第02話 咲楽子先輩とわたしの微妙な関係(2)

「スパイス、全体に行き渡りっ! それでは……いただきますっ!」


 ──ズゾゾゾゾオッ!


 部屋常備のマイ塗り箸で、勢いよく麺をすする咲楽子さん。

 フローリングに正座で。

 味への集中と視覚の楽しみを両立させるためか、瞼をこまめに開閉しながら、ごつ盛り塩焼そばをかきこむ。

 辺りにはバジルの香りと、麺の咀嚼そしゃく音が広がる。

 たまに咲楽子さん、ほふほふと満足げに、麺を口の中で回す。

 丸っこい頬の内側で、コインランドリーの洗濯物のように麺が回転しているんだろう。

 かわいい……かわいい……。


 ──とぽとぽとぽとぽっ!


 わたしは二個目のカップを湯切りして、ゆだった麺をフライパンへ投入。

 ジュバアアアアッ……と景気のいい音を聞きつけて、咲楽子さんが立ち上がる。

 すでに半分以下へと減った焼きそばをすすりながら。

 黄身が半熟になった目玉焼きを端へ寄せ、空いたスペースで麺を炒める。

 麺はお湯で仕上がってるから、ここでは軽く焦げ目をつけるだけ。

 弱火のままソースをかけて麺に絡ませ、火を落としてから中央センターに目玉焼きを載せる。

 そしてその周囲にバジルのスパイスを振りかけて……出来上がり。

 同時に咲楽子さんが、空になった容器をシンクへ。

 それからカチカチと、握ったままの箸の先端を鳴らす──。


「あ、あのさ……なっちゃん?」

「はい?」

「ダイレクトにいっちゃっても……いいかな? フライパンから」

「えっ? あ、はい……どうぞ」

「ありがとっ! じゃ、いっただっきまーす!」


 ──ズゾゾゾゾオッ!


 塗り箸をフライパンへ直接つけると、先っぽの塗装剥がれちゃうけれど……。

 ダメと言えない威圧感、そして唇という名のダムから決壊しそうな涎を見ては、ちゃんと皿に移しますから……って言えなかった。


 ──じゅるるるぅ!


 ピンク色のツヤツヤな唇が黄身へと張りつき、軽くすする。

 それから目玉焼きを箸で四等分に割き、残っていた黄身を周囲へと拡散させながら、麺と搦めて頬張る。

 本当に美味しそう。

 楽しそう。

 こんなに幸せそうにごはん食べる人、いままで見たことない。

 やっぱりわたし、咲楽子さんがモリモリ食べる姿が好き。

 いまは一時的にかくまって、飲食スペースを提供するだけの存在。

 けれどいつかは、お外で、おしゃれして、一緒に──。


 ──ズゾゾゾゾオッ!


 ケース二個目だけれど、咀嚼のペースは落ちない。

 むしろ目玉焼きの味変によって上がってる。

 「大盛」の文字を誇らしげに載せていたパッケージも、きっと白旗上げてる。

 フライパンから、見る見る麺が消えていく──。


 ──ズゾゾゾッ!


 そろそろ、食後のお茶を用意してもいいころ。

 彼女がわたしの部屋へ置いてる、白い陶製のマグカップ。

 表面には、ピンク色のブタの顔が、ポップに一点描かれてる。

 それへと八分目にティーバックの緑茶を注ぎ、咲楽子さんのわきへと置く。

 それから洗面所で、歯磨き用品を準備。


 ──ズゾゾゾゾ……ズズッ……ぢゅるっ!


 食感を惜しむかのような、尾を引くすすり音。

 無音を挟まない、お茶を飲み下す音。


 ──ごくごくごくごくっ!


「……ふはーっ! ごちそうさまでしたっ! 美味しかったぁ!」


 空になったフライパンとマイカップ。

 それらへと手を合わせ、深々とお辞儀。

 からの──。


「なっちゃん、歯磨きさせてっ!」

「準備完了ですっ!」

「さすがあっ! 大好きっ!」


 ──ドキッ!


 晴れやかな笑顔から発せられる、純粋無垢な謝辞。

 大好き。

 お礼とうれしさを兼ね備えつつ、それ以上の意味はない彼女の言葉。

 これまで何度も浴びている。

 きっと美冬さんに至っては、わたしの何倍も、何倍も。

 咲楽子さんはそう……無邪気なんだ。

 まだまだ色気より食い気なお年頃のメンタリティー。


「がらがらがらがら……ペッ!」


 証拠隠滅のための歯磨き、うがい。

 塩焼きそばというチョイスもきっと、ソース焼きそばに比べて匂いが弱いから。

 このあとすぐに部屋を出て、夜風に少し当たって髪や衣類からも匂いを抜き、自室へと戻る。

 ルームシェアリングしている友人へ配慮した盗み食い。

 わたしはその、後ろめたい一時ひとときの共犯者にすぎない。

 それでも、ふにふにで愛らしい咲楽子さんに、自分の部屋で飲食と歯磨きをされる日々が二カ月続けば、さすがに参ってくる。

 認めよう、正直に自分を。

 わたしは同性の咲楽子さんに惹かれている────。


「……なっちゃん、いつもありがとっ! 買い置きの食べ物、なっちゃんも好きに食べていいからねっ!」

「はい、どうも……アハハッ」


 彼女の価値観は食がベース。

 だから匿っているわたしへのお礼も、食べ物で清算しようとしてる。

 けれど……ざきなつ、十九歳。

 恋愛もしっかりしたいお年頃っ!


「さっ……咲楽子さんっ!」

「ほへっ?」


 すでにサンダルを履き、玄関のドアノブを握っていた咲楽子さん。

 その背中……前へと垂らした三つ編みの分け目へと、思い切って声を掛ける。

 目と口を丸く開いた、きょとん顔の咲楽子さんが振り向いた。

 この、匿い飲食ライフの対価として、一度くらいはデートを……。

 たまには外で、おしゃれして食事を────。


「……あの。塩焼きそば、買い足しておきましょうか?」

「うーん……じゃあ安売りしてたら、お願い。ちゃんとお金払うから、レシートはとっておいて」

「はいっ!」

「じゃあ、おやすみなさい」


 ──バタンッ!


「おやすみな…………ああ、行っちゃった。ふう」


 ……デートの誘い、言えなかった。

 それはそう。

 一刻も早く部屋へ戻らなきゃいけない咲楽子さんへ、同性のわたしからデートのお誘いはさすがに厳しい。

 切り出すなら、もっとゆったり二人で過ごせたときに……。

 さて……と、食器の後片付け……と。


「……………………」


 まだ熱気が残るフライパン。

 その上へ置かれたままの塗り箸。

 咲楽子さんの後片付けをするのは、ちっとも苦じゃない。

 だってこれは、食べる姿を見せてくれた痕跡だから。

 ただ、いまは、なんだか、悪い心が……。

 この箸を口につければ、咲楽子さんと間接キス……。

 いやいや、それはダメ。

 さすがにキモい。

 変態やストーカーがすること。

 ダメ、ゼッタイ。

 いけない、いけない、いけない──。

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