21 ジルベール騎士爵 アニエス その5

ジャン・ドニの不正が発覚してから、十日が過ぎた。




「——以上が、今回の調査で判明した全ての事実でございます」



私はサーモ伯爵の執務室で報告を終えたところであった。


下賜された鎧ではなく従前の布鎧なのは、とにかく急ぎ報告に上がらねばならぬと考えてのことである……流石に甲冑は普段遣いには向かんのでな。


目の前に座るサーモ・バーゾク伯爵は、いつもならば陽気な笑みを絶やさぬその顔から一切の表情を消し去り、ただ厳しい沈黙のうちに私の言葉に耳を傾けていた。



執務室の空気は、鉛のように重い。



それもその筈、ソーヌ村で不正を発見した後、ジルベール騎士爵にあるもう一つの村……クリール村も調査したところ、そちらもソーヌ村と同じだったのだ。


つまりは横領に税の不正徴収、そして極めつけの塩の密輸・密売である。


クリール村の徴税官を締め上げれば(物理)、ジャン・ドニに唆されたのだと白状した。

そのジャン・ドニの身柄は、現在、奴自身の館の地下に拘束している。


拷問は流石にやったことも勉強したこともなかったので「焼いた鉄板の上で土下座なんてどうかな?」「いやそれは……もう少し、手心というか……」「手加減ってなんだぁ……?」的な感じでパトンと相談していたところを聞いたら、あっさりと白状してくれた。


正直は美徳だな。



ジャン・ドニは赴任して当初は、ある程度は真面目に仕事をしていたらしい。


というのも、ダミアンは定期的に村を巡回して回り、村長や村民たちに暮らしはどうなのかを訪ねていたらしい。

税の計算も自身でしっかりと行い、そのうえでパトンにも確認をさせていたのだ。


それ故に、小遣い程度の金を懐に収めるくらいならともかく、大っぴらな不正など行う隙は無かった。


……正直に言って、知らなかった。


ダミアンは騎士として実直であったとは聞かされていたが、ヒステリックに私を打ち据えていた記憶が強い。


ともあれ。


ジャン・ドニは十年前。

父ダミアンが病に倒れ、私が騎士代行として領地を不在にすることが多くなってから、悪事をエスカレートさせていたのだ。


役人たちと結託し帳簿を改竄して税収を過少に報告する一方、領民からは二重、三重に税を取り立てていたのだ。

そして、その不正によって得た莫大な富を元手に、彼はさらに危険な領域へと足を踏み入れていた。


塩の密売。

そして、より大きな利益を生む、塩の密輸だ。


行商人らと協力をし、ジルベール騎士爵領を中継地点として運用していたと聞く。

塩がどこからやってきてどこへ行ったのか、それについては知らぬと。


もう少し誠意ある会話拷問をするべきかと思ったが、ともあれ時間は貴重である。


領内で起きた不正を、監督たる伯爵に報告するというのは恥以外の何物でもないのだが、もはやそうは言ってられぬ。

塩の密輸を見つけてしまった以上、黙っているほうがより事態を悪化させる。


そういうわけで、クリール村でも同様の事態が起きていることを確認した私は、事後処理をパトンに任せ、取り急ぎサーモ伯爵に報告に参った次第である。



「まさか、塩とはねぇ……徴税官をやれるくらいの人間なら、どれだけ危険か分かっていそうなものだけど」



長い沈黙を破り、サーモ伯爵が低い声で呟いた。

その声にはもはや普段の快活さの欠片もなく、深い憂慮の色が滲んでいた。



「……一介の徴税官が手を出すにはあまりにも危険すぎる代物だ。背後に、何者かがいると見て間違いないだろうねぇ」


「はい。そうでなければ……ソーヌ村とクリール村、2つの村で同時に塩の密輸が行われていた理由が思いつきませぬ」


「調査しないと分からないが……恐らくだけど、帝国が絡んでるのかなぁ?」



サーモ伯爵はうんざりとした様子で言葉を溢す。


リュミエール王国とダンケルハイト帝国。


この二国間は、今は休戦期間だから平和を保っているだけに過ぎない。

休戦期間が明ければ再び戦争になるだろう。


休戦協定で定めた期間は1年を切っている……大っぴらな争いはしなくても、水面下では色々と動いていてもおかしくはない。


今回の一件は単なる経済犯罪ではない。

塩の密輸が帝国の工作員によって仕組まれたものだとしたら……王国の経済を内側から蝕み来るべき戦争に備えて資金を調達し、そして国内に混乱を生み出すための破壊工作なのだ。



「ジャン・ドニは帝国に利用されたに過ぎないだろうねぇ……まあ、その辺の続きは僕のやる仕事だし、場合によっては王家が動くことになるだろうからね。彼の引き渡しを頼むよ」


「はい」



ジャン・ドニをあの場で処さなくて良かった……死人に口なしを自ら実践してしまうところであった。

彼がサーモ伯爵に引き取られた後に、どのような歓迎拷問を受けるかは知らんが、とりあえず自らの悪行を命をもって悔いてもらえるよう祈ろう。


命をもって人の役に立て。


因みに、彼の家族や不正に携わっていた役人とその家族は全員残さず処刑予定である。

幼子も居るし、一応近しい者からは助命嘆願もされてはいるが、無視だ無視。


コイツらの不正によって、どれだけの農民が困窮したのか村の様子を見れば明らかだ。

そして家族は本当に知らなかったとしても不正の果実を享受していた以上、赦すわけにはいかん。


処罰した相手の家族というのは他国の姫のように扱うか、徹底的に根切りするかの2択しかない。

親や親族を処刑された生き残りの家族が「アイツが悪かったのだから領主を恨みはせぬ」なんて殊勝な心がけをするはずもなし。


人権の比重が小麦粉よりも軽いのだ、後顧の憂いは断つに限る。


さて、サーモ伯爵はしばらくの間、目を閉じて何かを考えていたが、やがて、鋭い光を宿した瞳で私を見据えた。


節くれだった大きな手で、机を強く叩く。

ずしりとした重い音が、緊張に満ちた執務室に響いた。



「アニエス卿。今回の君の働き、実に見事であった。よくぞ、この不正を見つけ出してくれた。もし君が気づかなければ、この腐敗はさらに根を深くし、やがては王国全体を揺るがす大問題に発展していたやもしれぬ。まずは礼を言う」


「……もったいないお言葉にございます。領主として、当然の務めを果たしたまで」


「謙遜は不要だ。君は、多くの騎士が見過ごしてきた、あるいは見て見ぬふりをしてきたであろう闇を、自らの手で暴き出したのだ。それは武勲にも勝る、大きな功績といえる」



サーモ伯爵のいつもの朗らかな調子ではなく、威厳のある伯爵としての言葉に、私はただ深く頭を下げる。



「この件、一刻も早く王家にご報告せねばならぬな」



サーモ伯爵はそう言うと、厳しい表情で卓上の小さな銀の鐘を鳴らした。

澄んだ音色が響くと、すぐに重厚な扉が静かに開き、一人の老人が姿を現す。


その顔には齢を感じさせる深い皺が刻まれているが、しかし背筋は真っ直ぐに伸びていて、白髪は綺麗に整えられている。

その佇まいは、一振りの鋭い剣を思わせた。



「カラン、急ぎ王都へ早馬を出せ。第一王子殿下と宰相閣下に緊急の使者だと伝えよ。私が直接お目通りを願っている、と。理由は……『塩の道が穢された』とだけ記せ」


「かしこまりました。直ちに手配いたします」



家令カランは何一つ問うことなく恭しく一礼すると、静かに部屋を退出していった。

サーモ伯爵は私に向き直る。



「宰相閣下と殿下には私から直接、事の次第を説明する。ジャン・ドニの身柄と押収した密輸品の塩は、追って王家の管理下に移されることになるだろう。クリール村の方も同様だ。それまでの管理は任せるが、君はこの件から手を引いてよい。あとは我々が引き受ける」


「……はっ。承知いたしました」



ふぅ……と、私は本当に小さく安堵する。


ほんと最初にサーモ伯爵に報告するときは「お前、自分ところの領地の管理もできねえのかオォン?お前の無駄に増やした筋肉脳筋で考えたらどうだ?」って怒られるかと思ったが……隠蔽しなかったことを評価された形になるとは思わなんだ。


まあ騎士は、何度も言うが名誉と誇りを大切にする面子商売だからな。


世間体を気にして見なかったことにしたり、報告を渋る者も多いのだろう。

あるいは貧乏騎士であれば、金で抱き込まれることだってあり得るか。


とりあえずは解決しそうで良かった良かった……塩の話についてだけ、だがな!




・・・




サーモ伯爵の館からの帰路。

従者である領民3人と共に歩く最中……ノワールを連れて行くと、馬借で金がかかるため今回も留守番……私は今後のことを考えていた。


私腹を肥やしていた連中を一掃した今、ジルベール騎士爵領の税収は上向くだろうが、まずはそれらを徴収できる新しい徴税官や役人を用意せねばならん。

この時代、四則演算どころか文字の読み書きが出来る教育を受けた人間というのは貴重だ……農民は精々、物の価格なりが解るよう数字が読める程度である。


とはいえ、そんな貴重な能力を持っている人が在野に転がっているはずもなく。


しばらくは私が直接、各村を訪れて徴収せねばなるまい。


なぁに、あのダミアンが出来たのだ……私が出来ないなんてことはないだろう。

アイツに負けることだけは私自身が許せん。


ただし、それがずっと続けられるかと言うと別問題だ。

私は騎士爵として年に数か月はお勤めとして軍役に出ねばならんし、少なくともそれまでには用立てするか、誰かに形だけでもやり方を教えねばならん。


教育……教育なぁ。


いっそ学校もどきでも作ってみるか……?義務教育制ではなく私塾のような扱いにして。


農民の三男や四男坊なんかは、ほっとくと山賊になりやがるからな。

働き口があるならそうはならんだろうし、将来は役人として活用されるのであれば、多少は無理をしても息子や娘を私塾に入れようとする人間は多いだろう。


……いやだめだな、貴重な労働力を私塾なんかに突っ込む人間がいるわけがない。


この時代の子供は「小さな大人」なのだ。

化学肥料がない以上、彼らを活用しないと食料生産が追い付かんくらいには脆弱な地盤である。


というかそもそも、誰が文字も書けん連中を相手に、先生として一から教育するのか……教師を雇うのにも、私塾建設にだって金がかかる。


金といえば、横領されて不正に貯め込まれたジャン・ドニらの財産については、無事私の取り分となった。

この辺りは元より、領内に限り大きな裁量を持つ領主としての立場様々である。


とはいえコレを全部、私の懐に入れるわけにもいかん。

まずは苛税で疲弊したソーヌ村とクリール村に還元する形で補填せねばなるまい。


物資の何がどれだけ必要なのか、村長や顔役を訪ねるか……ああ、どれだけの金が手元に残るやら。


……金金金!本当に騎士か?!そうだよ(迫真)


まともにやろうとするとどれだけ金があっても足りぬ。


ここまで色々と金のかかるものだとは思っていなかった……ハッキリ言って私は領主運営を舐めてた。

まぢむり。


不正を目溢しする代わりに、口止め料をせしめる領主の気持ちもわからんでもない。

そりゃあ塩の密輸にまで手を伸ばしたのはアレだが、そうでもしないと装備も買えんし馬も養えぬ。



そんなことを考えながら三日間の旅路を経て、ようやくジルベール領の館へと帰り着いたが。


私を出迎えてくれたのは、玄関先で待ち構えていた領民……パトンの配下であり、兵として連れ出す農民……の血の気の引いた顔であった。

彼は私の姿を認めると、居ても立っても居られぬといった様子で私に駆け寄ってくる。



「アニエス様!おお、アニエス様……!よ、ようやくお戻りになられましたか……!」



彼はまるで幽霊でも見たかのように真っ青な顔で、私に縋り付くように声をあげる。

その声は震え、目には明らかに動揺と恐怖の色が浮かんでいた。


ただ事ではない。



「どうした、何かあったのか?」


「は、はい!それが、アニエス様がご不在の間に、とんでもないものが、届きまして……!」



彼は懐から震える手で一枚の羊皮紙を取り出す。


流麗な、しかしどこか傲慢さを感じさせる筆跡で私宛と書かれ、そして赤い蝋で封がされていた……封は既に切られており、中は検められているようだが。


私宛の文章故に、本来は私以外が開けることは許されない物だが……押された印象には見覚えがあった。



「テネブルシュール卿か?」



あのピカピカ一年生騎士が何のようだ?

逃がした山賊を退治して尻を拭ってやったことへのお礼か?


まさか、そんな殊勝なヤツではあるまい。


羊皮紙を受け取り中身を読む。


…………

オイオイ、お前……



「……私戦?」



私戦。

騎士同士の戦争である。


つまりは、宣戦布告だ。


私戦を挑む理由は名誉の毀損。

叙任式での屈辱が、それほどまでに彼のプライドを傷つけたというのか。


仕掛けてきたのは貴様だろうに。



「開戦の日は……は? 今日?」



私の言葉に、男はもはや顔面蒼白を通り越し、土気色になった顔で頷く。



「……本日、にございます」


「…………はあ?」



本日。今日。今。

私の脳が思考を停止しようとする。


ちょっと待て。


落ち着け。クールになれ。

状況を整理しよう。


私は一週間ほど前にサーモ伯爵へ報告に向かい、サーモ領で一泊し、そして三日間の旅路を終え自領に帰り着いたところだ。

テネブルシュール卿の手紙はちょうど入れ違いで届いた形である。


騎士として挑戦状を叩きつけられた以上、答えは「はい」か「YES」以外にない。


つまりは返答など求められておらぬ、テネブルシュール卿が日付を間違えていたり、突如難病に罹患などしていなければ、本日指定のとおり攻め込んでくるだろう。


テネブルシュール卿の領に近いソーヌ村。


私の領地は、すでに戦場と化している可能性がある、ということだ。



「……………」



言葉が出ない。


いや、出る言葉がない。


なんて言えばいいのかわからん。



「パ、パトン……そうだ、パトンは、兵は、どうした、どうしている?」


「は、はい!パトンには急ぎ話を伝えました!ソーヌ村に留まっておられます!ソーヌ村に当初残された兵と、追加で10人、合計20人の兵です!」



ジルベール騎士爵領の兵は、私を含めなければ30人だ。

とはいえ常備兵ではなく、農作業の合間に訓練をした程度の心得のある者という具合である。


ソーヌ村にも自警団は居る。

防衛にあたる兵の人数はもう少し増えるだろう。


しかしテネブルシュール卿がどれだけの兵を連れてくるのかわからん。

ひょっと相手が傭兵まで連れてきたら対処しきれるようなものではない。



「すぐに支度しろ!私は先に行く!」



私は厩舎に駆け込む。

ちょうどノワールはマリーに体を拭われており、あの荒ぶっていた気性は一体どこに行ったのかわからん、穏やかな様子を見せていた。


しかし私のただならぬ気配を察したのか、リラックスしていた表情を引き締め、高く、鋭く嘶く。

その黒曜石の瞳が、まるでこれから始まる戦いを喜ぶかのように、ギラギラと輝いている。



「行くぞノワール! マリー、ノワールに鞍を!」


「は、はい!」



マリーが慌てて馬具を持ってきて装着させていく。


先日まではただの農民の娘であったのに、その手つきは多少のぎこちなさこそあれ、的確で素早いものだ。

彼女はパトンなどから、馬具のつけ方を学んでいたのだ……勤勉な労働者は貴重だ。



「先に行く!お前たちも後から来い!」



私は残った兵らに声をかけ、ノワールに跨ると腹を強く蹴った。

漆黒の巨馬は、咆哮のような雄叫びを上げ、戦場と化した大地へと、弾丸のように駆け出した。





【私戦】

リュミエール王国は王に権力を集中させる王政への政変を進めつつも、封建制度を色濃く残しており、領主の権限はいまだ強いものがあった。

それ故に騎士同士の争いは珍しいものではなく、領地の境界線、相続権、城や財産の所有権を巡る対立は頻発していた。


特に汚辱に対する復讐というのは、戦争を起こすには十分な理由と動機であり、侮辱や裏切りを受けた場合、武力で解決することが一般的であった。


戦闘の方法は様々であり、一騎打ちによる決闘の場合もあれば、数百の兵らが衝突することもあり得た。


国王や教会は私戦を抑制するため「神の平和パクス・デイ」運動を行ったが、効果は限定的であった。


これは法的な正しさが、道徳としての正しさと必ずしも一致しないことを示す。

何故ならば、自らの名誉と財産そして信仰は、他の誰でもない自らの手で守らねばならない自力救済という領主としての覚悟は、その地を治める者として生半可なものではなかったからである。

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