第34話

 どうやって帰ってきたのかも、正直覚えていない。なにもかもが曖昧に思えて、記憶もおぼろげだ。頭が重く身体も怠くて、自分と世界の境界線だってわからない。自分が何者なのかも、何者になりたかったのかもすべて、水面に映った月よりもひどくおぼろげで。


「……」


 たぶん、最低でも既に二時間は経っていると思う。葵は未だ連絡もつかず、わたしは自室のベッドに潜って無為に時を過ごしている。


 ……いや、本当はその気になれば葵の居場所だってわかるし、今から助けに行くことだってできるのだ。そうしないのはきっと。そうできないのは、きっと。わたしが、どうしようもなく弱いから。


「……」


 あれからずっと地に足のつかないふわふわした状態が続いていて、まるで醒めない夢の中にでもいるかのようだった。


 ……いっそ夢ならばよかった。夢ならば、どれほどよかっただろう。


「……なるほど。そういうわけで、アリス様はこう不貞腐れているわけですね」

「そうなんだよ。年頃の女の子ってこういう時凄く繊細じゃん? だからさ、曲がりなりにもかろうじてギリギリのところで、女子っていう共通項のあるダイナになんとかできないかなって思って相談してみたわけだ」

「相分かりました」

「……ツッコミ不在ってこんなにも恐ろしいものなのかよ。いや、ボケた俺が言えることじゃないけどさ」


 こうしていると、引きこもっていた子供時代を思い出す。あの時も今みたいに無力でなにもできなくて、こうしていてもなにも意味がないと分かっておきながら、ひとり自分の部屋で腐っていたんだっけ。


「私は気が落ち込んだ時は大抵、好物を大量に食べますね。あとは暴れてみたりお酒を飲んだり、でしょうか」

「野蛮すぎんだろ! どこのサラリーマンだそれは!!」

「さらりーまん? なにかの部隊の名前でしょうか」

「……ああ、そうだな。まごうことなき先鋭部隊だよ。なんてったって、ここ日本は彼らサラリーマンたちによって成り立っていると言っても過言ではないくらいだからな」


 あの時は初めて勇者の冒険譚を読んで、勇者に憧れて。勇者のように強い自分を夢想して。そうしてようやっと、立ち直ることが出来たけれど。


「じゃなくてさ。もっと女の子っぽい対処法や接し方なんかを期待しているんだ俺は。相手はありすにゃんだぞ。もっと真剣に考えてくれ」

「そう言われましても……。ううむ。……ええっと、あれはどうです? いんたーねっと、に訊けば良いのではないですか? あれは万物を司る日本の賢者なのですよね? 私が何万人何億人いようといんたーねっとの前では蟻同然に無力であり、日本国民は皆一様にいんたーねっとの奴隷だとイズミが言っておりました」

「……あいつホントにロクでもないな」


 しかし今回は違う。根本から違うんだ。今のわたしは、あの時よりももっとひどい。なにせ今のわたしは、


「うんと、思春期女子、スペース悩み、スペース解消法。……おっ、『気難しい中学生、反抗期女子の特徴と接し方のポイント』だってよ」

「今のアリス様にピッタリではないですか。流石はいんたーねっと、そして恭一様ですね!」

「いやいや、期待してた方向性とは少し違うが俺の方こそダイナに相談してよかったぜ。俺だけだとどうしてもネットって選択肢が出てこなかったからな」

「えへへ、そうですか? そんなこと言われると素直に嬉しいです~」



「――二人とも部屋から出てってくれないっっっっ!?!?!?!?」



「おわっ、びっくりしたぁ。なんだよありすにゃん、いきなり大声なんか出しちゃって」

「そうですよアリス様。驚いたではないですか」

「びっくりしたぁ、じゃないからっ!! 驚いたではないですか、でもないからっ!! いちばんびっくりしてるのはわたしだからぁっっ!!!!」

「お、落ち着けよありすにゃん。……あー、えっと『思春期中学生女子は屁理屈っぽい。火に油を注がぬよう冷静に対処することが重要』ふむふむ」

「そのサイト読むの禁止!! 今のわたし至極真っ当なこと言ってるから!! なんにも屁理屈じゃないからっ!! 現在進行形で火に油注いでるからぁっっ!!」

「……『女子中学生の話はよく聞くこと。大抵のことは大目に見てガミガミ言わないこと。あまり刺激しないこと』なるほど」

「なるほどです」

「読むなって言ってんだろ!! なるほどじゃないから!! さっきからそれ一つも実践できてないからっ!! ていうかそもそもわたし中学生じゃないからぁぁっっ!?!?」

「……『過度な期待、過干渉に気をつける』」



「よむなぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっっっっっ!?!?!?!?!?!?!?」



「「……」」

「……ふーっ、ふーっ、ふーっ」

 一息にツッコんだからありえない息切れがわたしを襲う。

「……ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふぅぅっ」

「…………。……あ、ありすにゃん?」

「…………なに」

「……読まないからさ、せめてブックマークだけしてもいいかな……?」

「……」


 ……ワカッタ、ワタシ、コノチチオヤ、コロス。

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