第51話 思わぬ転がり
「褒めたつもりもないのだが。それでこんな時間になんだろう」
先輩の声はひどく落ち着いている。それが少々悔しかった。私が恥ずかしいのだから、先輩も恥ずかしがるべきでは?
「相談があるのですが、その前に」
私は思い切って先輩に顔を近づけた。
「先輩はもっと本能や野生を大事にすべきです」
「なぜだい?」
それで私は動作を停止した。紋章が輝かなければ危ないところだった。私の頭の中では先輩は理性が勝ちすぎて恥ずかしがるということがないのではという推理が働いていたのだが、それを話すと、私が恥ずかしがっていることを教えることになる。なんという切り返し。しかも先輩はこれで狙ってやっている訳ではないのだ。
「ええと」
「言いにくいなら言わなくてもいいんだが」
優しくはあるが、裏返せば私に興味がないように感じる。それがなんとも腹立たしい。
「そういうところですよ」
「良く分からないな」
まったく腹立たしい。先輩の朴念仁め。
よろしい、ならば戦争だ。貴族の淑女教育を見せる時だ。言質を取るための千の手法を叩きこまれた腕を見せよう。私は途中で淑女教育が終わってしまったので五百くらいだけど。
それでも、すごいはず。まず半眼になって先輩の顔をちらりと見る。
「先輩は……ちょくちょく私を褒めていますよね」
「そうだね?」
それがどうしたのかという顔をしている。私は頬を引っ張りたい衝動に囚われながら、目を合わせた。
「私のためなら頑張れるとも言っていました」
「そうだね」
「その言葉は嘘でしょうか」
「まさか。口から出た言葉は戻すことはできないんだ。だから慎重にもなる。こっちの貴族もそうだろう?」
私の方が恥ずかしくなって目をそらしてしまった。
「そうなんですけど、そうではなくて」
「うん」
ダメだこの人、神殿に飾ってある神像みたいに血が通ってない。なんでこんな人を私は好いてしまったのか。
恋とはままならない。そういう事が書いてある本を見たことがある。まさかそれが本当だったとは。自分には関係ないと思い込みすぎていた。
反撃を。先輩を見つめる。自分の胸に手をやる。
「それならば、いとも簡単に手を放さずに、私に興味を持つべきです」
「聞いたこともない忠言だなぁ」
「そうでしょうか」
「野生から遠ざかるほどよしとする。文化や文明というのはそういうものだろう」
「文化とか文明とかこの際捨ててください!!」
「そんな無茶な」
言質を取る五百の方法が頭から飛んで私は思わず先輩に詰め寄っていた。
「無茶でもなんでも!!」
先輩は優しく苦笑している。
「そうだなあ。しかし考えてもみたまえ。男が野生になるというのはこういう、まあこの状況ではあまりよろしくない」
「大丈夫です。私は強いので」
「そういうところだぞ」
華麗に言い返された。私は顔を真っ赤にして先輩を威嚇した。
先輩は顔に手をやって苦笑している。
「まったく。それで相談とは」
「話題を変えるのは良くないと思います」
「話題を変えないとせっかく決めたことが台無しになりそうなんだよ。それに」
「それに?」
「貴族令嬢が供回りをつけずに小走りでやってくるような要件だ。余程のことだろう。御家のことなんだろう?」
「先輩は時々貴族みたいなことを言いますね」
「まあ、こっちの作法は知らないのだが」
私は数秒考えた後、ここは先輩に合わせることにした。無理やり先輩を問い詰めても、望む答えが返ってくるとは限らない。そもそも嫌われたくない。
「実は……」
それで私は、我が家で起きていることを話した。ただ、私が先輩のことを手紙に書いたことは黙っていた。
話を聞いて先輩は特に何の反応もしなかった。驚いたり、面白そうにしたりもなし。至って冷静だった。私が威嚇した時の方がよほど表情を変えている。
「ええと、私の説明は、ちゃんと通じていますか」
「問題ないよ。良くある話だ」
「よくあるのですか。え?」
私の方が驚いている。先輩は頷いた。
「お家騒動というものは部下が動いたのでなければ婚姻か代替わりか乱心で起きる」
「お母様は乱心をしたと?」
「手紙を送っている時点でその可能性はないな。手紙や報告の通りではないかな」
「通りとは」
あれ、いつの間にか私が説明する側から尋ねる側になっている。
「つまり、ミヤモト嬢の婚姻政策にご母堂は不満があった。その不満を解消するために家を掌握した」
「私の婚姻くらいで、ですか」
「ご母堂にとっては、くらいではなかったんだろう。お家騒動にたるだけの理由だったんだろう。そもそも、物事がどれくらい重いものなのか分かるのは本人だけだ。誰かが決めつけるのは愚かしい」
私は先輩をしげしげと見た。先輩の目に一瞬影があったようにも思えたが、すぐに消えた。
「先輩はどう思いますか」
「心情的にはご母堂の味方だけどね」
「そ、それはどういう!?」
「おそらく、君の幸せにつながらないような婚姻話が出て、家としてはそれを飲む話になりかけたのではないかな」
いえ、あの、そこは全然違って、お母様は先輩を迎えるために……とは、言えなかった。先輩が間違えるのも無理はない。もともとその部分は話していない。正しく助言を得るには先輩に正確な事情を話す必要がある……ほんとに、ほんとに話すの?
うずくまった私に、先輩は優しく声を掛けた。
「家が割れるというのはつらいものだ。ご母堂の条件はミヤモト嬢の婚姻が決まるまで、というのだから、とりあえず決めてしまって、すぐにご母堂を安全な場所へ移送するのがいいだろうな。前世では尼寺だったが、はて今世ではどうか……」
「婚姻……」
私がつぶやくと、先輩は努めて優しく笑って見せた。
「なに、本当に決めてしまわないでもいいのだ。偽装でいい。こう、心に決めた人物がいるとか。適当な身代わりでも用意すればいい」
「先輩が……なってくれます?」
私はうずくまったまま、先輩を見上げた。
「なにが?」
「ぎ、偽装ですよ。もちろん!」
慌てて言ったが、これは大失敗だった気がする。先輩は一瞬だけ、ひどく恥ずかしそうにしたのだった。
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