第三十話 心の距離感
堂々とした態度で黒板に解答を書く。
それは先程迄の長い戸惑いを一切感じさせず、清々しい物であった。
(まぁ、花ヶ崎がヒントくれなければやばかったけどな……)
内心ではそんな事を思い浮かべながらも、表面上は「やってやった」感をしっかりと出していた。
黒板に粛々と書かれた文字を見た教師は、少し苦い表情を浮かべ、悔しながらに呟いた。
「……正解だ」
この白鳳学園では、全ての教師が担任、中川の様に寛容では無いことは明らかであろう。
"名門"白鳳学園の教師としてプライドを持つ彼らにとっては、この気だるげで適当そうな男によって厳かな雰囲気を崩される事を嫌っているのであろう。
そんな当て付けが通用しなかった事に怒りを覚えたが、正答した彼を追求する事は出来なかった。
(っぶねぇ、コイツ外してたら絶対文句言ってくるタイプのヤツだよなぁ。如何にも"プライド高いです"見たいな顔してるしな)
席に戻りながら歩き出した彼は、誰も気が付かない程度に、軽く星羅の机をコンコンと指で叩いてから着席をした。
それが、この場での彼なりの感謝であった。
この一件で西条は少し集中力を取り戻し、いつも程に集中出来ていた訳では無いが、それでも先程に比べると雲泥の差であった。
だが、その場で逆にソワソワしていたのは、星羅の方であった。
(またや、『これなら思い出せるやろ?』なんて……西条君は気がついて無さそうやったけど)
思い出してしまった、無意識的に口をついて出た”あの言葉”を。
そう、それは完璧な令嬢として振る舞う彼女が、意識的に封じていたはずの”地元の言葉”だった。
(……なんで、こんな簡単に出てしまうんやろ?)
京言葉を恥じているわけではない。
むしろ、彼女にとっては幼い頃から自然に馴染んできた温かい響きだ。
けれど、この学園に通う以上、“花ヶ崎家の令嬢”としての振る舞いを徹底しなければならない。
そのために、彼女は言葉を統一し、敬語を貫き通してきたのだ。
だが、最近、彼と関わるようになってから、時折抑えていたはずの言葉が、ふとした瞬間に零れる事がある。
(……気の緩み?それとも……)
自分自身の変化に戸惑う。
彼女が京言葉を封じる理由、それは”完璧な花ヶ崎星羅”を演じるための楔だった。
求められる姿を崩さないために、“本来の自分”との境界を作り、演技をしていた。
だが、それがもし崩れたら?
もし”普通”に話してしまったら、“普通”に接してしまったら、“普通”の少女のように振る舞ってしまったら。
自分は、もう完璧な令嬢でいられなくなるのではないか。
(……そんなの、許されへん。
品格を下げる行為。それは、この学園においても、花ヶ崎家においても許されないこと。
だからこそ、彼女はずっと自分を律してきたのに
――いや、違う。
本当は、ずっと憧れていたのかもしれない。
“普通”の青春。“普通”の会話。“普通”の関係。
求められる完璧な令嬢ではなく、一人の少女として過ごす日々。
(あかん、こんなこと考えてたらあかん……気を引き締めんと)
ふっと息を吐き、星羅はそっと自分の頬を指先で軽く叩いた。
小さな仕草だったが、それは彼女なりの気持ちの切り替えだった。
――二人の”緩み”が、静かにすれ違った。
だが、その後は何事もなく、授業は淡々と進んでいった。
学園生活の一日が終えようとしていた。
生徒達はそれぞれ帰宅の準備に取り掛かったり、部活動の為の準備、他にも生徒会や委員会活動など。
そんな中で、西条達はいつもの日課である勉強会の為に空き教室へと移動する。
夕暮れの橙色が廊下に柔らかい光を投げかける中、生徒たちは空き教室へと歩いていた。学校の喧噪が遠のく中、彼らの足音と雑談が静かな廊下に響き渡る。
「実力テスト、いよいよ三日前だな」
普段よりも少し緊張感が漂う声で、藤井が口を開いた。窓から差し込む夕日が彼の表情を柔らかく照らし出す。
「もうそんな経つのかよ!はえーな!」
西条は驚いた様子で応じる。転入してからまだ一ヶ月しか経っていないという事実に、時の流れの速さを改めて感じる。
「そう感じられる程、皆さんが集中して取り組んでおられた、と言う事ですわね」
彼の驚きを見てふふっと微笑む。
その声には穏やかさが滲み、彼女の表情からは自然と優雅さが滲み出ている。
一方で、市原は指先を組みながら身体を伸ばし、気だるげに話し始めた。
「こんなに勉強したの、受験以来だよぉ」
彼女は欠伸をしながら眠たい目を擦り、普段あまり勉強をして居ないという事が分かる疲れきった彼女らしい様子が廊下の落ち着いた雰囲気に広がる。
「いや、お前は勉強しなさすぎなんだよな」
彼の声は冗談めかしており、その雰囲気が周りを和ませる。
「黙って姿勢よく座っとけば勉強出来そうに見えるんだけどな」
と西条が付け加え、笑いを誘うと、その場の空気が更に和らいで、笑いが怒る。
「ちょっと!?西条君は逆に全く勉強出来なさそうなのに!」
それに反応するように市原が悔しそうに頬を膨らませて言い返したが、それも何処か楽しげな様子であった。
「まぁ、聖奈とはココの出来が違ぇからな」
と、西条が自らの頭をコンコンと指で小突きながら言う。そんなやり取りからは、彼等が、この一ヶ月間で如何に仲を深めたか、と言う事を強調させていたが、星羅と西条は、やはり何処か心に距離を感じているのであった。
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