはずだ。


 すべてかなぐり捨ててでも、叶えたかった夢だったはずだ。


 心の底から、魂の奥底から、ああなりたいと深く思ったはずだろう。


「……」


 それに。葵は今も、わたしのために戦っている。今もあの凶悪な敵に、勝てるかもわからないのに、たった一人で立ち向かっているのだ。


 葵はわたしの友達だ。初めてできた、大事な大事な友達なのだ。

 ちょっと……いやだいぶ変態で、うっとおしい時だってあるけれど、葵はわたしの大事な人だと、胸を張って言える。そんな葵を見捨てるだなんて、それは嘘だろう。


 わたしはそんな人間にはなりたくない。大事な人を見捨てる人にはなりたくない。助けられる人でありたい。大事な人を、守ることができる人でありたい。友達くらい、ひょいひょいと助けることができるくらいに強くなりたい。


 ――勇者みたいに、強くなりたいんだ。


 だから、、


 だから――!!



「――わたしは葵を、助けに行きたい……!!」



「ああ」

「今もまだ怖いけど!! 体が震えて止まらないけど!! でもっ!!!! 葵がいなくなってしまうことの方がずっと怖いから!! 葵を見捨ててしまうことができる自分になる方が、よっぽど怖いからっ!!!!」

「うん」


「だからっ!! だからぁっ!!」

「うん」



「――――わたし、葵を助けに行きたいっ! 助けに、行きたいよぉぉっっっ!!!!」



 顔をぐちゃぐちゃにして、床を目いっぱいぬらしながら、わたしは気づけば叫んでいた。そんな言葉たちが。なりふり構わずに叫んだ言葉たちが、わたしの胸にはすとんと落ちた。それがきっと、わたしの魂から滲み出た、まごうことなき本音だったのだろう。


 そんなわたしを前にして、パパはへへっと、くすぐったそうに笑う。そして――



「行ってこい、アリス」



 それは、わたしが今、一番欲しい言葉だった。


「――っっ。……ぅん。……うん。……行ってきます!」


「……むにゃ。……おや、アリス様、おでかけですかぁ? だったら私、ふぁみちきが食べたいです~。帰りにあそこの、え~、せんぶんいれんぶん? で買ってきてはくれませんか?」

「「……」」

「……なんですかぁお二人とも、私を見て。もしかして、寝ぐせでもついてます?」

「……」

「……あのねダイナ。セブンにファミチキはないよ」

「あれ……? ああ。たしか、ふぁみちきまーと、でしたっけ」

「違うよ。どこだよそれ。ファミチキ専門店かよ。あとおまえ、ファミチキとか悠長なこと抜かしてるけどね。ダイナ今日ご飯抜きだから」

「なぜですかアリス様!?」

「「……」」


 当人に自覚はこれっぽっちもないらしい。

 なんというか、色々と台無しである。

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