海に沈むジグラート 第56話【青のスクオーラ】

七海ポルカ

第1話 青のスクオーラ



『【シビュラの塔】が、三つの国を滅ぼしたとき…………僕の中で、何かが壊れたんだ。

 この国のために何かがしたい、きっとこうすることでいつか良くなると、思い込んでた。

 その傲慢が、あの神のような光で、残酷さで、否定された。

 自分はただ、目に付く悪人を殺してただけだ。

 ヴェネトは良くなんかなってないし、僕のしたことも何の救いにもなってない。

 僕はただ、悪い行いをしている人を憎んで殺しただけだ。

 本当にあの人達もヴェネトの子供だと思えるなら――捕まえておくだけに留めることは出来たはずだ。殺しを望んでたんだ。紛れもなく』



『ヴェネトは美しい国だぞ、ジィナイース。

 王都ヴェネツィアはお前が継ぐ水の都。

 青く、美しく、

 慕うべき古の都だ』


 ――行ってみたい。


 ジィナイースが目を輝かせて笑うと祖父も、ニッ、と少年みたいな顔で笑った。

 大きな手が、撫でてくれる。


『必ずじーちゃんが連れて行ってやる』


 ジィナイース……。


 ……ジィナイース……


 波のさざめき。

 海の音がする。

 その音に重なって、聞こえる。


 ……ジィナイース……。


 前はこの声に呼ばれると飛び起きていたのに、段々と意識は覚醒しなくなっている、とネーリは思った。

 名前というものは、呼ばれて、力が宿るものだ。

 ただ名付けられただけでは、自分のものだと気づけない。

 何度も呼ばれて、それが自分を振り向かせる、力になる。

 多分【ジィナイース・テラ】という名が、自分から切り離されて力を失っていっているのだと思った。

 呼ばれても、目が覚めない。


(……ごめんね)


 その名前で呼ばれても、僕はもう返事が出来ないんだ。


 ――……ジィナイース……――


 優しい、声。

 はっきりしないけど、女の声にも思えた。

 何か、夢の中で、過去や最近のことを思い出しているような気がした。

 自覚は無い。

 引いては満ちる波のように、記憶は漂う。


 ラファエルの声、

 フェルディナントの声、


『――俺を信じて』


 ふっ、と決して慣れ親しんだ声では無いのに、思い出した。

 ……あれは、一体、ヴェネトの誰だったのだろう?


 ジィナイース……、

 ごく浅いところで呼ばれる。

 呼び覚ます力は、波動のようには伝わってこない。

 彼は更に、深く眠りにつこうとした。




 ……【ネーリ】……。



◇   ◇   ◇


 ハッ、と意識が覚醒する。

 打たれたようにネーリは飛び起きた。

 今日は、フェルディナントは本部で夜勤だ。

 だから広い寝台にたった一人。

 部屋はしん……としている。

 窓から、待っていたように朝日が射し込んだ。

 まだ寒い冬の朝だが、今日の朝日は温かな気配がしている。

 確かに聞こえた。

【ネーリ】と。

 二度目のはずだ。

 今思い出したけれど、ついこの前も、そう呼ばれた気がした。

 ジィナイースの名が自分にとって、意味の無い、空虚なものになって行く。

 このまま消えゆくのだろうと思ったのに。

 幻聴なんかじゃない。

 確かに、聞こえた。



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