第53話 倒れた先輩

 先輩が、私に覆いかぶさるように倒れた。その背には短剣が刺さっていた。

 紋章が動き出して私の瞳孔が勝手に広がり、暗闇を見る。そこには、短剣を持った王女殿下がいた。

 片目で先輩の様子を確認。良かった。生きている。淑女のたしなみとして肌身離さず隠し持っているポーションをスカートの中から取り出して掛けた。常に持ち歩いてはいたものの、生まれてはじめて使った気がする。私には一緒縁がないと思っていたのだが。

「どういうおつもりでしょうか。殿下」

「それは僕のだ」

 王女殿下の声は、寒々しい。表情は氷のようだった。それでいて、底知れぬ怒りを感じる。

 どうしよう。殺してしまおうか。それとも政治的に失脚させてしまおうか。

 答えを出すまでの間、私は考えながら口を開いた。うわべだけの会話なら淑女教育でいくらでもやっている。

「友人は所有物ではありません」

「所有物なんだよ。僕がそう決めた」

「横暴が過ぎるかと思いますが」

「黙れ。君に何が分かる」

「言ってないけど分かれということを、横暴というのです」

「ヨリユキは僕のだ。ずっとずっと前から僕んだ。最初に僕を王女と扱うなと言って分かったと言い返された瞬間から僕のだ。渡せ。そうすれば今回の件は長年の忠義に免じて不問にする」

 先輩の名前を王女が言った時、この女、殺そうと心に誓った。それぐらい嫌だった。なるほど先輩が名前で人を呼ぼうとしないのが分かる気がする。その名で呼んでいいのは私だけ、そういう風に分かってしまった。

 そうか、お母様が先んじて動いたのはこういうことだったのね。私が手紙を出すずっと前から、お母様は先輩のことを知って内偵を続けていたに違いない。

 その上で王女が私の! ヨリユキを狙っていることに気づいた。当然お父様は王家に忠義立てするだろう。そこで反乱だ。なるほど。全部つながった。

「もう一度言う、渡すんだ。イオリ」

 王女はそう言った後、自分で傷つけておきながらヨリユキを心配そうに見た。

「毒を使っている。王家伝来の毒だよ。王家以外では解毒できない。記憶を破壊していく毒だ」

「だから、渡すんだ。今なら君のことだって少しは覚えているかも」

 背から当たっている燭台の光に手を伸ばした。

「ライ・トウ」

 私は先輩の首を落とした。

「剣聖がこれまで毒に狙われたことがなかったと、本当にお思いですか」

 即座にポーションを使う。部位欠損の、本来は未婚女性の過ちをなかったことにするポーションなのだが、ばらばらになった人体を戻すのにも使える。ポーションを掛けられた断面が身体を探して神経索を伸ばしている。身体までの距離が遠ければ、今度は肉体を再生させ始める。ただ現状では栄養が絶対的に足りない。

 私はそのまま窓と本棚と無数の本と部室を斬って脱出した。王女が悲鳴をあげているのが聞こえる。

 飛び降りながら一応のために校舎を両断する。これで死んでなかったら改めて殺しに来よう。


 妙にすがすがしい気分になりながら、私は走った。なんだ。最初からこうしておけばよかった。時間を随分無駄にしたわ。

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