第31話

 そんな雑談を交えて、なんやかんやでわたしと葵は狭い仲見世通りを抜ける。すると次に現れたのは、大きな赤い鳥居と長そうな階段だ。江の島は階段がめっちゃ長いと聞きかじったことがあるけど、これがそうなのかな。


 そう頭の片隅で思いながら階段をのぼり進めていくと、なにやら江の島エスカーなるものが目に入った。


「江の島エスカー? なにそれ」

「江の島の階段は長いからね。のぼるのが辛いという人向けにエスカレーターが複数個設置されているの」


 わたしは江の島エスカーが物珍しいため、つい看板を凝視してしまう。


「へえ、なるほどなー。ってん? これってお金がかかるの?」

「ん。私は使ったことがないから使い心地なんかはわからないけれど」

「だったらわたしもいいかな。なにせわたし、今んとこ全然疲れてないからね! この調子ならたぶん楽勝だぞ」

「そう。なら私は江の島エスカー使うね」

「なんでだよ!?」

「いや。安全圏のエスカーからアリスが汗水たらして必死に階段をのぼっていくさまを眺めていたいなって」

「おまえ本当にいい性格してるよな!!」

「よく言われる」

「一応言っとくけど褒めてないぞ!?」


 葵が楽しむような事態には決してならないからな! こんなのわたしにかかれば朝飯前だ。息切れ一つなくのぼれるわ!


「アリスの身長は私の身長の半分くらいしかないからとても疲れそう」

「言いすぎだろ!? 半分は確実にあるよっ!」

「……ん、そうだね」

「なんだよその憐れむような目は! あるよな!? わたし葵の半分の身長くらい流石にあるよな!?」

「……今度一緒に測ろう」

「いやあるから! なきゃおかしいから! わたしそんなに小さくないからっ!!」


 ともあれそんなこんなでわたしは階段、葵はエスカーで頂上を目指すことになった。かくしてわたしと葵の真剣勝負(?)が始まったわけだが……。


「……ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」


 結論から先に言おう。めっっっっちゃ疲れた……。

 わたしは地面に這いつくばりながら、なんとか頂上までのぼりきった。するとエスカーから涼しげな顔の葵がてくてくと歩いてくる。


「お疲れさま。どうだった?」

「……っ、どうもこうも……、ハァハァ……このありさまをみれば、……ハァハァ……」

「エスカーも乗れば割といいものだったよ。新鮮で興味深かった。アリスも乗ればよかったのに」

「……お、まえ……ふざけ、ハァハァ……」


 ツッコミにキレが出ない。いつものわたしなら、気の利いたツッコミですでに会場を5つくらいは沸かせているというのに。


「じゃあアリスはあそこのベンチにでも座っていて。私は飲み物を買ってくるから」

「……た、たのむ……ハァハァ」


 そう言うと、葵はどこかの自動販売機へ。

 一方のわたしは、のろのろと歩きながら葵に促されたベンチに腰掛け一呼吸。


「……ふうぅぅ」


 ……めっちゃくちゃ甘く見ていた。江の島を甘く見すぎていた。一回階段が途切れた時は勝ちを確信したものだけど。本当の戦いはそれからだった。階段が途切れて頂上かと思いきや、少し歩いてまた階段。途切れる。階段。途切れる。そろそろ頂上? 否階段。その繰り返しである。


 途中エスカーに乗ろうかと葵の方をちらちらと見ていたけど、それはわたしのプライドが許さなかった。葵の『もうギブ?』みたいな顔にムカついたというのもある。結果、最終的には根性のみでのぼりきり、そしてここまで疲れ果ててしまったというわけだ。


「……」


 ようやく呼吸も整ってきた。わたしは周囲を見渡してみる。わたしのいる場所の周りは草木に囲まれていて、遠くには海も見えた。絶景だ。やっぱり結構のぼってきたんだな。そりゃここまで疲れるわけだ。


 そうしてわたしは一人ベンチに腰掛けぼけーっとしていると、こちらに歩いてくる人影があることに気づいた。一瞬葵かな? とも思ったがそれは葵よりも背格好が明らかに低い。するとそいつはわたしと同じベンチまで歩いてきて、隣に腰掛けてきた。


 わたしはふと、ちらっと隣を見る。その人、小さな体を黒い外套ですっぽりと覆い隠し、頭までもフードを被っていた。しかしそのフードからは銀色の長髪や、長いまつ毛が少しだけ覗いている。わたしとほとんど同じくらいの華奢な体躯も相まって、きっとこの子は女の子なのだろう。


「――貴方、ここには一体どうやって来たのでしょうか」


 瞬間、隣の少女がわたしに話しかけてくる。高音で綺麗な声だと思うと同時、どこか懐かしさを孕む声だった。突然だったからちょっとびっくりしたけど、わたしは慌てて口を開く。


「……んえ? わたし、だよね?」

「そう、貴方」


 ……うーん、ここにはどうやってきたのかって訊かれてもな。


「普通に電車を使ってきたよ。江ノ電。藤沢で乗り換えてさ」

「そうではありません」

「……? ああ、どうやってのぼってきたかってこと? それならわたしはエスカーを使わずに――」


「――日本、もとい地球へは、どうやって来たのかと問うているのです」


 ――刹那、空気が張り詰める。


「……えっ?」


 少女の瞳は、見えない。フードを目深まで被っているためだ。しかし、少女の瞳があろう場所から、わたしは目が離せない。……地球へ、って一体どういう――


「ええっと、ごめん。どういう意味かわかんない」

「…………。そうですか。わかりました」


 そう言うと、少女はベンチから立ち上がる。そして座っているわたしと真正面に相対すると、何気ない動作でフードをめくった。


「――は?」


 銀色の長髪が零れ落ちる。大きくまん丸い瞳は、底なしの大海を思わせるほどに碧い。まつ毛が長く、肌が透き通るように綺麗でしかし、妖精のように儚げであどけなさの残る――違う。そうじゃない。


 そういうことではない。そういうことではないのだ。

 少女の顔には、見覚えがあった。いいや見覚えしかない。だってそうだろう。

 わたしは毎日、その顔を、〝鏡の前〟で見ているのだから。

 わたしの金髪とは髪色こそ違えど、――目の前の少女は、どう見たってわたしと瓜二つの顔をしていた。


「――」


 わたしが少女の素顔を見て固まっていると、やがて少女は小さな小さな口を開く。


「貴方は、天使であるにもかかわらず、同時に魔族の血を引いている。それどころか、世界の調律を乱し続けています。貴方の存在は、百害あって一利ない」


 ……なにを、言って。


「なによりわたしが、ロリーナ姉さまの娘である貴方を認められない」


 ……ろりーな、ねえさま……?


「……きみは、いったい」

「……ああ、自己紹介がまだでしたね。わたしはイーディス。今から貴方を排除する、ただのイーディス。それ以上でも以下でもない、ただのイーディスです」


 音を立てることもなく。いつの間にか、少女の手には紫黒の直剣が握られている。


「――死んでください」


 やがて、握られた紫黒の直剣が、わたしめがけて、振るわれて――



「――【竜纏い 二式】」



 ――しゃん、と、鈴が鳴るように透き通った、美しい声がした。

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