第7話 雨の日の紋章暴走

 起こしてくれた幼年学校の生徒たちにお礼をいいつつ、朝の支度。いつもなら幼年学校の生徒たちが丁寧に髪を櫛削ったり、着替えさせてくれるのだが、、今日はそうも行かなかった。時間がない。生徒たちはぎりぎりまで待ってくれていたようだ。

 ありがとうとお礼を言って、最低限以下の状態で寮を出る。幼年学校の生徒たちはこの後登校だから、彼女たちも雨の中駆け足だ。悪いことをしてしまった。

 それもこれも先輩のせいだ。とまでは思えなかった。私が悪い。それくらい分かっている。納得はしていないけれど。


 雨が足音を消している。これ幸いと学校と寮を隔てる柵を飛び越え、素手で一振り、雨を斬って霧にすると階段を上がるより早いと、三階まで窓枠を踏み台にして飛び上がった。二度の跳躍でついた。出欠を取る最中に窓から、はい。いますと返事をする。皆が変な顔をしていたが、気にしないことにした。どうせ授業中以外は、教室にいないし。


 湿気を吸って髪の毛が重苦しい。幸い私の髪の毛は針金のようにまっすぐで変な癖がつくことは滅多にない。嘘だ。寝ていないのに今日はものすごい寝癖がついている。もうだめだ。クラス全員惨殺して先輩も惨殺しよう。

 問題は寝癖がついていたので虐殺を行った女として歴史に名が残ることだ。それはちょっとダメな気がする。

 見れば何人かが倒れている。私は手を出していない。貧血だろう。夏の社交シーズンを控えたこの頃になると、毎日二,三人は倒れる。

 私も昨日、ソーセージを食べていなかったらそうなっていた可能性はある。連鎖的に先輩を思い出してどうしようかと思った。こうも離れていると惨殺するイメージが湧いてこない。嘘だ。私は今、自分の心を測りかねている。


 お礼。お礼を言いにいくべきだろう。それは分かっている。


 しかし今日は先輩に会いに行きたくなかった。まずもって寝癖を修正しないといけない。顔にも若干の疲れよれを感じる。寝不足だ。こんな状況で会いに行けるわけがない。先輩が私を見て笑ったら学校ごとを両断してしまう。

 笑わない可能性も少しはあるが、同じだ。ダメ。今日は日が悪い。今度にしよう。次に雨がいつ降るか分からないけれど。


 もしこれからずっと雨が降らなかったらどうしよう。私は忘恩の女ということになる。でも今日はダメ。寝癖の修正はできたが目元が良くない。

 気づけば昼休みだった。紋章の補正がないのに、授業を聞かなかったなんて。


 教室から外を見る。雨。そわそわする。


 でもこのそわそわは、昼食を楽しみにしているせい。そう。

 食堂に行く。お昼は今日もサラダだった。草だ。どんなに手の込んだサラダでもやっぱり草だ。草と言えば牛……小さいころに牧場の人たちを手伝おうと思ったことを思い出した。気分が落ち込む。別の、もっと楽しいことを考えるべきだろう。

 呼んだ? という顔で先輩が頭の中に出てきたので手刀で追い出した。危ない。もう少しでテーブルを両断するところだった。

 そうだ勉強。勉強をしよう。勉強がかほど待ち遠しいことがあっただろうか。いやない。集中。集中。


 この黒板、斬れる。違う。 集中すると時間が早く進む気がするのでダメなのではと思ったがもう遅かった。午後の授業も終わってしまった。


 私、試されている。笑われて校舎ごと両断するか。忘恩の女になるか。第三の道はないのか。

 雨が勢いよく降っている。数日分まとめて降っているような感じだ。明日は晴れそう。雲にまで手が届けば斬り刻むのに。


 逃げよう。そう思った。寮に逃げ帰って十分な睡眠を取ってから、お礼を作文する。これだ。これだ。


 その時私の右手が光った。剣聖の紋章が輝いている。なんだろうと思ったら、身体が勝手に動き出した。

 剣聖に逃げるなどない。なぜなら最強だから。そんな思考に飲まれかけて、違う、違いますと右手を抑えた。紋章に引きずられるようにしてまっすぐ先輩のところへ足が向かう。逃げようと思ったのが良くなかった。転進とか戦術的一時後退とか思えば良かった。だいたい勝負じゃない。勝負じゃないから!


 部室のドアを右手が勢いよく開けた。せめて仮面を探させて欲しかった。目元さえ隠せれば先輩も笑ったりしないような気がする。

「違うんです」

 私の足が自信満々で本を開いて手に持ったままの先輩に向かった。左手で手で顔を隠す。髪の毛乱れていたらどうしよう。

「紋章が動いてるな」

 先輩はそう言って一瞬凛々しい顔をした。その表情をいつもしていたらいいのに。どうしてそう思ったかは分からない。

 先輩は懐から白いハンカチを取り出すと小さく振った。紋章の光が消えた。

「何をしたんですか?」

「発動条件を推理して、まあ勝負かなと」

 先輩はそう言って、立った。

「お茶とスープ、どっちがいいかな」

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