第十三話 それっていい意味?悪い意味?

帰路に着き、別れた後。お嬢様と不良――真逆の二人は、互いの存在をほんの少しだけ意識しながらも、自分自身と向き合う時間に沈んでいた。

星羅の歩調を見送り、校門から夜道へと向かう西条。そして、迎えの車へと乗り込む星羅。二人の足取りは、違う方向へと向かいながらも、抱いている感情はどこか同じものだった。


――孤独

 

互いに抱えたその感情は、二人の唯一の共通点であり、どこか引き寄せられるような力を秘めていた。

 西条は夜空を見上げ、星をぼんやりと見つめていた。ポケットに手を突っ込みながら、小さく呟く。


「……花ヶ崎さんも、あんな感じで普通に笑うの、結構意外だったな。結局、普通じゃないのは俺だけかよ……」


彼の脳裏に浮かぶのは、ふと見せた星羅の柔らかな微笑み。普段は完璧で近寄りがたいと思っていた存在が、不意に見せた普通の女の子のような表情。

それは彼にとって、ほんの少しの驚きと同時に、自分との差を意識させるきっかけでもあった。


(俺はここで“普通”になりたくて、この学校に来たんだ。だけど、どこまで行っても“普通”から遠いのは俺だけなんじゃねぇか)


ため息交じりにそう考えながら、彼は足元の影を見つめた。自分だけが馴染めないような気がして、胸の奥にじんわりとした孤独が広がる。それでも、西条は苦笑いを浮かべながら歩き続けるしかなかった。


 星羅は迎えの車に乗り込んだ。

 すでに寡黙な護衛が乗り込んでいた車内は、しんと静まり返っている。

 エンジンの低い振動だけが、空間の静寂をかすかに揺らしていた。


 彼女は窓の外に広がる遠くの街並みをぼんやりと眺める。

 冷えた窓ガラスに映る自分の顔。

 その表情には、どこか曇りが見え隠れしていた。


 「はぁ……」

 

小さなため息が漏れる。その音が静かな車内に響くと、運転手の伊庭慶次がルームミラー越しに彼女を見た。長年彼女に仕える中で、彼女が人前でこんな風に気を緩める姿を見るのは珍しいことだった。


「……珍しいですね。そんな溜息をつくなんて。何かあったのですか?」


彼の声には、心配と好奇心が混じっていた。彼はいつものように穏やかな口調で問いかけるが、その瞳は星羅の表情をじっと捉えている。


「いえ、なんでもありませんわ」


星羅はそう答えたものの、その声には普段のような毅然とした響きが少し欠けていた。自分でも気づかないうちに、その心には何か引っかかるものがあった。


(今日、一日かけてそれとなく探ってみましたけれど、あの不自然さの正体までは分かりませんでしたわ。いったい、あの仮面の下で何を考えてはるんやろ……)


星羅の脳裏には、西条の冗談交じりの口調や、感謝の言葉がふと浮かんでいた。普段ならば気にも留めないはずの言葉が、どこか胸の奥に残る。それが何なのか、星羅自身もはっきりと分からない。


「……何かを考え込むようなご様子ですが、本当に大丈夫ですか?」


再び伊庭が問いかける。その声には、少しだけ気遣いの色が濃くなっていた。


「……ただ少し、疲れただけですわ。気にしないでください」


星羅は窓の外に目を戻し、そう答えた。だが、その表情にはわずかな迷いが浮かんでいる。それは、普段の彼女からは考えられないほどの小さなほころびだった。


夜の街並みが後ろへと流れる中、二人の心はそれぞれの場所で、自分の孤独を静かに抱いていた。

西条は、自分がどこにも馴染めないのではないかという不安と向き合いながら。

星羅は、自分が「完璧」であることに縛られながら。


だが、それでも彼らの心には、わずかな光が差し込んでいた。

それは互いが知らぬ間に抱いた「共通点」。それが、二人の間にこれから生まれる何かの兆しであることに、まだ気づくことはなかった。


翌日、いつも通りに登校した二人は、お互いが同じ孤独を抱えていることも知らず、また何気ない日常が始まった。


「おはよう!いやぁ、昨日は疲れたわ!」


 転入してわずか3日目とは思えないほど、クラスに馴染んだ様子で話す西条。その明るいテンションに、多くのクラスメイトが自然と声を掛ける。


「なあ、西条!昨日、花ヶ崎さんと二人で勉強してただろ?どうだったんだよ!」


「おい、まさか花ヶ崎さんに失礼なことしてねぇよな!」


 興味津々の声が飛び交う中、西条は軽く肩をすくめ、いつもの調子で笑った。


「結局あの後、部活終わりの藤井が来て、3人で勉強したんだよな~」


 その言葉を聞いて、名前を呼ばれた藤井が眠たそうに目を擦りながら振り返る。


「お前、あんなに勉強してたのに、そのテンションとかマジでどうなってんだよ。その体力、ちょっと分けてくれよ……」


 藤井は大きな欠伸をしながらぼやいた。その様子に、西条は「お前が寝不足なだけだろ」と突っ込みを入れるが、藤井の反応はどこか普段と違い、疲れ切った様子だった。

その様子を見ていた市原が声をかける。

 

「えー!昨日勉強会したんだ!私も成績やばいから、次は私も呼んでよ!」


 人懐っこく元気な市原が声を掛けると、藤井は更に疲れた表情を浮かべながら手を振った。


「おぉ、いいけどさ、やっぱり市原も勉強苦手なタイプなんだな~」


 その言葉に、市原は一瞬目を見開き、すぐに頬を膨らませて抗議する。


「ちょっと!やっぱりって何よ~!失礼なこと言わないで!」


 そんな市原の反応に、西条と藤井が思わず笑い出す。軽い冗談が飛び交う中、教室には和やかな空気が広がっていった。


 西条は笑いながら星羅の方へ視線を向けると、少しだけ声のトーンを落として尋ねた。


「花ヶ崎さん、もし次にまたやる時は、市原も一緒で大丈夫か?」


 その問いに、星羅は一瞬だけ目を瞬かせた後、落ち着いた声で答えた。


「もちろんですわ。市原さんとご一緒するのも楽しそうですもの」


 その答えを聞いて、西条は軽く頷きながら、また冗談交じりに口を開いた。


西条「だってよ、市原。次は花ヶ崎さんの勉強会に正式参加だな。しっかりついてこいよ?」


藤井「お前も、てかお前こそしっかりついてかないとダメだろ!」


 西条と藤井の会話の様子を見て、市原は笑顔を浮かべながら応じた。


市原「あはは、それ言えてるかも!じゃあ今日からよろしくね、花ヶ崎さん!」


 市原の明るい声に、星羅は微笑みながら小さく頷く。その表情はどこか穏やかで、教室の和やかな雰囲気をさらに深めていた。


そのまま何事も無く一日が進んだ。

 授業が進み、いつも通り昼休みが終わり、再び教室に静けさが戻る中、西条は机に突っ伏しながら小さくため息をついた。


(この調子で勉強してたら、多分何とかなんだろうけど、ちょっと不安だなぁ)


ふと目を上げると、前方でノートに視線を落とす星羅の姿が目に入った。相変わらずの凛とした姿勢だが、昨日の取りを思い返すと、彼女の一瞬の柔らかい表情が頭に浮かび、思わず口元が緩む。


(……普通、か。あんなお嬢様でも、普通の女の子っぽいとこあるんだよな。俺だって……なれんのかな、普通に)

 

授業が進む中、夕焼けが窓際の席を淡く照らし始めた。最後のチャイムが鳴り、教師が退室すると、西条は鞄を肩にかけながら藤井の方へ振り返る。


「じゃ、今日は頑張りますか~」


「お前の頑張るは信用できねぇけどな。ほら、市原も早く準備しろよ」


「はーい!」と元気よく返事をする市原の声が教室に響き、星羅がゆっくりと立ち上がった。


「皆さん、お喋りはその辺にして、そろそろ移動いたしましょう。時間が無駄になってしまいますわ」


星羅の落ち着いた声が全員を促し、自然と足が空き教室へと向いた。


夕焼けが差し込む空き教室に到着すると、それぞれの席に腰を下ろした。星羅はスムーズにノートとプリントを取り出し、机に整然と並べる。その動作に、いつもの完璧な雰囲気が漂っていた。


「それでは、今日も進めましょう。皆さん、準備はよろしいですか?」


その声に全員が頷き、西条が軽い口調で言い放つ。


「おーし、今日は奇跡を起こしてやるぜ!」


「奇跡なんかいらねぇよ、普通に解いてくれ、そんなの勉強の意味ないだろ…」


藤井が呆れたように返すと、市原が笑いながら「でも西条くんなら変な奇跡とか起こりそう!」と冗談交じりに続ける。


その時、星羅が小さくため息をつき、冷静な声で告げた。


「藤井さんの言う通りですわ。奇跡ではなく、努力で結果を出してくださいませ。さて、西条くん、この問題は解けますか?」


その挑戦的な問いかけに、西条の表情が引き締まる。


「さぁ、どうだろうな。答えは……これでいいか?」


彼が自信たっぷりに出した答えを見た星羅の表情が、わずかに変わる。

次の瞬間、彼女の言葉が静かな教室に響く。


「まさか、こんなことって……」


その表情と言葉に、教室内の空気が一瞬だけ凍りついた。


「それっていい方で?!悪い方で?!」


 静かな教室に、西条の声が響き渡る。

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