第三十一話 小さな変化
空き教室に入ると、すぐさま一同は勉強へと取り掛かった。
テスト迄の時間がもう残り僅かという事もあり、いつもの様な談笑を交えながらの勉強とは違い、不必要な会話を一切せず、ただ黙々と各々の課題へと取り組んでいた。
「なぁ、花ヶ崎さん、もう一回ここ教えてくんね?」
「ここの解き方は…」
「拓海、ここ分かる?」
「あー、わかるぞ、ここは確か…」
各々がそれぞれの苦手分野を助け合いながら、順調に自習は進んで行った。とはいえ、主に質問するのは花ヶ崎以外だったが。
いつもよりも更に深い集中を保ち、時間が過ぎて行く。
(そういえば足の痛みもだいぶ引いたな)
ふと、足の痛みが引いている事に気がつく。
集中により痛みが意識の外へと流れていただけなのか、ほんとに痛みが引いたのかは分からなかったが、再びいつもの様に集中を維持できる事が有難かった。
(この調子で最後まで…)
そんなことを考えながら、意識を目の前の問題集へと向ける。
本来ならば、窓の外から聞こえる部活動の賑やかな声が耳に入るはずだったが、集中しきった今の彼に届くのは、カリカリと走るペンの音と、静かにページをめくる音だけだった。
一時間ほど立った後、一区切りとし、一度の休憩時間を取る。
身体を伸ばす者や、大きな欠伸をする者。
そんな中、星羅が口を開いた。
「……そういえば、西条くん、今朝、朝比奈さんと話してましたけど、何かあったのですか?」
藤井と市原が手の動きを止め、興味深そうに西条の顔を覗き込んだ。
好奇心に溢れてその目を向けられ、本当の事を話すべきか?という葛藤が心を循環する。
(ここは言うべきか?いや、けど無駄な心配を掛けるのもな…)
「いや、別に何ともねーよ。ただの人違いだっ――」
「西条くん、何か隠していますよね?」
西条が言い切る前に、それを遮る様にして話すその目は、真実を見透かさんとする中に、どこか穏やかな物があった。
普段、他人事に壁を造り、どこか人を遠ざけているところがある、と無意識的に勘づいていたのか、藤井達はそんな星羅の行動に驚きの表情を浮かべる。
そんな事もお構い無しに続けるその声は、先程よりも更に穏やかで、優しいものであった。
「もし『心配を掛けたくない』だけが理由なら、気を使わず、話してみてくれませんか?勿論、無理に言う必要はありません。ただ、時には誰かに寄り添ってもらうことも大切ですわ」
そんな星羅の真剣な表情に、皆が驚きを隠せていなかった。
「あの花ヶ崎さんが...!?」
「あら、藤井くん、失礼ですわね。私がこんな事を言う事がそんなに珍しいですか?」
「いや、別にそう言うのじゃないよ!」
カバンからペットボトルを取り出して飲もうとするが、キャップを開けるのに手間取っている。
その姿は、如何にも不自然で、まるで焦りを隠そうと慌てふためいたのであった。
「もう、拓海慌てすぎ!」
そんな様子を見た市原はどっと笑いながら、まだ焦りが残って見える藤井の肩を叩く。
そんな様子を見てクスクスと笑う星羅、和やかな空気が広がるが、ただ一人険しい顔をして考え込んでいた。
(…本当に、人を頼って良いのか?)
自分の本性は、自分が一番理解している。
ストリートを絶対的な力で孤独に生き抜いてきた。
力の象徴として。
不良のカリスマとして。
両親を亡くし、孤独になった彼は、他人を頼る。
そんな生き方を一切してこなかった。
「実は…」
――言葉が詰まった。
彼にも新しい考えが浮かんでいた。
こいつになら話してもいいんじゃないか?、と。
"本当の自分を隠す"と言う面で、どこか似ている所があると、生き抜く為に沢山の人間を見てきたからこそ培われた、野生の勘のようなモノがそれを見抜いていた。
だが、口を開こうとすると同時に、孤独や信じようとした人間の裏切りなど、過去の出来事がこびりついて離れない。
それは一種の"トラウマ"となっていたのだ。
そんな過去が、自分をさらけ出す事を抑制し、言葉を喉元で留める。
普通を目指すのに、他人を頼ることが出来ない。
そんな自分に、人間はそう簡単に変わる事が出来ないと嫌という程理解させられた。
(やっぱり、人を信じられない俺が、他人を頼る事なんて…)
「何だか、西条くんらしく無いよ?」
「もっと楽に考えてもいいんじゃない?悩みって、案外人に話して見る方が楽になったりするし!」
落ち込んだ表情を見せる西条を励ますように、市原は持ち前の明る声色で話しかけた。
「そうだぞ、俺もやな事あったら皆に笑い飛ばして貰うんだ。一人で抱え込むと辛いだけだからな!」
そんな彼らの言葉に少し気持ちが楽になった。
もちろん、過去のトラウマが払拭される訳でもなく、まるっきり考え方が変わる事も無かった。
だが、「少しばかりいいんじゃないか?」と、そう思える心の余裕が産まれた。
言いかけた言葉の続きを探すように、ゆっくりと落ち着いて空気を取り込む。
頭の中のモヤが少しづつ晴れていく気がして、段々と自分の気持ちが見えてきた。
例えそれがこの瞬間だけのものだったとしても、彼なりの大きな進捗の一歩に繋がる事になるだろう。
――実は、朝比奈凜についてなんだけどさ
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