第2話


「ラファエル殿」


 今日も取り巻きの貴婦人達を引き連れながら、茶を飲んでいる王妃の側に腰掛けて、最近見た観劇の話を織り交ぜつつ、巧みな話術で貴婦人や王妃を笑わせていたラファエルは、呼びかけられた。


(おや。タイミング良く)


 そうは思ったが、顔には少しも出ない。

 ドラクマとレイファのシャルタナ兄妹がやって来るところだった。

 この二人は王妃とも友好的な関係であるので、レイファの方はすぐに王妃に一礼し、迎え入れられて話の輪に入って行った。

「貴方は高貴な貴婦人方の輪に入っても馴染みますな」

 人の良さそうな顔でドラクマはそう言い、朗らかに笑っている。

「いかがですか、向こうでワインでも」

 構いませんよ、とラファエルは微笑む。

 少し失礼しますと王妃セルピナに呼びかけ、場を離れる許しを得てから、ラファエルは貴婦人方にも優雅に礼をし、歩いて行った。


 今日の夜会は、踊って楽しむ場ではなく、他国からの客人を集めて開くものでもなく、ヴェネトの、王妃セルピナの覚えめでたい名門貴族だけが集まる、落ち着いた空気のサロンだった。

 美しい美術品が飾られ、ラファエルの最大の感想は(こういうのはジィナイースと一緒に見たいなあ)だったが、楽しくは過ごした。

 こういう集まりでは自然と男女が別れ、貴婦人方はお茶と菓子を楽しみつつ、男性達は隣の部屋でカードや煙草やリキュールを楽しむ。


「寒いとどうしても暖炉から離れられなくなります」

 暖炉の前に立ち、ドラクマが笑いながら言った。

「私も寒いのは苦手で。冬の間だけ暖炉の前にベッドを動かして欲しいと頼んだら、寝返りを打っただけで髪が燃えるから駄目だと叱られました」

 ドラクマが声を出して笑っている。


「屋敷には今、妹君がいらっしゃると聞いたが。ラファエル殿の妹君ならさぞや美しい御令嬢でありましょうな。いやいや、私はもう老いた男なので、兄君として警戒なさる心配はありませんよ。先だっての仮面舞踏会で随分噂になっておられた。美しい風体の令嬢とご一緒だったとか。お二人の美女といらっしゃったそうですが、どちらが妹君だったのでしょうな?」


「彼女は狩りの女神の仮装を」

「そうでしたか。もう一人のご令嬢は……」

「妹の侍女です」

 ラファエルがサラリと微笑むと、ドラクマが耳打ちする。

「実は、先日寄った貴族のサロンで、ある貴族から願われたのですよ。彼女が一体誰であったのかと。これでいい土産話が出来ました。みな、貴方と親交を結びたいのですよ」

「彼女は妹が修道院に身を寄せていた頃から一緒ですから、宮廷や社交界には慣れていませんよ。突然ヴェネトの高貴な方々に言い寄られたら断り方も分からず高熱を出してしまいます」

「そんなことを仰っても、妹君は随分踊りのお上手な方でしたよ。私も桟敷から、眺めさせていただきました」

「私と違って物覚えのとてもいい子なので」


「ははっ、また謙遜していらっしゃる。では、ぜひ妹君に、気が向いたら我が屋敷にお越し下さいとお伝えを。勿論、兄君も気兼ねなくお越し下さい。珍しい美術品などございますし、ゆっくりご覧になるなら妹君も気を張らずに良いのでは」


「これはご親切に。妹は今、社交界の何もかもが物珍しい時期ですので、華やかな場は気後れするでしょうが、美しい美術品などは目を輝かせて見ていますよ。妃殿下にも、王宮の絵画の間をいつでも見に来るようお誘いいただいているのです」

「そうでしたか。ヴェネト王宮に比べてしまえば、我が家のコレクションなど見劣りしますが……しかし一品一品は美しい物ばかりです」

「伝えておきましょう、きっと喜んで伺うことでしょう」

 スムーズに会話を勧めたが、ふと、ラファエルはシャルタナ家の美術品の中には、例の国宝級の美術品【青き福音の首飾り】もあるのだろうかと考えた。

 別に見たからなんだというわけではないのだが、もの自体はラファエルでさえまだ見たことがなかった。丁度シャルタナを少し探りたかったので、これは好機かも知れない。


 ただし【青き福音の首飾り】は、あの死のリストに関わっている、重要な美術品だ。

 ラファエルが名を出すと、シャルタナが何か勘づいて警戒する恐れがある。

 ここは敢えて口にしない方がいいだろうと彼は考えた。

 訪問すれば、特別な美術品がありますよなどと誇らしげにどうせ見せてくるだろう。こちらから動くことはない。


 ラファエルは思惑を一切表に出さず、リキュールの入ったグラスを手にした。

「寒いですね。ヴェネトの冬はこれが普通ですか?」

「今年はもう一度積もりましたから、いつもより寒いかもしれません」

「そうでしたか。それを聞いて少し安心しました」

 ドラクマは笑っている。

 人の良さそうな顔だ。

 洒落ている妹に助言をもらって、ドラクマ自身もやはり目新しい衣装を、堂々とした様子で着こなしている。


 シャルタナには財力がある。

 別に無理に人攫いのようなことをしなくても、いいと思うのだ。


 実際妹のレイファの方は、自分の気に入った美形男を、きちんと金を払って雇い集めている。悪い噂も、この二人の兄妹には聞いたことがない。

 あの死のリストはともかくとして、高額の首飾りの美術品など、別に【青き福音の首飾り】だけではない。ネーリを狙っているのは別の貴族なのではないだろうか、とラファエルは思った。

 ドラクマとそれからも、少し話した。

 彼は話術もあり、冗談も言ったが、真面目な政治の話も出来た。

 気の合わない妻とは離婚し、だが跡継ぎの息子はすでにおり、王妃からも信頼されている。

 ドラクマの周囲の空気はラファエルから見ても、満ち足りていて余裕がある。

 別れ際、本当に妹を連れてお邪魔しても構いませんか? と尋ねてみると、ドラクマは勿論ですよ、楽しみにしていますと快く笑って頷いていた。



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