第30話
藤沢駅から江ノ電に乗り、やってきたのは江の島駅。そこから歩くこと数分。
わたしたちの目の前に姿を現したのは島へと長く伸びる弁天橋。更にその先にあるのは青く澄んだ海にぽつんと浮かぶ、我らが江の島である。手前には旅館のような建物などが散見され、周りは山々に囲まれている。そして島の中の右寄りには一本、高い展望台がそびえたっていた。
そんなどこか非日常感を覚える光景、しかしわたしの表情はあまり冴えない。
「アリス、元気がない?」
わたしの顔を覗き込み、制服姿の葵が訊いてくる。ちなみに今のわたしも制服である。今朝葵が、アリスと制服江の島デートがしたいー、と喚いたためだ。
「……ええっと。大したことじゃないんだけどさ」
「ん」
「さっき支度してた時に気づいたんだけど、なんか首元に赤い跡が出来てて。わたし肌荒れとかしたことなかったから、ちょっと戸惑ってるっていうか……」
そう言って、わたしは葵に首元、鎖骨の上あたりにできていた小さな赤い跡を見せる。
「痛いわけじゃないし、そんなにひどくもないからほっとけば治るんだろうけど……」
「……っ!」
……ん? なんかわたしの首元を見た葵がなにやらハッとした表情をしている。なんだその顔は。
「…………迂闊。この私としたことが、アリスに付けたキスマークに気づかなかっただなんて」
小声でなんかぶつぶつ言ってる。
「……なんていった?」
「……別に。アリス、その赤い跡写真に撮らせてもらえないかな」
「……なんでだよ」
「その赤い跡はヒッキーと言って、日本では達磨や門松に並ぶ縁起物なんだよ。五穀豊穣、大漁追福、商売繁盛、家内安全、無病息災になると言われている」
「へえ、そうなのか」
なるほど、この赤い跡はヒッキー、というのか。またわたしの深淵なる叡智が潤ってしまった。
しかしこの赤い跡、そんなにいいものだったとは。名前の響きもかわいいし、そこまで言われると先ほどとは一転、なんだか嬉しくなっちゃうな。
「ほらアリス。ピースして」
「ぴ、ぴーす!」
葵に促されてわたしはとっさにピースする。
スマホを構えてぱしゃっと、葵がわたしの写真を撮った。
「……ふふっ、ホーム画面にしよう」
にちゃっとした笑みで葵は撮った写真を眺めている。あんな葵はなかなか見ない。そんなに嬉しかったのか。
「ねえアリス。家に帰ったら太ももの付け根やお腹、おへそや胸も確認して。もしかしたらそこにもヒッキーがあるかもしれない。特に胸」
なんかやけに具体的だ。
「どこにヒッキーが出来るとか、そんなこともわかるの?」
「そうだね。昨夜私がアリスのちっぱいをこれでもかと吸――」
「……?」
「――じゃなくて。胸にはヒッキーが出来やすいと言われている」
「ふーん、なるほどね」
「…………ちょろいにもほどがある」
「あ、でもさすがに胸は写真撮らせないからな!」
「……ん。わかってる」
いくら縁起物といっても胸を写真に撮らせるわけにはいかない。……ただ、葵に見せるだけなら、まあやぶさかではないけれど。あんなに喜んでたし。
「……ってわたしたち江の島の目の前で一体なにしてるんだよ」
ふと我に返る。江の島を前にして江の島の写真も撮らずに、葵はわたしの写真ばかり撮っている。これじゃ何しに来たかわかったもんじゃないぞ。
気を取り直してわたしたちは弁天橋を渡った。見た目よりも意外に短く感じた弁天橋を渡った先にあったのは仲見世通りだ。
「……うおおお」
狭い通りに人がひしめいている。こんなにも人口密度が高いのは、わたしにとって初めての光景だ。ちょっとびっくりするくらいの人の多さである。すると、葵がわたしの手を取り繋いできた。
「迷子にならないでね」
「……ぅん」
子ども扱いするな、といいたいところだけど、この人の多さはさすがのわたしも迷子になってしまいそうなので、おとなしく黙って従っておこうと思う。
「とは言ってもアリスの魔力は膨大なうえに駄々洩れでわかりやすいから、迷子になってもすぐに見つけられるんだけど」
と葵がそんなことを言う。
「……前にダイナもそんな風なこと言ってたけどさ。わたしの魔力が膨大ってなんの冗談だよ。自慢じゃないけどわたし、初級魔法ですら使えないんだぞ?」
「本当に自慢じゃないね」
「……」
……うるさいなわかってるよっ!
「ええとね。前提として、アリスの魔力量は信じられないほどに膨大だよ。それこそ私やロリーナ、ドグサレ大魔王に匹敵するほどに」
もはや言い直す気もないらしい。
「……それってマジなの?」
「おおマジ」
「……はあ」
わたしの魔力量があのパパやママ、葵に匹敵するって? それはなんというか、にわかには信じがたいというやつだ。
「でもアリスはその膨大な魔力量とは裏腹に、それを意識的に体外へ出す術がまるでなっていない。魔力出力や操作精度、魔力の流れの感知、探知は御粗末もいいところ。そのくせ意識外では魔力を駄々洩れにさせている。未熟者の典型例」
「もしかしてわたし、バカにされてる?」
「ん。この魔法も使えないマグルが」
「急な選民思想!?」
「極端な話、魔力量が無限でも魔力出力がゼロなら魔法は使えない。アリスはこのタイプ。だからアリスは魔法やら魔道具は全くと言っていいほど使えないし、そのくせ魔力量だけはいっちょ前だから気配が察知されやすい。戦いになったら真っ先に死ぬ」
「……最悪じゃん。良いところ一つもないじゃん」
「だからそう言ってる」
「おまえは少しくらいフォローしてくれてもいいんだぞっ!?」
「無理。取り付く島もない」
「そこまで言うか! 泣くぞ! わたし泣いちゃうぞ!?」
「胸くらいなら貸せる」
「ことごとく魔力に対しての弁明がないなっ!! そんなにわたしの魔力の技術ってどうしようもないの!?」
「……」
「おい目を逸らすんじゃねえ!!」
「……まあでも魔力出力や操作精度は土壇場で覚醒することもあるらしいし、先天性の魔力量がみみっちいよりかはマシ……なはず……だと思う」
「歯切れが悪すぎる!」
もはやわたしと目を合わせようともしない葵。……そういえば小さいころ、パパから魔法を学んでいた日々があったことを思い出す。
……あの時、わたしはパパから魔法を教えられるのをやんわり打ち切られたんだっけ。
最初の方は『魔王の仕事が忙しい』とか、『あ、今日から来客があるんだった! パパうっかり!』とか理由をつけて。最後の方なんかは『もうすぐサザエさんの時間だ!!』なんて言った後、わたしを放り出してテレビを模した魔道具の前まで駆けていく始末だった。
ちなみにテレビにはキッチン戦隊クックルンが映っていた。当時はこの父親、サザエさんとクックルンの区別もつかないのかと頭を抱えていたものだけど。
今思えばパパは葵の言う通り、わたしに魔法を使う才能がないことに気づいていたんじゃないだろうか。だとすると、あの時のパパの不自然な態度にも納得がいく。
いやわたしだってわたしに魔法の才能がないことはわかっていた。けどそこまで深刻だったとは思っていなかったのだ。それこそあのわたしに対してちょー甘いパパが、魔法を教えることを断念するほどに。あの優しいパパのことだから、わたしに対して、おまえは魔法が使えないよ、なんて言えなかったのだ。
実は今でもこそこそと魔法の練習は続けているのだけど、だとしたらわたし、一生魔法使えないままなのか……?
「……ねえ葵」
「なに」
「家かえったらわたしに魔法、教えてくれない?」
「……ん。いいけど。正直言って、アリスは並大抵の努力じゃ魔法を使えるようにはならない。そこまでしても、魔法を使いたい?」
「……うん」
魔法はわたしの憧れの一つだ。わたしにとっての魔法とは昔から、勇者に近づく切符も同然だったのだから。
「わかった。帰ったら早速準備を始めよう」
「……いいの?」
「アリスに頼まれたら断れない」
そう、葵は言ってくれる。
「私が教えるのなら、大魔術師も夢じゃない。あらゆる魔法を使えるようになる。もちろん魔法の応用だって」
「……ほんとに? もしかしてわたしも、勇者の十八番の【秘天剣 星砕き】なんかも使えちゃったりする?」
「……。星が綺麗だね」
「真昼だろうが!! できないならそう言ってよ! 適当なこと言ってんじゃねえぞ!?」
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