第2話

 その日は雪が降っていた。母が『引っ越しの日なのに嫌ね』と忙しなく動きながら言っていたのを覚えている。


 朝からすでに積もっていた雪はさらに新雪が降り積もり、庭の木々がこんもりとした形になっている。


「そろそろ出発するけど、あんた、本当に友達に言わなくていいの?担任の先生にも確認の電話来たのよ?」


「いい。これでいいんだ」


 中学2年生で4月からは3年。あと1年で卒業というところで、転勤族の父がまた転勤になった。昔から転勤が多かったが、子ども心ながらにも仕事なんだから、仕方ないことだと思っていた。詰襟の学生服の上にコートを羽織って外に出る。次の学校は洒落たスーツのような制服だと聞いた。だが、後一年で卒業だ。目立つだろうが、もったいないから、この学生服で過ごす予定だ。はぁと吐く息が白く、空気に溶けてなくなる。


 みんなにしんみりとした雰囲気で見送られるのは嫌いだ。どうせ一カ月もすれば、あんなやついたか?ってなるだろう?そうやって誰か一人クラスからいなくなろうとも、みんな自分抜きで楽しくやってくんだ。そんなもんだと転校を繰り返していくことでわかった。


 でも今回は違った。いつもどおり静かに去ろうとしていたのに、会えなくなるのが嫌だと思った人がいた。これが恋心だったと気付くのは、まだ先になる。高校生になっても大学生になっても、心に残っていた。だから恋だったんだなぁと気付くことができた。しかし今はまだ恋と気付くには幼すぎた。


 その会えなくなるのが嫌だと思ったのが、泉文江いずみふみえだった。彼女と出会ったのは一年の春だった。病弱で、体育の授業を休んでいることも多く『怠け者』『ずるだろう』『嘘つくな』と他の女子に責められているところをたまたま通りかかり『難癖つけんなよ』とにらみつけてつい口を挟んでしまった。そんなことから仲良くなり、よく話すようになった。文江の笑い方が楽しくて、聞いているとこっちまで笑いたくなった。学校にいるとつい目線で追ってしまうほどだった。文江が休みの日はどこか味気なかった。


辰次たつじ行くぞ」


 準備を終えた寡黙な父が一言だけ声をかけてきた。両親の後ろへついていく。足跡だけが家の前に残る。それすらも大粒の雪は白く染め上げていく。この街から存在を消されるように白く白く世界が埋もれていった。


 それが文江と離れてしまった時のことだった。


 今、何十年という時を経て、こんな老人になってから、こんな形で再会するなど思ってもみなかった。


「私ねぇ、辰次くんが何も言わずにいなくなったこと本当にショックだったんだからね」


 梅昆布茶を飲みつつ、ゆっくりとした口調で話し出す文江。デイサービスで話す時間はたくさんある。他の利用者と雑談をしていてもかまわないし、そういう人はよくいた。むしろ話すことを目的として来ている人が多い気がした。


 今日のおやつは羊羹だった。フォークで薄く切って、口にいれる。和菓子特有の小豆の優しい甘さが広がる。コーヒーと羊羹は和と洋なのに意外と合うもので、苦みと甘みを交互に味わった。


「大雪警報が出ていた日だったのよね。今でもよく覚えているわ」


 彼女はおやつが終わると、暇だから何か一緒にしましょうよと誘ってきた。しかたないので、将棋でもと思ったが、ルールを知らないと言う文江のために将棋崩しにした。山のように駒を積み上げ、そこからそーっと抜いていく。山を崩したら負けだ。


「なんでいなくなったの?」


「父の転勤だったんだ」


 ヒョイッと駒を1つ抜く。まだ山は安定している。


「なんで何も言ってくれなかったの?」


「しんみりされるのは好きじゃない」


 彼女が慎重にそーっと駒をとった。


「そういうアッサリとしたところあったわよね。それからどうしていたの?」


 将棋の駒が一つずつ抜かれていっても、彼女の質問はずっと止むことがなかった。今までたまっていた話がたくさんあった。文江は結婚しようと思っていた人と結婚式三日前になって嫌になって逃げちゃったと笑う。お父さんが激怒していた顔、今でも覚えてるわと言う。ずっと独身を通したらしい。仕事は小さな会社の事務員として勤めていたらしい。


 そんな話をデイサービスへ行くたびにしていた。それでも足りないと思うくらい話がつきず、その分、離れてから長い時間がすぎていたのだと実感する。


 その日、いつものように将棋崩しをしていた時だった。


「ねぇ?私、辰次くんのこと好きだったのよ。気づいてた?」


 かしゃんっと音をたてて、山が崩れた。


「あ、辰次くんの負け」


「……いまのはずるくないか?」


 アハハと特徴のある楽しい笑い声が響いた。


 好きだったんだと言うには遅すぎた。なにも言えなかった。いまさら言ったところで、こんな爺になってしまったから、遅いし、亡き妻への後ろめたさもある。口に出すのはやめた。


 文江は特にそれを気にする様子もなかった。いつも通り梅昆布茶を飲み朗らかに笑っていた。






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