第十四話 花ヶ崎さんって怖い人?
「まさか、こんなことって……」
普段は冷静で余裕を見せる花ヶ崎星羅の驚いた声と、そのわずかに崩れた表情に、教室の空気が一瞬止まる。
夕暮れの光が差し込む窓際の机に彼女が立ち、答案用紙を見つめる姿は、どこか神秘的ですらあった。
彼女の手元にある、綺麗に整えられた答案用紙に記された正解の数々が、彼女の表情を動かしたのだ。
藤井と市原は、その場に立ち尽くす星羅を見つめ、次に隣の西条に視線を移した。
二人の表情には、驚きと好奇心が入り混じっていた。
「それっていい方で?!悪い方で?!」
西条の焦りと冗談交じりの声が、静寂を破った。彼の椅子がわずかに軋む音が響き、机に肘をついて身を乗り出している彼の姿が目に入る。星羅は、彼の言葉に一瞬だけ微かに口元を引き締め、そして静かに口を開いた。
「……応用問題まで全問正解ですわ」
その答えに、室内がざわつく。藤井が大袈裟に目を見開き、市原は机に身を乗り出して声を張り上げた。
「んだよ、それってそんなに驚く事か?」
西条は困惑しつつも、少し得意げな笑みを浮かべた。肩越しに夕日が差し込んで、彼のリラックスした様子が際立つ。
「あの溜めの長さ、まさか昨日の勉強も全部忘れて、全問不正解でもしてんのかと思ったわ!」
藤井が口を挟み、椅子に深く座り直す。市原もその発言にすかさず同調した。
「私も!西条くんの事だから全問間違いなのかなって!」
元気な声が教室中に響き渡る。
「お前ら俺に対して印象悪すぎねぇか?」
西条が不満げに眉を下げてぼやくが、その口調には冗談交じりの軽さがある。
星羅は小さくため息をつき、答案用紙を改めて見直しながら静かに語った。その手には、完璧に整えられた文字が並ぶ答案用紙が握られている。淡い夕陽が窓から差し込み、その光が彼女の長い黒髪を照らしていた。
「……ただ問題を解いただけでは驚きませんわ。けど、ここの応用問題まで正解されてて……」
彼女の声は冷静だったが、その静かな口調の裏には、驚きと感心が混ざった色が隠されていた。周囲の生徒たちは、星羅の言葉に興味津々の視線を注いでいる。
「それってなんか難しい奴だったのか?やっぱり俺って天才だったか?」
西条は自信たっぷりの笑みを浮かべ、椅子から少し立ち上がる。その背後には彼の影が夕陽に長く映り、冗談めかして胸を張る姿が教室の緊張感を緩めた。
星羅はその様子を見て、呆れたように小さく首を振った。彼女の整った横顔に浮かぶ微かな苦笑が、夕陽に映える。
「…この問題は、名門大学入試レベルですわ。私もここまで解くとは思っておりませんでしたわ」
その言葉に、教室がざわついた。藤井が椅子に座り直し、頭の後ろで手を組みながら、驚きの声を上げた。
「え!お前すげーじゃん!一体いつそんな勉強したんだ!?」
藤井の声が教室の静けさを切り裂き、西条の方に向けられた視線がさらに増す。
「西条くんって、あんな軽い感じだけど賢いんだね!ちょっとイメージ更新かも!」
市原が明るい笑顔を見せながら話す。その声には無邪気な響きが混ざっており、教室の空気をさらに和らげた。
西条は苦笑しながら肩をすくめる。
「聖奈ってそのテンションで結構グサグサ刺してくるよな」
その一言で、藤井がまた笑い声を漏らす。教室の片隅には、わずかに吹き込む風と共に、夕陽が彼らを包むように広がっていた。
その光景に、教室の窓際で答案用紙を見下ろしていた星羅も、つい小さく微笑みを浮かべた。彼女の横顔には、わずかな驚きと安堵が漂い、それがまた独特の柔らかさを生み出している。
「疲れたー!ちょっと飲み物でも買いに行かない?」
市原が大きく伸びをしながら、席を立つ。その元気な声に、西条と藤井がほぼ同時に突っ込んだ。
「お前が一番勉強してねーだろ!そんな調子で大丈夫か?」
藤井が呆れたように肩をすくめ、机に寄りかかる。西条も笑いながら、市原をからかうように言葉を続けた。
「まぁいいんじゃねーの?休憩も兼ねて、自販機でも行こうか」
その提案に、星羅がノートを丁寧に閉じながら、軽く頷く。夕暮れ時の教室に柔らかなオレンジ色の光が差し込み、彼女の整った横顔がふと穏やかに見えた。
「そうですね。皆様よく集中しておりましたし、少し休憩がてら出ましょうか」
上品な声で言いながら、星羅は周囲を促すように立ち上がった。
自販機に向かう廊下は、夕陽に照らされて赤みがかった光に包まれている。
窓から見える校庭には、帰宅する生徒たちがちらほらと見えるだけで、廊下はどこか静けさを帯びていた。
「花ヶ崎さんって、もっと怖い人かと思ってた!」
市原が軽い調子で言葉を放つ。その明るさが、廊下に響いていた足音を一瞬だけ止める。
西条と藤井は顔を見合わせ、ほぼ同時に言った。
「やっぱ一言余計だよな!」
二人の声が重なり、市原が少しだけ頬を膨らませて抗議する。
「そういう意味じゃないよ!……ただ、普通の女の子っぽいとこもあるんだな~って!」
市原の言葉に、星羅はほんの一瞬だけ目を見開いたが、すぐに柔らかな微笑みに変わる。夕陽に照らされたその微笑みは、普段の完璧な雰囲気よりもずっと自然で、どこか親しみやすさを感じさせた。
「それに、西条くんもなんだか不思議な感じがするよね!」
市原が無邪気に続けると、今度は西条が僅かに眉を寄せた。
(……!それ、どういう意味で言ってんだ……?)
西条は動揺を隠すように、わざとらしく胸を張り、軽口を叩いた。
「まぁ俺みたいな天才が普通なわけねーだろ?なんせあの花ヶ崎星羅様に認められた男だからな!」
声を張り上げながら、軽く笑ってみせる西条。その無駄に自信満々な態度に、藤井が頭を振りながら吹き出した。
「調子に乗るなっての!」
「全く、調子に乗りすぎですわよ」
星羅が呆れたように言いながらも、少しだけ柔らかな表情を浮かべる。そして、ふと目線を西条の方に向け、小さく息をついた。
「……まぁけど、今回ばかりは少しばかり褒めても良いかも知れませんね」
その言葉に、西条の口元が緩みかけたが、慌ててそれを隠そうと軽く咳払いをする。その仕草を見た藤井と市原が、また笑い声を上げた。
自販機に到着すると、彼らの笑い声と共に廊下にあった静けさはすっかり消えていた。四人それぞれが飲み物を選びながら、次第に和やかな空気が包み込む。
星羅が静かにコインを投入し、選んだ缶を手にすると、夕陽がその缶の金属を反射して一瞬だけ輝いた。彼女はふと立ち止まり、そのまま窓の外を眺める。
「……少しだけ、風が冷たくなりましたわね」
ぽつりと漏れた言葉に、西条は飲み物を片手にしながら彼女をちらりと見る。
(……普通の女の子、か)
頭の中で市原の言葉を反芻しながら、西条は思わず星羅の横顔を見つめていた。
その視線は、星羅の本心を探るような視線であった。
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