9 ジルベール騎士爵代行 アニエス その7

有無を言わさぬ王の声はざわついていたホールを再び静寂へと引き戻し、同時に私の運命を決定づけた。


模擬試合。

それは、騎士がその力を示すための伝統的な手段である。


とはいえ、それは騎士として相応しいのかどうかを決める裁決の方法ではない。

本来ならば、騎士見習いたちが騎士として認められた後に執り行われ、新しい騎士たちの実力を内外に示す祭典のような催しである。


あるいは、戦争のない平和な世でも騎士としての武勇を誇る場を設けることで切磋琢磨させる目的もあるか。

まあとにかく、騎士としての将来をそれ1つだけで決定づけるようなイベントではないのだが……国王陛下直々の命令とあれば、もはや誰も口を挟むことはできまいて。


ヴァロワ伯爵は静かに頷き、サーモ伯爵は渋い顔をしている。

そして異議を唱えた張本人であるガニャールは、顔に勝利の色を浮かべていた。


……ドヤ顔決めてるとこ悪いがねブルイユ卿、この結果で一番得してるのはヴァロワ伯爵だぞ。


自分の先導役の騎士がやらかしたわけじゃないし、献策を通したっていう実績だけ確保したんだからな?

私がお前をボッコボコにしたとしても、もうヴァロワ伯爵にとってはプラスなんだよね。



「アニエス・ジルベールを控室へ案内せよ」



王の簡潔な指示を受け、一人の使用人が恭しく私に近づいた。


私はゆっくりと立ち上がり、そして王の玉座へと深く頭を垂れる。

王はその視線を私に向けていた……まるで突き刺さすような目線は、この茶番劇の結末を、どのように片付けるのか観察したいと思っているような様子だった。


私は踵を返し、その使用人の後に続く。

背後で響く貴族たちの囁き声や、ガニャールが仲間たちと勝ち誇ったように話す声が聞こえたが、もう私の意識には上らなかった……というか、その余裕がないというか。


これから起こるべきこと、為すべきことだけに集中しなければならん。


何せ、ここで負けようものなら私の騎士叙任が無かったことになるやもしれんのだ。


そうなりゃもう、サーモ伯爵には勿論、我が領民らにも合わせる顔が無い。

穴があったらそのまま私を生き埋めにしてくれ。来世に期待する。



使用人に案内されて歩く王宮の廊下は、先ほどの壮麗なホールとは打って変わって、冷たく静まり返っていた。


壁に掛けられたタペストリーに描かれた英雄たちの姿も、きちんと手入れされて時間経過による劣化など無縁であるにもかかわらず、今はどこか色褪せて見える。

私の足音だけが、磨かれた石の床に虚しく響く。


しかし一体、どうしてこうなったのか。


ただ騎士として認められ、ジルベール家の領地を守る。

それだけを望んでいたはずなのに、気づけば王国の貴族たちが集う中で、前代未聞の決闘の登場人物に仕立て上げられていたのだ。


いやーほんと、やんなるね。


イチャモンつけてきたブルイユ卿は勿論、誘導しやがったヴァロワ伯爵もそうだし、多分悪ノリしやがったと思しきオーギュスタン国王陛下におかれましても。

これが女性でありながら騎士になるぞ!などと阿呆なことを考えている小娘への仕打ちであろうか。


おのれ。



「こちらでお待ちください、ジルベール様」



案内されたのは、簡素だが清潔な控室だった。


小さなテーブルと椅子が二脚。

それ以外には何もない、殺風景な空間だ。


窓から差し込む光が、部屋の中を微かに舞う埃をきらきらと照らし出している。

先のホールは勿論、叙任式に参加する騎士見習いに用意されていた控室と比較しても酷くお粗末ではあるが、まあそこは仕方ないだろうな、唐突なイベントなわけだし。


私は身に着けているギャンベゾンが擦れる音を立てながら、部屋の中央で立ち止まった。



「して、試合の形式は決まっておるのか?」


「はっ。国王陛下より、一対一での馬上槍試合にて執り行うよう、仰せつかっております」



使用人は淡々と告げた。


馬上槍試合か。

馬に乗って槍を持って戦い、先に相手を落馬させたほうが勝ち。


騎士の華とも言われるらしいが、私にとってはあまり馴染みのない競技だ。


ネグレクトの代名詞であるダミアンの訓練は、基本的に実戦を想定したものだった。

剣や槍、斧を手に、確実に敵を倒すための手法である。


どっちかっていうとダンケルハイト帝国の騎士のやり口らしいが、まあそれは良い。


さて、騎士が馬に乗って華麗に槍を交える……というのは、実は戦場では殆どない。

というより馬に乗ったまま戦闘するという行為自体がそれほど多くない。


騎乗した騎士の強みとは、馬力に任せた突撃による突破力ではなく、その機動力にある。

人間が走るよりも速く、それなのに重装備の人間を移動させること。これが強いのだ。


相手が歩兵をあっちへこっちへ移動させている間に、騎士は先に現場に到着することができる。

場所が集落なら敵兵が来るまでの間はボーナスステージだ、略奪殺戮なんでもござれ。


そして敵兵が来たら逃げれば良い……そんな連中に対抗するには、こちらも騎兵を持って牽制するか、重要拠点には兵を固めて防衛するか。

つまりは相手の兵を釘付けに出来るってわけだな。


いくら突撃による突破力が高いとは言え、歩兵が槍衾を作ればそうやすやすと踏み躙られはしてくれない。

馬が損耗することを考えれば、移動後は徒歩で殴りに行ったほうがとても経済的ってわけ。


もちろん、弓兵の集団の後ろを取れたりしたら突撃をしかけたりするので、皆無というわけでは、もちろんないのだが。



「試合に用いる得物……槍や鎧、盾につきましては、王宮にてご用意いたします。ジルベール様のお身体に合うものをご用意するよう、既に手配が進められております」



その言葉に私は少しだけ安堵した。

この装備で試合に出ろと言われたら……私だけならまだいいが、サーモ伯爵にも迷惑がかかる。


王が直々に命じた試合で見栄えがしないのは王家の沽券にも関わるだろうし。


しかし、私の体格に合う装備など、探すだけでも一苦労だと思うのだが……王宮の備品であれば、その心配もない、のか?

まあ身長2mを超える大男が過去に居なかったというわけでもなかろうしな。


だが、一つ根本的な問題があった。

致命的な問題である。



「それはありがたい。だが、一つ聞きたいのだが……」



ああ、言いたくない。

ものすごく言いたくない。


しかし、ジルベール家は典型的な貧乏騎士爵家であるのは事実だ。

父が存命中はまだしも、今は領地の維持だけで手一杯なのだ。


そう、それ故に。



「私には、己の馬というものが無いのだが」



その言葉に使用人は僅かに目を見開いたが、すぐに表情を戻して恭しく頭を下げた。

そうだよね、そういう反応になるよね。


騎士と馬とは切っても切り離せぬ関係にある。

そうでなければ、騎士叙任式において、剣や鎧と並び拍車を授かり受けるはずもなし。


地べたを2本の脚で走り回るのは兵士の役割なのだ。

先に言った通り騎士は馬による機動力を持って戦場を駆けるからこそその戦闘能力を買われるわけであるし、即ち名誉にも関わってくる。


騎士と馬はワンセットであり、騎士と兵士を明確に分けるアイデンティティなのだ。


そうなのだ。

アイデンティティなのだよ。


馬に乗るから騎士なんだよ。

私、馬持ってないけど。


いやね、ダミアンの野郎が生きていた頃には勿論、馬がいたんだがね。

私もその馬に乗って戦に代理出席もしていたんだが……もとより高齢であったし、ダミアンが死ぬと後を追うように息を引き取ってしまったのだ。


第三者から見れば美談だろうが、遺った私はどうすればいいというのか。


新たな馬を買い直せば良いと言われればそうなんだが、馬はめちゃくちゃ高価なのだ。

さらには維持費も馬鹿にならん。


人間の何倍も飯は食うし繊細な生き物だから、主人である私以上の金をかけてやる必要がある。

とてもではないが財布に余裕がなかった。


前世で築50年四畳一間の都内のアパートに住んでる苦学生が外車買うようなもんである。



「ご心配には及びません。そちらも王家の厩舎より、ジルベール様にお乗りいただく馬を貸し出す手筈となっております。お呼び出しが掛かりましたら、厩舎の方へお越しください」



私は少しホッとした。

馬が買えない問題に限って言えば、私だけの話ではないからな。


馬不在の貧乏騎士などごまんといる。

それこそ先導役のサーモ伯爵の連れてきた騎士見習いとて、鎧や剣は用意できても馬まで揃えてきた人間は半数程度だ。


そういう騎士のための貸出くらいは用意しているか。

貸出されるならなんとかなるだろう。



使用人は静かに部屋を退出していった。

重い扉が閉まる音が、やけに大きく響く。


一人取り残された部屋で、私はようやく深いため息をつくことができた。


武器、鎧、馬。全て借り物。


私の身の上だけをここまで文字に起こせば騎士物語の主人公にでもなれそうだが、現実の私はただの貧乏騎士だ。


名誉もなにもあったものではない。

金が足りなければ自尊心すら買えぬ。


さて私が望んだのはこんな騎士の姿であったろうか……?

騎士の姿か?これが……


今更ながらに後悔がやってくるが。

泣き言を言ったところで、もはやどうにもならぬ。


私が壁に背を預け腕を組んで思案に暮れていた、その時だった。

控えめなノックの音と共に、返事をする前に静かに扉が開かれた。


てっきり先ほどの使用人が呼びに来たのか……と思ったが、それにしては無礼な行動である。

それもそのはず、そこに立っていたのは使用人などではなく、予想だにしない人物だった。



「……アルベール、殿下?」



思わず声が漏れた。

そこに立っていたのは、リュミエール王国第二王子、アルベール・ド・リュミエールその人だった。


先ほど玉座の横で見ていた儀礼用の豪奢な衣装ではなく、比較的簡素な、しかし上質な生地で仕立てられた私服を身に着けている。

彼の突然の来訪に私は驚きのあまり固まってしまったが、すぐに我に返り、慌てて背筋を伸ばして膝を折ろうとした。



「これは、殿下、ごきげんよう。このような場所でお会いできるとは……」


「ああ、待ってくれ、アニエス。そのように畏まらないでほしい」



アルベール王子は私の動きを制するように静かに手を挙げた。

彼の顔には困ったような、それでいてどこか懐かしむような、複雑な笑みが浮かんでいる。



「ここは公式の場ではない。君と私が、王子と臣下として話す必要はないだろう。……昔のように、楽にしてくれないか」



その言葉に私は戸惑いを隠せなかった。



「……そうは、仰られましても」



「昔のように」と言われましてもねぇ……彼と親しく言葉を交わしたのは、もう十年以上も前の話になる。


私たちは幼い頃……まだ、父ダミアンが勇猛果敢な騎士として王家に仕えており、私が騎士爵令嬢として暮らしていた時期に、何度か顔を合わせたことがあった。


年の近い子供同士一緒に遊んだ記憶が、朧げながら蘇る……まだ私が前世の記憶を思い出す前の話であるため、少し記憶に違和感はあるが。


今にして思えば、婚約話でもあったのかもしれん。


王家と騎士爵の令嬢なんぞ家の格が釣り合うはずもないが……そこそこに王家の覚えのある家で、高位貴族すら息を呑む美貌を持った令嬢であるならば、そして王位継承レースからほぼ脱落している第二王子相手ならば……まあ絶対にないとは言わん。

それはそれでロマンス小説の主人公のようだが。


だが、それは過去の出来事だ。


私は王家のお気に入りの、美貌の騎士爵令嬢などではなく。

貴族から爪弾きにされた、気狂い騎士の子であり、ただの騎士見習いに過ぎない。


身分の差は勿論のこと。

あらゆる環境が、子供の頃とは比べ物にならないほど大きくなっている。


私はどう返すべきか言葉に詰まった。

頭の中がぐるぐるしている。


私のその態度を見て、アルベール王子は少しだけ寂しそうに目を伏せた。



「……そうか。分かってはいるんだ。君も私も、もう子供ではない。色々なものが、昔とは違ってしまったのだな」



彼の声には諦めにも似た響きがあった。

その物憂げな表情はかつて一緒に遊んだ、快活だった少年の面影を微塵も感じさせない。


しばらくの沈黙が重く部屋にのしかかる。

彼は何かを言い出そうとしては、ためらい、言葉を飲み込むような動作を繰り返していた。


その様子はまるで切り出しにくい頼み事でもあるかのようだ。

やがて彼は意を決したように顔を上げ、私の目をまっすぐに見つめた。



「アニエス……君に、訊きたいことがあるんだ」



その真剣な眼差しに私は思わず息を呑んだ。

アルベール王子は非常に言いにくそうに、しかしはっきりとした声で続けた。



「君は、覚えているだろうか……私と交わした約束のことを」





【馬上槍試合】

騎士同士が馬に乗り戦う試合。

一対一で行うものと、多人数が陣営に分かれて行うものがある。

叙任式が終わった後に、新たな騎士たちの実力を示すために行われる他、戦争がない時には騎士の訓練や武勲を示す場や、娯楽としても開催される。

貴族らに人気のある催しであり、多人数戦が最も好まれた。


一方、試合で行われるような華々しい騎士同士の対決や騎兵同士の衝突は、実際の戦場では稀であり、現実は浪漫溢れる幻想とは乖離する。

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