またね、大好き

君原藍

またね、大好き


「俺、“さようなら”って言葉嫌い。なんかもう会えなくなるみたいでさみしい」



ある日の集団下校中、前を歩くランドセル姿の同級生がそう唇を尖らせる。


そんな屁理屈言わないの、と上級生は彼を嗜めた。

だけど、言われてみればと単純な私にとっても一瞬でそれが口にしたくない言葉に変わる。今まで何の疑問もなく、なんならついさっき担任の先生にも当たり前のように口にしていたはずなのに。



「じゃあ、“またね”って言うのはどうかな」



隣まで駆け寄ってそう提案する私に少しだけ目を丸くしてから、それいいな、と君は嬉しそうに笑った。

その日からは別れる時、またねと言い合うのが私達だけの秘密の約束になった。



小学校を卒業してから私達は同じ地元の公立中学へ進学した。

それぞれ違う部活に入っていたけどなんとなく待ち合わせをして一緒に帰る日が続いた。歩いて30分の距離。どうせ同じ方向に帰るもんね、くらいの感覚で。


帰り道は毎日他愛ない話をして、あっという間に家に着いてしまう。

無意識にゆっくり歩く癖がついた私に、背が伸びた後も君は文句も言わず歩幅を合わせてくれた。


中学になると周りに付き合ってる子たちもいた。カップルと違って私達の間にはスキンシップも甘い言葉もない。人気の少ない住宅街をただ並んで帰るだけ、それでもこの時間が気付けば自分の中で特別な時間になっていた。


中3の帰り道、不意に志望高校を聞かれた。祈る気持ちで打ち明けると、じゃあ俺もそこ受けようかな、と何気なく君が呟いた。

その日は眠れないくらい嬉しくて、ようやく気持ちを自覚した。


揃って入学した高校へ電車で通学するようになってからも、私達の“帰宅ルール”は継続された。

その頃からついに、自分の耳へ届くはっきりとした大きさであいつらはどうやら付き合っているらしいと噂されるようになった。


そんなんじゃないよと言いながら、そうなったらいいなと噛み締める。

この気持ちを伝えたかったたけど、自信もタイミングもなくずるずる後回しにしてしまう。だけど、いつかきっと。そう強く心に誓い続けていた。


―――それなのに。



「俺、来月から親の転勤で引っ越すことになったんだ」



ある日の帰り道。

君からの突然の告白に、私の世界は色を変えた。


黙っててごめん。そう続けた君はこっちを見ない。

陽の落ちた後の薄暗い道、君の横顔からはその表情がよくわからなかった。


中学までの義務教育と違って高校の転校はきっと色々手続きや受験が必要なはずだ。

随分前から準備を進めていたに違いないのにギリギリまで打ち明けられなかったという事実が、まんま相手にとっての自分の存在の小ささの証明だと思った。


わかってる。私達は恋人じゃない。

相手を責める理由も権利もない。


本当は泣き出してしまいそうだった。嫌だ行かないでと縋りたかった。だけどぐちゃぐちゃの気持ちを全部隠したまま、そうなんだ、とどうにか一言呟いて私は小さく笑った。


いつも通り家の前で別れた後、部屋に駆け込んで1人で泣いた。

またね、とあと何度君に言えるんだろう。そして最後の日は―――なんと言い合って別れるんだろう。


想像するだけで息が苦しくなる。

胸が痛くて涙が止まらなかった。


失うと分かっていてなんでもない顔して隣を歩けない。

臆病な私は耐えられなくて、明日から別々に帰ろうとメッセージを送ってしまう。すぐに既読がついたはずなのに、最後の日だけは一緒に帰りたい、と返事が来たのは次の日の朝になってからだった。




約束の最後の日。

待ち合わせた君と電車を降りて、駅からの最後の帰り道をゆっくり歩く。


何を話していいか分からず口数が少なくなってしまう。

2人で歩くのはこれが最後かもしれないのに。そう思うのに、そう思うほど、言葉が何も出てこない。



「俺がいなくなったら別のやつと帰れよ。この道暗くて危ないから」



そう不意に呟いた君の声が、微かに掠れていた。

君の代わりなんていない。誰かじゃなくて、君と一緒に帰りたかっただけだよ。言えないままそんなことをぐずぐず考えているうちに、気付けば家の前に着いてしまった。


最後の言葉を決めかねて、私はつい黙り込んでしまう。

君も同じように何も言わないから、2人の間まるで探り合うみたいな沈黙が流れる。


一生の別れと決まったわけじゃない。

お金を貯めて新幹線か夜行バスに乗れば、きっと会いに行くことはできる。


さようならは言いたくない。

だから。



「またね、」



いつも通りにそう笑って手を振るつもりだった。



「大好き」



だけど気付けばそう本音が続いて、涙が溢れていた。

泣き出す私を抱き寄せて、俺も、と応える君の声が小さく震える。


明日から帰る道は違うかもしれない。だけどきっと、これがさようならじゃない。



「次会う時は手繋いで歩きたい」



腕の中でそう提案する私に少しだけ目を丸くしてから、それいいな、と君は嬉しそうに笑った。

その日からは別れる時、大好きと言い合うのが私達だけの秘密の約束になった。

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