8 ジルベール騎士爵代行 アニエス その6
男の無遠慮な声は、儀式のために張り詰められていたホールの空気をまるで石を投じられた薄氷のように粉々に打ち砕いた。
一瞬の静寂の後、ホールはさざ波が広がるように騒めきに包まれる。
貴婦人たちは扇で顔を隠し、ひそひそと囁き合う。
威厳あるはずの貴族たちも信じられないものを見たかのように、男と、そして王の前に跪く私とを交互に見比べている。
そんな感じで客観的な状況を述べている私であったが、その内心は穏やかではない。
……ってうか、怒りとか何よりも困惑が勝る。
なんだコイツ……ってか、え、マジで?今ここでそれ言うの?
いや確かに、女性が騎士になることに対して伝統を重んじる連中から反発があるだろうことは予想していた、っていうか至極当然であると思ってた。
伊達に嘲笑を浴びていないし、ギリギリ殺し合いにならない程度の侮辱なんぞ、それこそ日常茶飯事である。
時節柄どころか
そりゃあ言われる側からすれば腹が立つことこの上ないが、騎士とか言う伝統の塊みたいな職業に就く以上、伝統を理由に批判されるのは当たり前であろう。
と、私自身や私の父へのそれであれば我慢してきた。
だがここは王宮の叙任式……国王陛下と聖職者が揃い、神の前で誓いを立てる神聖な儀式の真っ最中なのだ。
ここで異を唱えるというのは単なる反対意見の表明ではない。
王家の決定と、それを認めた教会の権威、その両方に対する公然たる反逆行為に等しい。
それを、まだ騎士にすらなっていない……いや、私の前に叙任式は済ませてるから、もう騎士なのか?まあこの場では見習いと呼ぶが……ただの見習いがやらかすなど、何もかもをぶっちぎって、狂気の沙汰としか言いようがなかろう。
私がコイツの先導役なら、この場で何の脈絡もなく奇声をあげて失禁脱糞してでも注意を引き付けてでも、今の発言を無かったことにするぞ。
コイツに一体どれほどの覚悟があるというのか。
それほどまでに騎士というものを神聖視しているのか。
それならばむしろ、私個人としては勇者として称えてやっても良……
…………?
いや、ひょっとして、だが。
もしかして、そんな深く考えてない?絶望的なまでの愚かを発揮しただけ?
「な、何を言っているのだ、あやつは!」
「騎士見習いの分際で、国王陛下の御前で……正気か?」
うん、周りの貴族の皆様方も当然の反応をされている。
私の感覚がおかしくなったわけじゃあないんだな?
流石に宮廷でのマナーとか家庭教師から学んだだけで実践したことないから正直不安だったんだが、やっぱりおかしいんだよなコレ。
私が内心で男の正気を疑っている間にも、彼はさらに言葉を続けた。
彼の名は確か……ガニャールといったか。
私より先に叙任したとおり体躯は私にこそ及ばないが、他の見習いたちの中では頭一つ抜きんでているガチムチの偉丈夫だ。
私さえいなけりゃ彼が注目を浴びていたに違いない。
「騎士道とは、我らが祖先が血と汗で築き上げた神聖なる伝統!それを、このような……このような女如きに汚されてなるものですか!女は家を守り、子を産むのが務めであるはず!戦場に立つなど、言語道断!」
ガニャールの声は怒りと、そしてどこか悲痛な響きさえ帯びていた。
彼の言葉にホールは再び大きく揺れる。
見事な肺活量である。
前世ならバス歌手として名を馳せられるだろう。
うーん……前世の現代日本で言ったら即座にSNSで殴りつけられそうな発言であり、公人なら辞職するまで追い込まれる主張ではあるのだが。
ジェンダーとかレインボーなポリティカルが正しい概念は後世の、
一応、現世……というかこの世界は、恐らくは前世での中世のヨーロッパと比較すれば、女性の立場については諸事情あって改善されているのだが。
あくまでも比較の話なわけだし。
一部の若い騎士や、古くからの伝統を重んじるであろう老貴族たちの中には、ガニャールの主張に深く頷く者もいる。
彼らにとっては私の存在そのものが、守るべき秩序を乱す異物なのだろう。
力士として女性が土俵入りしようとするものか?
いやなんか違うな。
とはいえガニャールの主張に対して眉をひそめ、あからさまな不快感を示す者も少なくない。
それは私の立場や内心を慮ってくれている……訳ではなく、王や教会の決定にケチをつけたこと、権威という伝統に泥をかけて小便を吹っ掛けるに等しい行為への嫌悪感だ。
いくら私が王が重用しているサーモ伯爵のお気に入りであったとしても、それだけが理由で女性の騎士叙任など認める筈もなく、それは教会も同じこと。
つまりは色々と鑑みた結果、私はこうして叙任式に参加しているのだぞ。
ちなみに件のサーモ伯爵などは、今にも怒鳴りつけんばかりの形相でガニャールを睨みつけていた。
国王陛下の御前でなければ、とっくに剣の柄に手をかけていただろう……私への侮辱に怒ってくれている、と考えるのは自惚れが過ぎるか。
王は、ただ静かにガニャールを見据えている。
その表情からは感情が読み取れない。
宙に浮いたままの剣が、この場の異常な緊張を象徴していた。
その張り詰めた空気を破ったのは、また別の声だった。
「陛下、恐れながら、一言申し上げるご許可を」
滑らかで、しかし芯のある声。
貴族の一人が、恭しく頭を下げて進み出ていた。
ヴァロワ伯爵。
私は内心を隠すのに表情の筋肉を全力で固めていた。
許されるなら「うーわー」と声をあげながら舌打ちするレベルである。
この御仁、領地の経営・運営の手腕で知られる内政屋なのだが、サーモ伯爵とは犬猿の仲なのだ。
何かにつけて互いの足を引っ張り合う、典型的な政敵同士。
主義主張も異なり、性格も馬が合わず、それなのに領地の特産品が被るとかいう、何をどうあがいても仲良くできる要素がない。
ついでに言えば見た目も対照的である。
サーモ伯爵が恰幅の良くデカい斧が似合うタヌキの御大将だとすれば、ヴァロワ伯爵は瘦身でチェス盤を前に紅茶とか飲んでそうなキツネの黒幕だ。
さて、サーモ伯爵が私の先導役であることを、この男が知らないはずがない。
事実上初めての女騎士。
伝統とかはさておき「初めて」という時点で王国の歴史に名を残すのは確実。
ヴァロワ伯からすると当然、面白くはないだろう。
つまりこの状況は彼にとって、千載一遇の好機というわけだ。
「許す。申してみよ、ヴァロワ」
王の短い許可を得て、ヴァロワ伯爵は芝居がかった仕草で頷く。
私を一瞥し、そして再び王に向き直った。
「かの若き見習いの発言は、無礼千万。陛下の御決定に異を唱えるなど、許されざることではあります。しかし……彼の言うことにも、一理ないとは言い切れますまい。騎士叙任は、我がリュミエール王国の根幹をなす神聖な儀式。前例なきことを行うのであれば、相応の理由と、そして何より……その者が騎士たるに値するか、その力を万人の前で示すべきではないでしょうか?」
見事な口上だった。
ガニャールの無礼を咎めるふりをしつつ、その主張を巧みに利用し、議論を「アニエス・ジルベールが騎士に値するか」という点にすり替える。
ガニャールの発言に同意していた者たちは勿論のこと、彼の行動そのものが無礼であると考えていた周囲の貴族たちも、ヴァロワ伯爵の言葉に頷いている様子が見えた。
元より大小の違いだけで「女が騎士になること」への漠然とした不安や反感というのは誰しも持っていただろうし、「実力があるなら示せばよい」という公平でごもっともな解決案を出すことで、誰も反論できない提案へと昇華させてみせた。
自分の懐を一切傷めることなく、献策により王や貴族への覚えをめでたくし、忠臣としてのポイント稼ぎ……流石に頭が回るな、この狐野郎め。
正直言ってガニャールの言動がヴァロワ伯爵による仕込みではないかと勘繰るレベルなんだが、後で露見した際のリスクが大きいし、ヴァロワ伯爵がそんな博打をうってくるとは思えん。
本当にこの土壇場で思いついたんだろう……マジかよ。
そこは素直に尊敬すべきところか。
サーモ伯爵が苦虫を噛み潰したような顔をしているのが視界の端に入る。
私の先導役であるサーモ伯爵からすれば非常に面白くもない展開なのだが、とはいえ、彼がここで反論すれば、「自分の息のかかった女を、実力も示さずにゴリ押ししようとしている」と見なされかねない。
ヴァロワ伯爵は、実に巧みにサーモ伯爵が反論する余地を塞いでいた。
うーん、こういう政治力ではやっぱりヴァロワ伯爵の方が一枚上手だな。
サーモ伯爵も勿論できない訳ではないが、サーモ伯爵が武力に優れたオールラウンダーなのに対し、ヴァロワ伯爵は権謀術数にステータスをガン振りしたタイプだ。
殴り合いなら十秒とかからずサーモ伯爵が勝つだろうが、宮廷の戦いはヴァロワ伯爵のフィールドというわけだ。
……やっぱり暴力以外の手段も覚えておくべきか。この状況を乗り越えられたら考えよう。
人々は固唾を飲んで王の決断を待っていた。
すべての視線が、玉座に注がれる。
オーギュスタン国王は、しばらくの間、目を閉じていた。
まるで神にでも問いかけているかのように。
あるいは……この面倒な事態をどう収拾するか、頭の中でサイコロを振ったり、脳内ジャンケンでもして決めているのかもしれないが。
どれだけの時間が過ぎたか解らぬ。
しかし王はゆっくりと目を開き、その鋭い視線で、まず私を見る。
そして次に、異を唱えたガニャールを射抜いた。
「……よかろう」
王の口から漏れた言葉は、静けさに包まれたホールに染み渡るように響いた。
「ヴァロワの言うことにも理がある。前例なき叙任には、疑念の声が上がるのも無理からぬこと。ならばその疑念、力によって晴らすが道理であろう」
王は手にしていた儀式用の剣を従者に渡し、ゆっくりと玉座に腰を下ろした。
そして、威厳に満ちた声で、ホール全体に響き渡るように宣言した。
「アニエス・ジルベール、ガニャール・ド・ブルイユ。そなたら二人に、これより模擬試合を命ずる。場所は中庭の訓練場を使え。互いの名誉を懸け、正々堂々と戦い、その実力を私と、ここにいる全ての者の前に示してみせよ」
王の言葉は、否を言わせぬ絶対的な色を滲ませていた。
有無を言わさぬ、王の命令であった。
【決闘裁判】
「神は正しい者に味方する」という思想の元、戦いにより物事の是非を決めることは貴族において一般的な事件の解決方法の一つである。
これは証人や証拠が不足している告訴事件を解決するもの以外に、貴族の名誉回復手段としても用いられた。
戦うことのできない者のため代わりに決闘を行う代理人も存在し、その生涯をかけて、侮辱された貴婦人のような弱き人々の名誉の回復のため決闘に身を投じた
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