第43話 懐かしい匂い
「ただいま…………あ?」
自宅に帰還した龍一とトワであったが……新居の扉を開いた途端、嗅ぎ覚えのある香りが鼻をくすぐってきた。
「この匂いって……?」
「醤油だねー、リュー君」
その匂いは二年ぶりに嗅ぐ調味料の香り。
日本の心。醤油の匂いだったのだ。
龍一とトワが顔を見合わせると、昨日と同じように工房で鍋をかき回していたツバキが振り返った。
「ああ、おかえりなさい」
「ツバキ……お前、もしかして……」
「ああ、これ? お醬油よ。私が作ったの」
「「!」」
龍一とトワが再び顔を見合わせた。
「まさか……醤油って、自分で作れるのか?」
「そりゃあ、作れるわよ。まさか泉から自然発生するとでも思ってたの?」
「いや、人が作るもんだってことは知ってるよ! どうやって作ったんだって聞いてるんだ!」
「どうやってって……大豆は普通に手に入るじゃない。キッチンにあったから、使わせてもらったわよ?」
醤油の作り方。
材料は大豆と小麦、塩水。そして、『
大豆を蒸して、小麦を煎って砕いて、麹菌を加えて繁殖させる。これで出来上がるのが『麹』である。
麹に塩水を加えた『もろみ』を醗酵・熟成させる。これを絞ることで醤油が完成するのだ。
「俺は詳しくないから知らないけど……それって、何ヵ月もかかるんじゃないのか?」
「私を誰だと思ってんのよ。そんなの、錬金術で一発よ」
ツバキが当たり前だと言い放った。
「卵かけごはんを作るんでしょ? だったら、絶対に醤油が必要じゃない。だから、こうやって作っておいたのよ。感謝して欲しいわ」
「ありがとー」
「はわっ!?」
トワがガバリと抱きついた。
大きな胸でツバキをふっくらと包み込む。
「お醤油があったら、料理のバリエーションが増えるよー。ありがとね、ツバキちゃん」
「べ、べべべべべべべ別に良いわよっ! 私が食べたかったからで、アンタ達のためなんかじゃないんだからね!」
「ツンデレするな。逆に俺達のためだって言ってるように聞こえるぞ」
「ウルサイ! 違うって言ってるでしょ!」
龍一の
そんなツバキの姿を微笑ましく思いながら、ふと龍一の頭にひらめいた。
「そういえば……醤油が作れるってことは、味噌も作れるんじゃないか?」
醤油も味噌もどちらも大豆を主原料とした発酵食品だ。
ならば、どちらも作ることができておかしくないのではないか。
「作れるわよ。引きこもっている間に色んなサイトを見ていたから、やり方も知っているわ」
「ツバキちゃんっ」
「ふひゃうんっ!」
ツバキが再び、トワのおっぱいに包まれた。
天使の抱擁によってトローンとツバキの目が蕩ける。
「お前な……そこまでできるのに、本当にどうしてこれまで引きこもりを……」
「しょ、しょうがないでしょ……お爺ちゃんが養ってくれて、亡くなってからは不動産屋さんとかが取り立てに来て……わけがわからなくて、閉じこもることしかなかったのよ。きっかけがあったら、アタシだってちゃんとしたわよ……」
「引きこもりって、そういうものなのか? 何年も、きっかけがないからずっと閉じこもっているのか?」
努力が生きがいのような人生を送ってきた龍一には、わかりかねる生き方である。
他人の人生にアレコレと口を挟むつもりはないが……これだけのポテンシャルを秘めていて、何もせずに閉じこもっているなんて純粋に惜しい。
世の中のヒキニートの諸君も自分の潜在能力を信じて、社会復帰してもらいたいものだ。
「これからはちゃんとするって言ってるでしょ! いつまでもヒッキー呼ばわりしないで!」
「まあ、それは良いけどな……ポーションだけじゃなくって、醤油とか味噌、それにマヨネーズとかも売れるんじゃないか?」
「うーん……マヨネーズだったら、そんなに作り方も難しくはないし。他にも作っている人がいるんじゃない?」
「それは知らんが……少なくとも、俺はこの世界に召喚されてから見たことがないぞ?」
確かに、お手製マヨネーズだったら家庭でも作れなくはない。
この世界には大勢の日本人が召喚されているのだから、製品として販売している人間がいるのではないか。
「お城ではサラダと一緒にマヨネーズが出てきてたよー。醤油とか味噌はなかったけど」
そう口にしたのは、ツバキを抱きしめているトワである。
トワは二年間、王城で生活していた。
もちろん、食事だって王族に雇われた一流のシェフが作った料理を食べている。
「貴族さんとかの間では、よく食べられているみたいだよー」
「なるほど……高級食材扱いというわけか」
もしかすると王族や貴族以外でも食べている人間はいるのかもしれないが、そういうものだと認識しておこう。
「醤油とか味噌はわからないかも。でも、お塩とかお酒を売るのには許可が必要だって聞いたことがあるよー。調味料は勝手に売ったらダメかもね?」
「そうか……まあ、無理にそれを商売にすることもないか」
トワの説明を受けて、龍一は難しい顔で首肯する。
あえて法律に触れるかもしれない調味料を販売する必要はない。
成功すれば大儲けかもしれないが、そもそも、龍一らはダンジョンからの収入だけで十分に生活することができている。
ツバキもまた同様。
真面目に薬作りをしていれば、問題なく生きていくことは可能である。
「私はお料理に使えたら十分だよー」
「私も……誰かと交渉して商売するのは嫌ね」
「そうか。それじゃあ、醤油とかはウチだけで使っていくということで」
龍一がまとめると、女子二人は異論を出すことなく了承した。
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書籍情報
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