第5話 ~大きな転機

きたる帝歴五十四年六月五日より開催する、元老院への出席を命ずる。帝都への出頭期日は同年六月一日までとする。帝歴五十四年四月二十一日、神聖皇帝親しく命ず」


 元老院出席の勅命を受けたヴェサリウスは、身じろぎせず沈黙を守る。黒珊瑚の間が、えも言えぬ静寂に包まれる。通常は~勅命謹んでお受けいたします~と回答すべきなのだが。一同の視線~不安や不審、困惑した眼差し~がヴェサリウスに注がれる。


 広間の隅にある年代物の置時計だけが、無機質な音を立て時を刻む。

 多くの人は数分の時を経たと感じた、ほんの十秒アクロ・セテほど後に、ヴェサリウスはおもむろに顔をあげる。


「勅命の主旨、謹んでお受けいたします」


 安堵の雰囲気が広間を包み込む。その和やんだ空気を、ヴェサリウスの発言が再びかき乱す。


「されど本職ほんしょく数年来病に伏せており、元老院への参加あたわざること、お詫び申し上げる」


 ヴェサリウスはゆっくりと、噛みしめるように返答する。


 勅命拝辞!


 まさかの事態を前に、黒珊瑚の間を衝撃が駆け抜ける。列席者は声を上げることなくうめき驚く。


 確かに彼は数年前より病に伏している。医師の見立ては積年の労苦が心臓に負担をかけ、徐々に弱まりつつあると。

 医師の投薬と魔導士の回復の呪文スクィエ・パンエロールで治療を継続しているが、病状は芳しくない。


 アストラエアは医師と魔導士~執事兼政治顧問であるマクマド・ロ・デホリウム~に何回か問い質した。


 祖父の病状はどうなのか…と。


 医師は明言を避け、マクマドは無言を貫いた。このことを以って、彼女は祖父の病状が自身が思っている以上に深刻なものだと気付かされたのだった。


 しばしの静寂が黒珊瑚の間を包み込む。そしてヴェサリウスの発言がその殻を突き破った。


「さりとて勅命を拝辞し参加せぬ事は、陛下に対する不忠の極みなれば…」


 彼は勅使たるジェングールを見つめながら語り続ける。


「よってしんが代わりに、臣が娘アストラエアを参加せしめん事を、陛下にたてまつる」


 黒珊瑚の間をさざ波が走る。今度ははっきりと、ざわついた空気が音を立て響き渡った。


 ~わたしが?お祖父さまの代わりに…元老院に…


 明らかに動揺した素振りを見せるアストラエア。視線の先にいる祖父の顔は見えない。その背中からは表情までは読み取ることすらできない。


 ~なぜ?…


「しかしですな、元老院への代理出席は国法上認められておりません。そのことはご承知かと存じますが、ロイトナント公」


 ヴェサリウスの申し出に、ジェングールが疑義を挟む。


 帝国元老院は、帝国の最高諮問しもん機関であり、帝国を構成する二十四の帝国領邦の元首と、公爵から男爵までの帝国貴族凡そ千名が互選した任期六年の代表者五十名、偉勲により終身議員に列せられた者八名の、計八十二名の議員から構成される。

 帝国における最重要事項はすべからく元老院に諮られ、審議の上決議が為される。国法上元老院の決議は皇帝の意思や行動すら拘束する、強大な権能を有している。

 国法上元老院への出席は元老院議員本人と定められており、代理の出席は認められていない。ジェングールの指摘はこれを指してのことだ。


 一瞬の沈黙の後、徐にヴェサリウスが口を開く。


「さすれば、国法に照らし合わせ本職は隠居し、爵位を吾が孫アストラエアに相続させることといたします」


 突然の隠居宣言に、今度は音を立てて衝撃が黒珊瑚の間を突き抜ける。列席者からはざわめきが波紋のように広がる。


 ~わたしが…公爵に?…いきなり…そんな…


 驚愕するアストラエア。無理もない。祖父からは何も聞かされておらず、また心の準備も何もできていない。


 ~二人は知っていたのかしら…


 彼女は二人を覗き見る。


 ザムルは驚愕きょうがくの表情を浮かべている。

 マクマドは冷静さを保っているように見えるも、わずかに眉を上げ困惑の表情を表しているかのように見える。

 両名とも祖父から何も聞かされていなかったのだろう。それもそのはず勅命の内容は二人とも知るよしもないし、隠居についてもおそらく知らないのだろう。


 彼女はジェングールを見つめ上げる。当然彼も驚きの表情を浮かべているかと思いきや、動じた様子には見えない。泰然たいぜんと祖父の回答を受け入れているように伺える。


「勅使閣下ならびに元帥閣下、発言の機会を賜りたく存じます」


 一座の騒めきが収まらない中、マクマドが意見を述べようとしている。ジェングールが軽く頷くのを見て、彼は発言を続ける。


「元帥閣下がご令孫に爵位を相続させたとしても、元老院議員たる資格を相続させることはできないかと…」


 マクマドの主張するところはこうだ。

 公爵位は世襲が可能だが、元老院議員の世襲は認めらない。ヴェサリウスの元老院議員たる資格は、建国の元勲という偉勲に基づいたもので、終身議員たる資格はヴェサリウス個人に帰するもの。アストラエアは爵位を相続することは出来ても元老院議員たる資格は相続出来ない。

 アストラエアが元老院議員となるには、帝国公爵四十二名よる互選を経る必要があると。


 マクマドの具申はもっともなものだ、とアストラエアは思う。自分には元老院議員の資格がないことは言われるまでもない。制度上の問題云々うんぬん以前に、自分にその力量があるとは微塵みじんも思っていない。


「マクマド殿のご意見、承っておく」


 そう述べたジェングールはしばしヴェサリウスと視線を交錯させ、一瞬瞑目した後何かを悟ったかのような、得心の表情を表す。


「ロイトナント公の申し出、あい判りました」


 ジェングールの声は重々しさを感じさせる。


「公がご意見ご主張、謹んで皇帝陛下に奏上したてまつる事、本職はここに約束いたします」


 ヴェサリウスの申し出を、重々しくも率直に受け入れた勅使ジェングール。


「またロイトナント公爵が世襲の元老院議員たるよう、陛下にあらためて勅許いただくよう、余から奏上することも約束いたしましょう」


 微笑を浮かべながらジェングールはヴェサリウスに語りかける。


「陛下も閣下の申し出を、快く受け入れられる事でありましょう」


 この言葉に深々と頭を下げるヴェサリウス。半刻遅れてアストラエアも頭を深々と垂れる。周囲を見渡すと、皆深々と礼をしているのが見える。

 マクマドも一周戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに冷静の仮面で顔を覆った。


 ~お祖父じいさまは一体どういうつもりで…


 彼女は祖父の意図が理解できない。


 突如身震いをするアストラエア。責任の重さが体にのしかかる。祖父の代わりに皇帝に拝謁し、帝国領邦の代表者や帝国政府の高官と相まみえる責任が生じるのだろうか。その鉛の塊を背負うがごとき重圧に、今にもし潰されそうになる。


 そもそも元老院は八年前にドミヌトゥス共和国とヤーブ王国間の国境紛争について審議したのを最後に、開催されていない。これ以降皇帝の勅令が乱発し、帝国政府が恣意しい的に国政を壟断ろうだんしているとの声が帝国領邦から上がり、領邦には不平と不満が蓄積していると有力紙は仰々しく書き立てている。


「勅使殿の配慮に、心より謝意を表する」


 軽く頭を下げ、感謝の言葉を口にする。ヴェサリウスの表情は何処となく晴れやかなものに伺える。


 一方困惑の棍棒で頭を殴られたアストラエアは、その衝撃から立ち直れずにいる。祖父の横顔に浮かんだ表情から、その真意を汲み取るには彼女は余りにも若い。


 視線をずらした時、ジェングールと視線が交差する。意味ありげな表情を浮かべる彼は、彼女の心中を察したのだろうか、謹厳な儀式にもかかわらずウインクをした。


 ~従叔父おじさま…もしかして…わたしのために?…お祖父さまも?…


 彼女が島を出たいという強い想いを抱いていることを、二人とも理解をしている。従叔父とは五年前飛竜士になる夢を熱く語り、いつか島を出ることを率直に話したことを思い出す。


 ただ祖父には島から出たいという想いを、直接語ったことは一度もない。とはいえザムルには飛竜士になる夢を語り、マクマドには島に留まることへの不満をぶつけたことは枚挙に厭わない。


 彼女の考えは二人を通じて伝わっている、と考えるのは当然だろう。


 ~だとしたら…でも、思い込みは禁物…


 アストラエアは込み上げる嬉しさを押し殺すかのように自問する。


 ~でも…帝都へ行ける!島を出られる!


 生まれて初めて島の外へ出られること。これは夢に見続けたことだ。ましてや帝都に赴くことができるとは!


 先ほどとは別種の震えが、彼女の背筋を貫いた。





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Confrontation ~魔術と科学の果てなき戦い~ 涼川 夢遊 @suzukawa_muyu_0987

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