20 ジルベール騎士爵 アニエス その4

ジルベール騎士爵領に属する三つの村のうち館から東に位置する集落、ソーヌ村。


夜明けと共に館を発った私とパトン、そして十名の兵士たちがその村に到着したのは、太陽が東の空に昇り、人々が朝の仕事を終えようかという刻だった。


ノワールはその巨体と、何より圧倒的な存在感で道行く人々の度肝を抜くため、今回は館の厩舎で留守番をしてもらっている。


「お?荒事行くんだろ?俺も行くぞ俺も行くぞ行くぞ行くぞ行くぞ」と散々その目と態度で駄々をこねていたが、マリーが彼を窘めて、甲斐甲斐しくも世話をすると約束したら大人しくなった。


心配はいらないだろう。

多分。


ソーヌ村はジルベール領の中では最も人口が多く比較的裕福な村のはずだった。

私は騎士教育を受ける過程で、そうダミアンに聞かされていた……だから、実際の村を見るのが今回が初めてにはなるのだが。


村の光景は、私が聞いていたそれとは、どこか異なっていた。


道を行き交う農民たちの顔には活気がなく、その足取りは重い。

子供たちの姿もまばらで、私の館がおいてある領で聞こえるような賑やかな声はどこにもない。


家々の壁は剥がれ落ち、屋根の茅は薄くなっている。

畑仕事に使う農具もひどく使い古されて、今にも壊れそうなものばかりだ。


村全体がまるで長い病に罹ったかのように、静かに、そしてゆっくりと衰弱している。そんな印象を受けた。



「パトン、私はソーヌ村は比較的裕福……と聞いていたのだが。違ったのか?」


「私がダミアン様の仕事を代行していた時点で、既にこのような様子でしたが……いえ、それよりも活気が失われているように思えます」



運営がうまくいっていないのか?と思ったが、少なくとも畑の様子におかしいところはない。

素人目ではあるが、例えば病害だとか蝗害が起きているなんて状況ではない。


兵士たちのうち七名はパトンの指揮下に入り、村の倉庫と、そしてこれから私が向かう家の周囲を固める手筈になっている。

私は残りの三名を伴い、目的の場所へと向かった。



私が向かったのはソーヌ村の監督者……徴税官、ジャン・ドニの家だ。


その家は、村の他の家々とは明らかに一線を画していた。


村の端、小高い丘の上に建てられたその家は、まるで周囲の貧しい家々を見下すかのように堂々とそびえ立っている。

石造りの壁は頑丈で屋根には真新しい瓦が葺かれている。


さすがに領主である私の館と比較すれば劣るだろうが……比較対象が領主の館な時点でおかしい……おかしくない?



「……」



私の口からため息が洩れる。

兵士たちもまた目の前の光景に息を呑み、何事か囁き合っている……兵らには詳細は省いて連れてきていたが、まあもう、何となく察するよな。


さて、我々の来訪に気づいたのだろうか、

館から扉が慌ただしく開き男が姿を現した。


彼が徴税官のジャン・ドニ。


歳は40代だったか。高そうな生地で作られた上着が、その突き出た腹で窮屈そうに歪んでいる。

サーモ伯爵とは違い、普通に肥満ってだけだな。



「こ、これはこれは、ジルベール騎士様!ようこそお越しくださいました!このような辺鄙な村に、領主様自らがお越しくださるとは、なんという光栄……!」



ジャンは顔に卑屈な笑みを貼り付け、何度も頭を下げた。

……んだが、その目は笑っていない。


突然の、それも武装した兵士を伴っての来訪に明らかに動揺し、そして警戒していた。

酷く狼狽している……いやまあ、私だっていきなり朝起きて外見たら、家の前に武装した大阪府警が集団で待機してたらビビり散らかすか。



「何の御用でございましょうか。事前に知らせをいただければ、お出迎えいたしましたものを。何の準備もできておらず、まことにお恥ずかしい限り……」



これは「通知もなしに何突然押しかけてきたんやオォン?!」という非難である。

まあ一般常識で言えばそうなんだが、こちとらガサ入れに来とるんでな。


不正を事前に調査するというのに、連絡を入れてから行くヤツ等がいるわけがないんだよなぁ。

前世?知らん知らん。私は民主主義のお役所の公務員ではないのだ。



「歓迎は不要だ。急ぎの用件でな。少し話が聞きたい」



私は有無を言わさぬ口調で家の中へと足を踏み入れた。

ジャンは一瞬、私の行く手を阻もうとするかのように身を強張らせたが、私の背後に立つ屈強な兵士たちの姿を認めると、諦めたように道を譲る。


贅を尽くした内装だった。


壁には金糸で模様が織り込まれたタペストリーが掛けられ、床には色鮮やかな絨毯が敷かれている。

テーブルや椅子も、見事な彫刻が施された高級品だ。


ってかオイ、ちょっと待て……あれ?

私の館より金かかってない……?



「それで、騎士様。私めに、どのようなお話が……?」



ジャンは額に浮かんだ汗をハンカチで拭いながら、探るように尋ねてきた。

私は、彼が勧めた椅子には目もくれず、部屋の中央に仁王立ちになると、懐から一枚の繊維紙を取り出した。



「ジャン・ドニ。お前の報告について確認したい」



私はその表を、テーブルの上に置く。

ジャン・ドニは繊維紙に視線を落とす。



「……こ、これは……」


「どうした、読めぬのか?ならば私が読んでやろう。これは、貴様に監督を任せたソーヌ村の過去十年間の税収報告だ。それを私が清書してまとめたものになる。……毎年、数字が変わっていない。小麦も、大麦も、その他の税も、全てだ。さて、これはどういうことだ?」


「そ、それは……その……でございますな……」



彼はしどろもどろになりながら、必死に言葉を探しているようだった。

やがて、彼は何かを思いついたように、顔を上げた。



「あ、ああ!左様でございます!このソーヌ村は、神の御恵みか、毎年安定した収穫に恵まれておりましてな!豊作もなければ凶作もない。故に、収穫量にさしたる差はございませんでした!それを、私が気を利かせ、毎年同じ数字で報告しておったのです。騎士様や、パトン殿のお手を煩わせぬように、と……!そう、左様!全ては、領主様を思ってのことでございます!」



見え透いた言い訳だった……子供でももうちょっとマシな嘘つくぞ。

必死に捲し立てるその姿は、憐れを通り越して滑稽でさえある。


毎年収穫量が全く同じ?それが神の御恵み?

先ほど目にした村のあの荒廃した様子は、その「御恵み」とやらがもたらした結果だというのか?ソドムかここは?


っていうか神の名前出していいのか、簡単に出していい名前じゃないぞ、例のあの人は。

下手すりゃ教会からも追及されちゃうぞ、お前。



「余剰分の穀物は、一体どこにあるのだ?」


「よ、余剰分などと、滅相もございません!全て、報告書に書かれている通り!一片の偽りもございません!」



いやあるだろ。

貯蓄ゼロなんてことないだろ。


私がさらに問い詰めようと口を開いた、まさにその時だった。


客間の扉が、ノックもなしに勢いよく開かれた。

入ってきたのは、パトンだった。


その顔は私がこれまで見たこともないほど、険しく、そして怒りと、呆れに満ちていた。



「アニエス様!ご報告いたします!」



パトンはジャンの存在など意にも介さず、私の前に進み出ると、低い、抑えた声で言った。



「村の倉庫を調べましたところ、領主様に申請されていない、隠された倉庫が増設されておりました。そして、その中には……」



パトンは一度言葉を切り、憎々しげにジャンを一瞥する。



「……かなりの量の穀物が、隠匿されておりました。おそらくは、豊作の年に得た余剰分を、一度に市場に流せば値が崩れるため、ここに貯蔵していたのでしょう。実に、用意周到なことで」



パトンの報告はこの場にいる全員にとって、決定的な一撃だった。

ジャンの顔は土気色を通り越し、真っ白になっていた。その目は虚ろに宙を彷徨い、膝はがくがくと震えている。


言い逃れのできない動かぬ証拠である。



「……ジャン・ドニ。この期に及んで、まだ言い逃れをするつもりか?」



私の問いにジャンは答えない。

ただ、わなわなと震えながら、床の一点を見つめているだけだ。



「アニエス様。……問題は、穀物だけではございませんでした」



だがパトンの報告は、まだ終わってはいなかった。

彼はさらに渋面を深くし、重々しく口を開いた。



「は?まだ何かあったのか?」


「その隠し倉庫の奥に、さらに別の小部屋が……。そこには大量の……塩が保管されておりました」


「……塩?」



私は、思わず聞き返していた。


塩。


この世界において塩は単なる調味料ではない。


何せ冷蔵庫なんてこの時代には存在しないのだ。

肉や野菜などを塩漬けにして保存することに不可欠であり、家畜の飼料にも使われる。


そして何より、塩の生産と流通は王家によって厳しく管理されている。

領主ですら定められた量以上の塩を保有することは許されない、戦略物資なのだ。


その塩を一介の徴税官が、大量に、そして不正に蓄えていた。


もはや単なる横領ではない。

王家の法に対する明確な挑戦であり、反逆行為に等しい……いや、反逆そのものである。



「……パトン。その量は?」


「目算ではございますが……少なく見積もっても、このジルベール領で一年間に消費される量を、遥かに上回るかと」



パトンの言葉が、静まり返った客間に重く響く。


……マジかよ。


私はゆっくりと、腰の剣の柄に手をかけた。



処すか?



それを見たジャン・ドニがその肥えた体を床に這いつくばらせ、見苦しく命乞いを始めた。



「ひ、ひぃぃ……!お、お許しを……!騎士様、お許しを……!」



……くそ、マジで首を撥ねたいが聞きたいことが山ほどある。



「この男を捕らえよ。家族や役人もだ」



私は背後に控える兵士たちに命じる。


最低でもこの塩をどこから仕入れやがったのか……それを明らかにしなければ、監督不行届で私が処罰を食らいかねん。


ええい、横領なんて簡単な話じゃなくなってきたぞ。





【塩】

塩はリュミエール王国北側にある沿岸部より塩田から精製される他、山岳部にある岩塩鉱床より採取される。


この時代の塩は調味料ではなく食糧保存が主要な使用方であり、肉や魚、野菜などの防腐剤として用いられてきた。

即ち「戦時に兵士にどれだけの食糧を供給できるか」を担保する極めて重要な戦略物資であった。


それ故に塩は王家が監督するものと定められており、平時では各領には決められた分量の塩しか流通が認められず、使用には税金が課せられるなど厳重に管理されていた。


多少の密輸袖の下程度であればお目溢しもされようが、中央集権化絶対王政を進めたい現リュミエール王家として厳格化を進めている段階である。

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