第16話 雨の日の騎士匠さん

 部室の鍵が、壊されていた。

 雨が降ったので読書しようと部室に寄ったら、これだった。扉の中に鍵を仕掛けてある形式なのだが、それが隙間から両断されている。それで、これを誰がやったのか分かってしまった。


 んんん。


 いや、どうなのだ。いみじくも貴族令嬢が強盗みたいなことをするだろうか。いやしない。それはそう。

 よくわからないなと思いながら扉を開くと、やはりというか、見事な緑髪……こっちの世では黒髪とあまり雅でない名前で呼ぶ……を天の川のように垂れ下げて宮本嬢が寝ていた。机に突っ伏して、形の良い桜色の唇をかすかに開けて寝息を立てている。

 まったくこの娘は、私の心を騒がせる。


 どうしようと思ったが、とりあえず上着を脱いで宮本嬢の肩に掛け、うっかり寝顔を見入ってしまって申し訳ない気分になりつつ部室を出た。部室前で腕を組んで番をすることにする。自分以外にあの顔を見せたくないものだと、心の狭いことを思ってしまった。

 腕を組んで一時間もしないうちに、足音もなく王女が歩いてきた。周囲に人がいないせいか、だらしない顔をしている。

「アリマくぅんー?」

 手をひらひらさせて寄ってきた。王女としてどうなのかとは思うが、諫言しても気にした様子がない。

「どうした殿下、性格悪そうな顔をしているぞ」

「そっちこそどうなのさ。君のための部室なのに君が利用しないなんて」

 私はため息をつくと、殿下が扉に近寄らぬよう、手で邪魔をした。

「中で宮本嬢が寝ている」

 急に殿下が動きを止めた。真顔になっている。

「アリマにしては良い判断だね。寝ている剣聖紋は危険すぎる。昔、トリクティス時代に時の王が宿直にミヤモト家のなにがしを指定したんだけど、朝になったら暗殺者と監視者が山と死んでいてね」

「そうなのか」

 笑いもせずに殿下は頷いた。

「うん。そうなんだ。起きている剣聖より寝ている剣聖のほうが性質が悪い。と、いうことで君の判断は正しい。人を近づけないように配慮しているのもいい」

「そんな危険には見えなかったが」

「時々その鈍感が怖いよ。まあ、そういうわけで、君はイオリ嬢も守ったことになるね」

「そうなのか? てっきりそんなに強いのなら番は無駄だったかと思った」

 殿下は大げさに肩をすくめた。

「そんなことはないさ。少なくとも僕の命は守った。友達としてちょっと褒めてあげよう。頭なでなでとほっぺにキス、どっちがいい?」

「どっちもいらんな」

 殿下は豪華な金髪を揺らした。

「はぁ? こう見えても黙っていれば美少女なんだぜ。僕は」

「友人を助けていちいち報酬を要求するやつは竹馬の友とは呼ばない。俺の故郷ではな」

「なる、ほど」

 少し考え、殿下は笑顔になった。年相応の素直な笑顔だった。

「じゃあ許すよ、女としては若干傷ついたけどね」

「女として扱うなと言ってたろう」

「君は女という生き物を知らなさすぎる。そこは女の都合次第でどうにでもなるんだよ」

 本当かと目で尋ねたら、本当だと殿下は笑っている。私の前世は……まああの世で気にしてもしかたない。

「まあ、そういうわけだ」

「じゃあ僕も友達としてつきあおうかな」

 殿下は腕を柔らかく組んで、私の横に立った。少しばかり勝ち気な笑顔を浮かべている。

「そうそう、前にも注意したけど、宮廷ではイオリ嬢と呼ぶべきだね。アリマくん」

「俺の故郷……だったところでは、下の名前は宮廷でも呼ばなかった」

「そう? でもここはファルガナ国だよ。アリマくん。ヒノモトじゃない」

「そうかもしれんがな。長年の癖はそう簡単には治らない」

「そうかあ」

 気配を感じ、私はため息をついて口を開いた。

「二年四ヶ月」

「おっと」

 王女殿下は暗器を仕舞った。髪の中に隠していた細い棒だった。

「私を殺せば二年四ヶ月後にファルガナは滅びる」

「もー。なんなのさ。その予言! いいだろ、僕に殺されたってさあ」

 絡み方が面倒くさい殿下だ。目は本気だ。

「ちなみに今度の殺人衝動の理由はなんだ?」

「えー? 言わなきゃ駄目?」

 殿下が可愛い素振りで言うと、違和感がある。見た目や仕草は完璧なのだが。

「友人だろう?」

「そっかぁ……まあなんだろう。君が黒猫を好きすぎるからかなー。殺したくなった」

「殿下が好きなのは?」

「黒髪以外の女ぁ」

「それとこれが繋がってない」

「そういうもんだよ。人間なんて。アリマは人の心が分かってないね。僕は君に性的な魅力を感じないし、なんなら黒髪は大嫌いだ。でも誰かに取られると腹が立つ。それぐらいならいっそ殺すかなって思うよ」

「私は殿下の所有物じゃないぞ」

「そう言われると傷つくなあ」

 本当に傷ついた顔をしているのが理解に苦しむ。ため息をつく。

「まあ、そこらの小娘を弄んだあげくに殺すよりはいいか」

「まってそれすごく楽しそう」

「やめろと言っているんだ」

「えー。どうしようかなー。アリマが今晩一晩僕の靴を舐め続けるなら考えてもいいかな」

「その場合、私も殿下も短期間に死ぬな。ファルガナも無事ではない」

 私が告げると、殿下は微笑んだ。場違いに。

「いいよ。死ぬくらいなら」

「ぬかせ」

「ちぇー」

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