第二十九話 日常の中で隠し切る
春の微風が吹き込む2-Bの教室ではHR前の時間、いつも通りの穏やかな時間が流れていた。
だが、そんな中ただ一人、気難しい表情を浮かべている。
(今朝の、西条くんと、朝比奈さんやんな...?なんであの二人が...?)
それは、不可思議な組み合わせであった。
"身分"に拘りを持つとよく噂を聞く彼女が、あの西条零に興味を持つとは思えない。
クラスも違えば、関わりを持つ様な機会もきっかけも無かったはずだ――
それに今朝の彼女の、悔しさを堪える様な表情も、どこか引っかかる。
(それにあんな堪える様な表情、一体どんな話をしてたんやろか)
一部始終を見た訳ではないので、一概に結末を予測する事は出来ないが、一つの願いに似た感情が産まれた。
それに、隣の席は未だ空席となっており、普段の明るく目立つ存在感が消え失せている事に違和感を感じる。
――何も無かったらええんやけど
(まぁ、放課後に話す機会もあるやろし、そん時に聞けばええか)
その時、自分の感情に気が付いた。
"花ヶ崎の令嬢"として振舞っていた彼女は、無意識的にも取り繕った上辺だけの表情越しに相手を見つめていたため、こんなに他人に興味を示した事自体が久しぶりであった。
(私、なんでこんなに気になっているんやろか…?)
久しぶりに他人に抱いた"興味"に戸惑っていた。
そんな気持ちにも構わずに校舎の最上部に備え付けられた巨大な鐘が美しい音色を響かせると同時に、生徒達の気が引き締まり、空気感が一気にガラッと変わるのが肌に伝わってくる。
その時、
――ガラガラ
物凄い勢いでドアが開けられ、いつも通りのだらしない格好をした男が飛び込んできた。
「すみません!!これってセーフですか?!」
軽く息を切らしながら飛び込んできた彼によって、引き締められた空気が一瞬和らいだ。
そんな空気感を敏感に感じ取った星羅は、やはり彼の行動に違和感を感じるのであった。
(朝からこんなに大袈裟に。やっぱり彼の行動には違和感がありますわ。間違いなく"登校中"になんかあったんやろなぁ)
「ほんっと、朝から慌ただしい奴だよな」
和らいだ空気に同調するように、明るく笑いながら声を掛けるのは藤井拓海だ。
「遅いんだよ!寝坊かよ?」
そんな声に便乗するように、笑い声と共に数人が話しかけると、更に空気感が和らいだ。
「本当にギリギリだな。遅刻では無いが、明日からはもっと余裕を持って来るように」
担任の中川が腕を組みながら静かに言った。
その声には厳しさこそあるものの、どこか柔らかさが滲んでいる。
彼がそう口を開くと、西条が申し訳無さそうな表情を浮かべ頭を搔く。
「で、なんでこんな遅かったんだ?寝坊…では無さそうだな?」
予想だにしていなかったその問いかけに、西条は驚き、軽く眉を上げる、
「え?どうしてそう思ったんスか?」
驚きを隠せない西条に、中川は口元をわずかに緩める。
「髪も制服もちゃんと整ってるだろ?」
「西条、お前は寝坊したら身だしなみなんて気にしないタイプだと思ったんだが、違うか?」
その的確すぎる指摘は、西条自信でも普段意識した事が無かった程の小さな生活でのクセであったが、それを中川はしっかりと見抜いていた。
そんな指摘に、西条は目を丸くした後ぽつりと呟く。
「……まじでその通りだ。すげぇ、なんで分かんだよ」
軽く笑いながら、教師は肩をすくめた。
「何年教師やってると思ってんだ。いいから早く席に着け」
そのシンプルな言葉の裏側には、長年生徒を見守ってきた彼なりの"優しさ"が、最大限に溢れていた。
授業が始まると、そんな和やかな空気感もすっかり消え去り、いつも通りの厳かな雰囲気が漂っていた。
(くっそ、たまに痛むせいで集中できねぇ)
左足に時折訪れるその痛みは、彼が集中しかけた途端に注意を奪い、再び普段通りの思考へと引き戻していた。
(段々痛くなってきている気がすんな、流石にやべぇヤツか?これ)
集中し切れずにソワソワしている様子を見た教師は、「いい機会だ」と言わんばかりに西条を指名した。
「西条、この問題解いてみろ」
そう指示された問題は見覚えのある物であった。
先日の放課後、"お嬢様"に教わったとこだ、やり方は学んだ。
――だが、深く突き刺す様な痛みが、思い出させる事を阻害する。
(解き方は教わったのに、全っ然集中できねぇ)
指名されて立ち上がった彼の左足には、座っている時よりも強い重力がのしかかり、痛みを際立たせていた。
思考する時間が沈黙を作り上げる。
周りのクラスメイト達が、心配そうな顔をして見つめている。
(なんだ西条、らしくねぇな)
最近の彼は毎日放課後による猛勉強の影響もあってか、白鳳の優秀生徒並に成長していた。
そんな彼が、初歩的で、更に復習であるこの問題にここ迄躓く事に、普段放課後共に勉強している藤井は、違和感を感じるのであった。
「どうした?まさか聞かずにサボってたのか?」
普段の彼の装いに目をつけていたのか、少し厳しい目を向ける。
普段ならば「わかんねぇ!」と笑い飛ばしてしまう様な彼が、今はただ黙って立ち尽くしている。
――様子がおかしい。
そう感じていたのは、藤井だけではなかった。
花ヶ崎星羅もまた、彼の異変に気づいていた。
(どうしたんやろ……放課後やった時は、あの問題は確かに解けてたはず...)
彼女は横目で西条の様子を伺いながら、そっと自分のノートを開いた。
そこには、先日放課後に彼に教えた時の解き方が丁寧にまとめられている。
彼女は横目で西条の様子を伺いながら、そっと自分のノートを開くと、そこには放課後に彼に教えた時の解き方が丁寧にまとめられていた。
その時、彼の目線が、黒板ではなく机の下にわずかに落ちている事に気がつく。
左足をかばうように立っているのを見て、星羅はようやく理解した。
(足を……ケガ、してる?)
彼の集中が乱れている理由を悟ると、星羅の指が自然と動いた。
机の上に置かれたノートの端に、そっとヒントを描き示す。
そして、自分の肘でわざと小さくノートをずらし、西条の視界に入る位置まで動かした。
「これなら思い出せるやろ?」
口元を軽く手で隠し、小声でそう呟く彼女に西条は驚き思わず星羅の方を見たが、まるで何事もなかったかのように視線を黒板へ向け、涼しい顔をしていた。
「あぁ、分かった」
そう呟くその言葉は、教師にのみ向けられた言葉では無かった。
その言葉の裏には、彼女に向けられた感謝の気持ちを孕んでいた。
足の怪我を感じさせない堂々とした歩き方で前に出ると、一つの迷いも無く答えを書き始める。
「これでどうですかね?」
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