第4話

「何その目。さては信じてないでしょ」


 少女は相も変わらず無表情。アーモンドのように切れ長でぱっちりとした瞳がわたしを捉えてくる。


「あたりまえだ。いきなり自分が勇者だなんて言ってきても信じられるか。第一な、勇者はすっごく強くてカッコよくて、なんでもできて、とにかくめっちゃ凄いんだ! ただの女子高生でしかないおまえが勇者なわけあるか!」

「ふーん、まあべつにどうでもいいけどさ。それよりも自己紹介がまだだったね」

「……え? あ、ああ。ってどうでもいいのなら最初からそんなこと言うなっ!」


 よりにもよってわたしにそんな冗談を言うなど、すごくすごくたちが悪いと言わざるを得ない。


「私は和泉葵(いずみあおい)。気軽に葵って呼んでね」

「……お、おう」


 期せずして勇者と同じ名前であるが、そんなことは関係ない。イズミなんて家名はこの世界ではありふれているのだろうし。


「……わかった、よろしく葵」

「好きなものは可愛い女の子。ところでアリスの髪、とても綺麗だね。ちょっと触ってもいい?」


 そう言って、葵と名乗った少女はわたしの髪に手を伸ばしてくる。

 ……わたしの髪が綺麗? それは、なんというか、ちょっとうれしい。母譲りのこの金髪は魔族としてはあまり褒められた色ではなかったからな。


「……ああ、もちろんいい――ってその前何言った!? 可愛い女の子が好きって言った!?」

「言ってない」

「言ってたよ!」


 瞬間、葵はわたしの髪を一房手に取り、すんすんと匂いを嗅ぎはじめた。と思ったら今度はわたしのお腹あたりに抱きついてきた。顔をうずめてなにやらスーハースーハー言っている。

 急になにしてんだこいつ!?


「な、なにやってんだ!!」

「なにって、ロリ吸い」

「猫吸いみたいに言うなっ! ちゅーかロリじゃないわ!」

「赤ちゃんみたいにミルクのような甘い匂い……ぁあ、赤ちゃんだこの娘……」

「テイスティングしてんじゃねえっ! 赤ちゃんでもないからな!?」

「はむ」

「食べんな!?」


 わたしは必死に葵をひっぺがすと奴から数歩距離を取る。こいつから身を守らねば。反射的にそう思い、武術の心得はないけれどパパに貸してもらったドラゴンボールに出てきたベジータの構えを真似てみる。すると葵もファイティングポーズをとった。


「4倍だーー」


 気の抜けた声でそう言った。


「バカにすんなよ!? いきなりはむはむしやがって! この変態っ!」

「私が変態だって知らなかったの?」

「知るわけないだろっ! 初対面だろうが!!」

「そう。私勇者だから、てっきり知られているものだと思った」

 よくもぬけぬけとそんなことを……!

「おまえみたいな変態が勇者なわけないだろっ! 勇者はもっと清楚で上品な人なんだ!」

「……案外私みたいなロリコンなのかもしれないよ? ほら、英雄色を好むというし」

「そんなわけないわ! ていうかナチュラルにわたしのことロリ認定してんじゃないぞ!!」

「ライン交換しよ。インスタやってる?」

「話をきけえええ!?」


 葵は今までの問答がまるでなかったかのように、ごく自然な動作でパーカーのポケットからかまぼこ板みたいなものを取り出す。ああ、じゃなくてスマホ、だっけ。


「……」


 ……なんというか、こいつには何を言っても無駄な気がする。こいつたぶん、パパみたいなタイプだ。わたしがなにを言おうがしようがなんにも真に受けようとせず、しかもそんなわたしの様子を楽しむかのようにニコニコしながらのらりくらりとかわす……そういうところがパパと似通ったものを感じる。


 つまり、こいつをどうにかしたいならばパパと同じ対処法を葵にもしてやればいいわけだ。無視を決め込むのだ。


「そもそもスマホって持ってるのかな。日本に来たばかりなんでしょ?」

「……」

「スマホは持っておいた方がいいよ。日本で暮らすには今後必要になってくるだろうし」

「……」

「……なんなら私が一緒に携帯ショップ行ってあげようか?」

「……」

「そういえばこのまえ新型のiPhone出たばかりだね。ちょうどいいんじゃない?」

「……」

「えい」

「……ふぇ?」


 あろうことか、葵は突然わたしのスカートをめくった。


「な、なにしてんだよっ!?」


 わたしは咄嗟にスカートを両手で抑える。


「だって、無視するんだもん」

「だもんじゃねえよだもんじゃ!」

「涙目お顔真っ赤でスカートを抑えるその仕草……いいね、すごくそそる」

「なにいってんだよ!」


 ……いけない、今とてもこいつを殴りたい。

 日本の法律ってどこまでやってもいいんだっけ……。


「それで、スマホは持ってるの?」

「そんなこと訊くよりも先にその手をどけろよ!!」

「ああ、ごめんごめん」


 葵は今しがたまでわたしのスカートをめくっていた手を引っ込める。わたしはやはり奴から数歩距離を取ると、乱れてしまったスカートをぱっぱと払い整える。


「……スマホを持っているか、だっけ?」


 自分の声が若干げんなりしたように聞こえる。


「そうそう」


 穏便にことを済ませるためには葵の言うことに従うほかないだろう。わたしはしぶしぶブレザーのポケットからスマホを取り出した。


「……ほら、煮るなり焼くなり好きにすればいいだろ……」

「えっ? マジ?」

「……マジだよ。……ええっと、友達追加ってどうやるんだ?」


 わたしはスマホの画面をえいやとスワイプし始める。一応持ってはいるがスマホはほとんど使ったことがない。まだ操作に慣れていないのだ。……うんと、緑色の四角いやつがラインだよな? これをタップしてっと。


 そんな風にわたしがスマホに悪戦苦闘しているときだった。

 太ももにぬめっとした、生暖かい感触がした。


「ん? なんだ?」


 そう思い、足元を見ると――


「――う、うわあああぁ!!」


 膝立ちでわたしの太ももをぺろぺろしている変態の姿があった。


「な、なにやってんだぁ!!」


 今日これ言うの何回目だよ!!


「私、太ももフェチなんだ。アリスの太ももは最高。細いのにどこかむちっとしている。柔らかくてとても瑞々しい。つい舐めたくなってしまう」

「だからって本当に舐める奴があるかあっ!!!!」

「煮るなり焼くなり舐めるなり、好きにしろって」

「最後の言ってないし! ラインの友達になってやるって意味だよ! おまえ異世界人のわたしより日本語下手なんじゃないか!?」

「そうなんだ。アリスは松尾芭蕉と同じくらい比喩表現が上手なんだね」

「やかましいわ!!」

「ぺろっ」

「舐めるのやめろよっ!!」


 やばい、大声の出しすぎで喉が枯れてきたぞ……。そういえば、周りのやつらはなんでこの変態を通報してくれないんだ……。わたしは周囲をキョロキョロ見回す。


「ん? ああ、今はみんなに『洗脳魔法』を使っているんだよ。私がいくら奇行に走ったとしても、それが普通だと思い込むような術式を組み込んだやつをね。魔法抵抗力の高い人間には効果ないけど」

「勝手に地の文を予想すんな! あってるけど! じゃなくてそんなこと普通の女子高生にできるわけないだろうが、からかうのもいい加減にしろ!」

「だから私、勇者なんだって」

「だぁかぁらぁっ!! おまえみたいな変態が勇者なわけあるかぁぁぁ!?」


 今日一大きな声が出た。わたし、日本でやっていけるか不安になってきたぞ……。

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