第32話

 シトラスミントが香る。

 刹那、わたし目掛けて振るわれた剣が寸前で防がれる。

 紅く変化した髪と瞳、片手には青色の直剣。以前とは違い、背には竜の翼を一翼、携えたその少女。


「アリス、怪我はない?」


 イーディスの紫黒の剣と切り結びながらも、平然とわたしに向けて言葉を投げてくる少女。そんな人物をわたしは一人しか知らない。


「……あ、葵!?」


 わたしはハッと我に返る。葵はかち合っていた剣を振り切ると、イーディスは後ろに軽く飛んだ。黒い外套がふわりと揺れる。


「……勇者イズミ。いいえ、アルテアロゼア。それとも、この世界では和泉葵と呼ぶべきでしょうか」

「どうでもいいけど。強いて言うなら和泉葵が良いかな。それで君、何者?」

「大方察しはついているでしょう」

「いや、君が天使だということはわかるのだけど。そのアリスそっくりの容姿について訊いている」


 瞬間、イーディスはわずかに表情を歪める。


「……はあ。アリスそっくり、ですか」

「……? ……。……ああ、そういうこと」


 ……なにがそういうことなんだ。わたしには意味が分からないぞ。


「――とにかく、アリスは殺させないよ」


 そういうや否や、葵は強く踏み込むと、イーディスの目の前まで瞬時に移動する。イーディス目掛けて剣が振るわれた。


 しかし、対するイーディスも反応速度が速い。イーディスの動きは軽く、それでいて速い。的確に葵の剣をいなし続けている。まるで、蝶が舞う様を眺めているかのように優雅で……。


「――その動き……」

「どうかしましたか?」

「……別に」


 葵の背の翼が強く輝く。地面が抉れる。翼から紅蓮の炎が噴射され、葵の勢いが増す。葵が両手で剣を握ると、下段から一気に斬り上げた。

 やはり剣で受けていたイーディスもしかし、反動までは殺せない。大きく後方に吹っ飛んでいった。


「……」

「手ごたえを感じない。そんな顔をしていますね」

「……っ」


 剣の上からとはいえ先ほどの葵の一撃を受けたのにもかかわらず、イーディスの様子はなんでもないようだった。


「……貴方の【七大権能】、〈核喰らい〉でしたか?」


 イーディスがそう、ぼそりと呟き、刹那――


「――【竜纏い 二式】」


 ――どこかで、聞いたことのあるような声がした。

 瞬間、イーディスの身体全体が炎に覆われていき。そして一気に蒸散する。


「ふむ、こんなものですか」


 紅い髪、紅い瞳、竜の鱗で象られたドレスをイーディスが身に纏う。背には翼が一翼。


「……」


 二人が相対する。

 イーディスは、葵と同じ姿をしていた。

 違うのは、片手に携えられた紫黒の直剣と背丈、顔のみ。


「……どういう、こと。同じ【七大権能】は一つとして存在しないはず。けれど、君のそれは――」

「――【七大権能〈鏡の国〉】。相対する相手が発動させた魔法、魔力、身体能力、【七大権能】ですらも完璧に模倣することができる権能」

「……」

「相手の能力を丸きり模倣したのちに、わたし自身はわたし由来の身体強化魔法などを上掛けできる。この意味、貴方でなくともわかりますよね?」


 ……なんだよ。なんなんだよ、それ。反則じゃないか。イーディスは葵の全ての能力を丸ごとコピーできる。そしてイーディスは自身の魔法やらを使えるって……それってあらゆる相手の完全上位互換じゃないか。そんなやつと、どうやって戦えばいいんだよ……?


「できれば貴方は殺したくないのです。このあたりで引いてはくれませんか?」

「引くわけがない」

「……どうしても、ですか?」

「ん。ていうか君、この私に勝てる気なんだ。大した自信」

「……。なるほど、仕方ありませんね」


 刹那、ふっと、イーディスの姿がブレる。と思った瞬間、イーディスは葵に肉薄していた。


「――っ」


 葵の頬がわずかに引きつったのが見えた。……あの葵の反応が、わずかに遅れたのだ。


「……ッ」

「……」


 キインキインと、金属がぶつかる音がする。爆風が、辺りに吹き荒れる。熱風がわたしの頬を撫でた。


 もはやわたしの肉眼では目の前の戦いは視認することもできていない。最初の一撃。葵の反応がわずかに遅れた最初の一撃しか、わたしにはとらえることが出来ていなかった。


 ――けれど。


「――くっ」

「……」


 葵が劣勢だということは、否が応でもわかってしまった。

 あの葵が押されていた。ダイナに圧勝し、パパと互角の戦いを繰り広げていたあの少女が、いま目の前で押されている。


「……っ。――【氷狼纏い 二式】ッ」

「――【氷狼纏い 二式】」


 瞬間、葵の身体が氷に包まれたと思ったと同時、イーディスも一拍遅れて氷に包まれる。髪と瞳は青く変化。頭に犬耳と尻尾が生える。

 やはり二人ともが同じ姿で。


「――んッ……!」

「……」


 形態を切り替えたがしかし、葵の劣勢は変わらない。それもそのはずだ。対するイーディスは葵の能力をすべて模倣している。文字通り、今のイーディスは葵の鏡映しなのだ。そして鏡に映った自分とは大抵、実物の自分よりも美しく見えるもので。


「……」


 ……このままじゃまずい。このままじゃ、確実に葵が負けてしまう。あいつが何者かなんてわからないけれど、今はそんなことはどうでもいい。この場でこの状況を打破できるのは葵以外の第三者だ。ほかでもない、この戦いでイレギュラーのわたしが、なにか手を打たなければ。魔法も剣も使えなくたって、今のわたしはノーマーク。少し考えればできることはいくらでもあるはずだ。そう思い、わたしは一歩、踏み出そうとして――


「――っ」


 ――脚が、動かなかった。

 否、動かなかったわけではない。〝動かせなかった〟のだ。


「……ぇ、、、やっ。な、なんで」


 脚が震えている。声だって震えていた。全身がガタガタと震えていて、身体がうまく動かせない。


 ……なんだよ、これ。なんで、うごかせないんだよ。なんで、ふるえているんだ。うごけよ、わたしのあし。うごいてくれ。このままじゃ、葵が。こうやってるあいだにも、葵が、しんじゃうかも……しれないんだぞ。


「……っっ。な、んで……」


 そう念じるけれど、わたしの身体は一向に動く気配がない。しかし、なぜ、なぜと問うてみたけれど、本当のところは心のどこかで察していた。


 ――ああ、わたし、怖いんだ。


 初めて誰かに、明確に、的確に、正確に。多大なる殺意を向けられて。それだけで、わたしの脚は怖くて怯えて、すくんでしまっているのだ。それだけじゃない。


 ――このままわたしが動けなくても、もしかしたら葵がぜんぶ、何とかしてくれるかもしれない。


 そんな最低な考えすらも、脳裏によぎってしまった。葵が劣勢だということを、理解しておきながら。


 ……わたしは、わたしは、ゆうしゃに、なりたくて。ゆうしゃみたいになりたくて。ゆうしゃみたいに、つよく、なりたくて。けれど。

 けれど、ほんとうのわたしは、


 ――……こんなにも。


 脚が動かせないわたしは、葵とイーディスの戦いをただただ茫然と眺めていることしかできない。


 やはり葵は押されていて、いつもの余裕の体勢は崩れている。必死に防御に回す剣も、その悉くがイーディスの神速によって追いつかなくなってきている。


「――ッ!」


 そして、葵の剣が大きく弾かれた。その隙を、イーディスが見逃すはずもなく――


 届く。届く。届く。届く。

 一瞬の間が。まるで無限の時に引き伸ばされたかのように、それはとてもゆっくりと感じられた。


 イーディスの紫黒の剣が、葵の肌に届く。あと一秒も待たずに、確実に届く。

 わたしはやはり動けない。脚が震えて止まらない。喉に膜が張り付いて、声も出せず。


 赤黒い花が咲く。


 すぐそこに迫る未来が、ありありと思い浮かぶ。

 届く。届く。届く。届く。

 届く。

 シトラスミントが、香る。


 ――見たくない。


 そう思った。

 わたしは咄嗟に無意識に、無責任に。おもわず、瞳を閉じていて――


「――【終焉魔剣〈死者之神(ハデス)〉】ッ!!」


 ――刹那、そんな聞き覚えのある声とともに、ドオオオン、と、大地が割れた。


 片手に、真っ黒で漆黒な大剣を携えて、その男は降ってきた。

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