三日目.王女の茶会

 たっぷり寝て遅く起きたのもあって、今日の朝食は昼食と一緒くたになった。パンや卵料理だけでなくお肉もあるのでぜいたくな感じ。

 お腹がふくれたらお茶会の準備だ。姉様が着替えている間、兄様はさっさと身支度を済まして侍従たちに指示を出している。私は部屋に引っ込んで、姉様が贈ってくださった二つのドレスのうち、どちらがいいか頭を悩ませていた。

 一つは膝下丈の動きやすい、けれどふわりと広がるスカートで、首もとに露出が多い。もう一つは裾が長く、スカートはすとんと落ちる形をしていて、上は袖がない代わりに揃いの上着がある。

 お茶会にあまり堅苦しい格好はよくないし、夜会に正装だと思われない服を着るのもよくない。どちらも高級さにそう変わりはないのだけれど、スカート丈は問題だわ。短いものの方を普通はお茶会に着るべきだけれど、このドレス肌が見えるのよね……。お庭を使う姉様のお茶会では上着がほしい。それに、どちらかといえばお茶会より夜会での方が動かなければならない場面が多い。

 うん、やはり上着があって裾の長い方にしよう。夜会でなら少しくらい肌を見せてもおかしくないし、短い丈は踊りのためで、子どもっぽく見えるかもしれないけれど、それは陛下に申し上げた言い分に会うわ。

 言い訳を作り上げて、私は姉様の侍従に手伝ってもらって茶会用になったドレスに着替えた。ティエビエンの娘らしく、スカートには縦の折り目が幾本も入っている。グレーのワンピースの上に羽織るのは、丈が帯の上までの短さで、袖が少し広がって風を通しやすくなっている薄緑の上着だ。こちらには花模様の刺繍も入っていてかわいらしい。ついでに侍女が髪を結ってくれたので、太い三つ編みがティアラのようになった。

「かわいい! 腕を上げましたね、ネヴァ」

 手を叩いて喜ぶと、ネヴァはえへへ、と照れたように笑う。

 ネヴァは私が姉様の家に初めて泊まった時からいる侍女で、当時は館に入ったばかりで色々なものを壊しては叱られていた。今ではすっかり落ち着いているけれど。

「よくお似合いですわ。これでユースフェルトの王子殿下もいちころ、、、、ですわよ」

「まあ、ネヴァ!」

 非難を込めて名を呼ぶけれど、彼女はほほほほと笑いながら、

「それでは失礼いたしますわ。ヘマ様、ごきげんよう」

 とするりと廊下へ消えてしまう。食えない女になったわね、全く。

 でもこれで本当にヴィンがいちころ、、、、だったら、ちょっと、いやかなり嬉しい。鏡の前でもう一度全身を確かめて、それからお庭へ向かった。もうじき最初の馬車が来るはず。


 最初に到着したのは兄様と同じ、王領の警備隊に所属しているご友人方。それから姉様のお年が上のお友達——政治家仲間といった方がいいかしら。そういう方がお二人。ヴィンはその次にやってきた。

「お招きありがとうございます、王女殿下」

 主催の姉様にあいさつするヴィンには、他の招待客からの視線が注がれていた。それほど数は多くないといっても、注目を集めて平気なのは彼のすごいところの一つね。王子という立場上、慣れているのかもしれないけれど。

 ヴィンは姉様にすすめられて、私と兄様の座る卓へやってきた。

「いらっしゃい、ヴィン。迷わなかった?」

 声をかけると、彼は笑顔になってうなずいてくれる。

「ああ、城の者に案内してもらえたのでな」

「ようこそ、殿下。ティエビエンの都の街並みはどうだったかな? 気に入ったかい?」

 兄様も珍しく楽しげに声をかけた。ヴィンとはティエビエン語で話せるから、普段は外国からの賓客に気後れしがちな兄様も嬉しいのだろう。

 兄様の生まれた家は、ティエビエンという国をとても大事に思っている——と言えば聞こえはいいが、外国との関りを軽視する一族で、子どもに与えた教育は全てティエビエン語で行われていた。そんな環境で育った上に、兄様はそもそも語学が苦手で、ティエビエン人ならだいたい話せるジョルベ語すら満足に話せないまま大人になってしまったのだ。

 ティエビエン語は、トールディルグ大陸で話される他の言語とは全く異なる。トールディルグの諸語から受け入れた語彙こそ多いけれど、言葉の繋げ方が他とは全く違う。だから、ティエビエン人が大人になってから外国語を学ぶのは非常に難しいとされている。

 外国語が好きならまだ話せるようになる可能性もあったのだけれど、兄様は幼い頃に外語学習の道を断たれたせいか、強い苦手意識があって、少しずつ改善しているとはいっても全然だ。本当は、他国との絆を大事にしてきたティエビエンの次王の王配となるからには、国際語とも言われるジョルベ語だけでも自信がつくといいのだけれど。

 一方、ヴィンは外語が大好きな変わった王子様なので、熱心に返事している。

「とても! おもしろかったですよ、我が国との違いを感じました。ええと、石の——石造の建物が多いところとか。あとは、整えられた、区間、というか……道が真っ直ぐで」

「ああ、我が国の都は他国と比べると歴史が浅いが、その分区画整理は建造当時の意図が活きているからね。よく見てくださった」

「ありがとうございます。それにしても、すてきな庭園ですね。知らない花も多くて気になります」

「それは嬉しいな! ペルペトゥアと僕で分担して植える花を決めているから。気に入った花はあったかい?」

 兄様は、語学の難しさをよく知っている分、優しい聞き手でもあるから、ヴィンも話しやすいのかもしれないわ。そういう点では、語学が苦手でも悪くないのかもしれない。

 続々とお客様が集まって、最後には十人ほどが二つのテーブルに分かれて座った。姉様はヴィンを隣のテーブルの方にも紹介して、和やかに茶会が始まる。

 姉様自慢のジョルベーリから取り寄せた茶葉で淹れた紅茶に、王都で人気のお菓子や小さなパン。王女主催のお茶会だけあって豪華だわ。

 私がケーキに夢中になっている間にも、ヴィンは姉様のご友人たちに次々声をかけられている。ジョルベ語で話してくださる方にはいつもの調子で、ティエビエン語でのあいさつにも楽しそうに応じている彼は格好よく見える。大人と話すのにも慣れているのかも。王の子として生まれるというのは、きっとこういう大人との交流が必要とされるということなのね。

 私も顔見知りの方と近況報告をしたり、ヴィンとのなれそめをしゃべらされそうになって笑顔で流したりしていた。そのうち勝手に席替えが行われ、テーブルの垣根がどこかへ行き、紅茶にお酒を入れる人が現れ始める。兄様は同僚の方のお悩み相談に乗っていて、姉様は議論をふっかけられて応戦しており、庭の真ん中ではゲームが始まっている。

 ぽかんとするヴィンに、私は椅子ごと肩を寄せた。

「驚いた? 本当に内輪の集まりだから、お茶会といっても皆様けっこう勝手をなさるのよね」

 ああ、と彼がうなずいて、声をひそめて言ってくる。

「王妃様の茶会のようなのを想像していたから……思っていたより、その、騒いでもよいのだな」

「正式なものでもないですから」

 丸くなっている目にくすくす笑って答えた。上着の袖を指先で軽く引く。

「ね、ヴィン、よかったらお庭を見に行かない?」

 いいのか、とヴィンが目を輝かせるので、姉様に手を振って合図すると、さらりと片目を閉じて目くばせされた。うるさい大人たちに捕まらないようにこっそり生け垣の向こうへ抜ける。少し人の声が遠くなって、私たちはやっと一息ついた。

「ちょっと騒がしかったわね! 疲れてはない? 姉様のお友達はよくしゃべる方ばかりだし、ティエビエン語も早口だったし」

「問題ないよ、にぎやかで悪くない。耳は追いついても口が追いつかなかったがね」

 けらけら笑いながら細い道を歩く。長靴が小石を蹴ってかつんと音がした。蹴飛ばしてしまったかしら、と地面を見ていると、ふふ、と彼が笑う声。

「そういえば、先ほどは言い忘れてしまったが。今日のドレスと、その髪型? 何というのかわからないが、似合ってるな。かわいい」

 お茶会の間にすっかり当初の目的を忘れていた私は、不意打ちを食らって目を瞬かせた。そうだったわ、かわいいドレスと髪形にしてもらったの!

「ありがとう、嬉しいわ! 気づいてくれて! 姉様の侍女ががんばってくれたのですよ、まるで冠みたいでしょう?」

「冠か! 確かに、ティアラのようだな」

 会った時に言おうと思ったのだが、イサアク殿のごあいさつを受けて言い損ねてな、と言ってくれるヴィンに、私はもう顔全部が笑顔だった。こういう時、恋心の力ってすごいと思う。もう、この後は私、寝るまでほめられたことを思い出して幸せになれちゃうわ。

 私もお返しに、彼の努力について言及する。

「それにしても、ヴィン、本当にティエビエン語上手になりましたね! 前はお話するのは苦手だって言っていたのに」

「そうだろう? 新しい家庭教師の腕がいいからな」

 とヴィンは胸を張った。どうして己より身近な他者の方を自慢げにするのかしら、彼は。

「私ともティエビエン語でしゃべってくれる?」

 ティエビエン語でそう聞くと、彼はうっと詰まって一瞬口もとを隠して、それから照れながらもうなずいてくれる。

「わ……かった。がんばってみよう」

「嬉しい! 私も今度ユースフェルト語で話しますね」

「それはよいな! 貴方もユースフェルト語を勉強してくれているのか?」

「少しだけ、ですけれど。お前ほど上達してはいないかも……」

「貴方は上手だからな、もとから」

 笑うヴィンに、それは買いかぶりだわ、などと言っているうちに、庭の奥の木に造られたブランコにたどり着いた。私はたたっと駆けていって、横を空けてベンチの端に腰かける。

「ここ、すてきでしょう? ほら、お前もよかったら座って」

 空けたところを軽く手で叩くと、ヴィンは束の間遠慮したようだったけれど、すぐに微笑んで隣に座ってくれた。手が触れ合うような距離。二人で青い空を見上げる。

「これ、姉様がけがをして落ち込んでいた兄様のために造らせたのですって。いつか生まれるかもしれない子どものためにもなるからって。今は私ばかり使っているけれど、将来誰が座るのかと思うと、楽しみだわ」

 くすくす笑って言うと、そうなのか、と彼も嬉しそうにうなずいて、それからふいに真面目な顔になった。

「……その、ヘマ。こんなことを聞いてよいものかどうか、わからぬが……」

 珍しく言いよどむので、どうしたのです、と問いかけると、彼は気まずげに一つの疑問を示した。

「どうして、王女殿下とイサアク殿は、ご結婚なさらぬのだ? お二人は婚約者で、共に暮らしてもいるのだろう? この館に来て、驚いた。イサアク殿のために用意された屋敷かと思っていたのだが、王女殿下の……ええと、住まいでもあるようだから。ユースフェルトの貴族は、共に暮らすとなれば、婚約者といっても、結婚する直前と思われるのだが……」

 当然の疑問だ。私はちょっと困った顔をしてしまったのだろう、ヴィンがいや、と否定しようとするのを、手を重ねて制した。ジョルベ語に切り替えて言葉を紡ぐ。

「いいのです、いつかお前にも話さなければならないと思っていました。……前に、陛下が外の国の方をお嫌いだと言ったでしょう? 兄様のご実家は、そのような陛下の思想に強く賛同する家なのです」

 なんと、とヴィンが重ねた手を強張らせる。

「しかし……私の知る限り、王女殿下はとてもユースフェルトに好意的だ。それなのに、どうしてそのような家から、イサアク殿が殿下のもとへ? そんな条件では、婚約できるとも思えないが……」

 やはり彼は鋭い。私は苦笑するしかなかった。

「……複雑な話なのですよ。できるだけ簡単にお話すると……兄様の生家、ラーゴ侯爵家はティエビエンという国が成立した時から、ティエビダの一族だけの国というものに執着してきたの。生まれる子にはティエビエンを守るよう言い聞かせ、ティエビエン語だけを話すよう教育するのです。兄様はそんな家が嫌で……姉様に助けを求めました。まだ若かった姉様が兄様の身柄を生家から引き取るなんて真似をするには、言い訳が必要だった——それがお二人の婚約だったの」

「それは……」

 ヴィンは言葉を呑み込むように一度言葉を切り、一拍置いて、考えながら話し出す。

「そうだな、王女が子息との婚姻を望んだとあらば、それは王家からの命と同じだろう。 ……いや、だが、それは本当に王家からの命令になったのか? ペルペトゥア様の独断であれば……」

 眉をひそめる真剣な顔。話が早いわ。こういうところが話しやすいのよね。

「そうよ、姉様の命令は、陛下に認められなければ王家の命ではないわ。その時陛下がどうなさったかというとね……黙認なさったの」

 小さく嘆息する。仕方ないこととはいえ、あまり納得感はないわ。

「お二人の婚約に賛成とはおっしゃらなかったけれど、反対もなさらなかった。だから姉様と兄様は、婚約者と言ってはいるけれど、結婚式をしようと思っても、陛下がご出席してくださるかわからない、という状況なのです」

「……なるほど。それで婚約は成っているのに夫婦となれない、という状態なのか」

 確認を取ってくれる彼に、ええ、とうなずく。

「姉様が半分くらいこの館で暮らしているのは、きっと父に結婚を認めてもらえない恋人というような印象を、民に与えたいからでしょうね。たぶん陛下がいつかは折れてくださるとわかっているのよ」

 軽く地面を蹴ると、少しだけブランコが揺れる。そうなのか? とヴィンは意外そうに首を傾げた。それに笑ってうなずく。

「お前も言っていたでしょう、陛下はご自身の感情をおおやけに表す方ではないって。わからないけれど……陛下は、たぶん、揺れておられるの。陛下が望まれることが、国のためになるわけではないことを、知っておられる。けれどなまじ力がおありだから、自らの意思に共鳴してくれる貴族家を無下にすることもできない。陛下が、姉様のもとに兄様が迎えられることを認めてしまえば、姉様の派閥に兄様の生家が下ったことになるから……保たれていた均衡が崩れてしまう」

「……難しい話だな。やはり、王族の結婚ともなれば、政から切り離せぬものだ」

 ヴィンが地面からかかとを離したので、ベンチが風に揺れた。足もとを風が通り過ぎてゆく。

「そうね。でも、だからこそ、姉様は兄様のためにも、政に力を入れておられるのでしょう。姉様の力が、実際に陛下の思いを支えられる派閥の力を上回ったら、誰も兄様との結婚に反対などできなくなるわ」

 そうか、とヴィンがしっかりとうなずいてくれたので、微笑んだ。

 既成事実ができる方が早いかもしれないけれど……というのは、言わないでおく。できれば御子には祝福されて生まれてきてほしいものね。

 不埒な考えを軽く頭を振って吹き飛ばす。首筋を撫でる涼しい風に目を細めていると、地面を蹴るとブランコが動くのを理解したらしいヴィンが、目を輝かせて言った。

「ヘマ、もしかして、これは風で背中側を押せば上手いこと動くのではないか?」

 思わず吹き出してしまう。

 風の魔術師ならではの発想だわ!

「それ、すてきね! ちょっとやってみて? 上手くいくかも」

「よし」

 ヴィンが楽しそうに片手を上げて、ふわりと振る。その動きに合わせて、背中の方からふわりと風が吹いた。足が地面からちょっとだけ離れる。

「何だ、あまり動かぬな。動きすぎぬよう設計されているのか」

 思っていたのと感触が違ったのか、少し不満げに言われた。私はくすくす笑って、

「もとは、療養中の兄様のためのものだし、子ども用だから。私たちもう、小さい子ではないのですからね」

「それもそうだな!」

 弾けるような笑い声に、つられてあはは、と笑い出した。


 それからヴィンと少しだけブランコを楽しんで、ティエビエン語会話の続きをして、大人たちのところへ戻った。

 兄様のお友達がゲームに混ぜてくれて、二対二で戦うのもやった。完全に運任せのゲームだったから、結果は一勝二敗。残念ね、と言い合っていると、相手の方に私の運がよくてすまないね、と言われた。腹が立つわ。

「兄様のご友人でなければ許しませんよ」

 とむくれてみせると、兄様に笑われた。

「許してやっておくれ、あいつも悪気はないのだからね」

 はい、と笑ってうなずく。ふと横に目をやると、兄様の隣に座るヴィンが肩を震わせて笑いをこらえているのが見えた。

「どうして笑うのです、ヴィン?」

 迫ってみれば、彼は零れる笑みを隠すように口もとに手をやって、言う。

「いや、すまん。……その、怒ってみせていてもかわいいな、と思って」

「かわいいって言ったら機嫌が直ると思ってるの?」

 直るに決まっているわよね。

 大量の手土産を押しつけてあげる、と伝えたら、彼はおかしそうに笑ってから、ありがとう、と微笑んだ。

 夕刻になり、客人たちも一人また一人と去っていく。私は王城からの迎えの馬車に乗り込むヴィンに駆け寄った。

「明日はお昼頃に参りますね! 何かしたいことがあるか、考えておいてくださいね、ヴィン」

 手を振って告げると、彼は嬉しそうに待っているよ、と言ってくれた。どうしよう、毎日幸せだわ。

 その日の夕食は、お茶会で出されたものが多かったのもあって控えめだった。姉様もお茶にお酒なんて入れなければもっと食べられると思うのだけれど。あれって美味しいのかしら?

 湯浴みの支度をしてくれたネヴァに、髪形をほめてもらったことを教えると、夜宴の折も腕を振るうと約束してくれた。ありがたいわ!

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