第8話 人の心がわからない

「お茶とスープ、どっちがいいかな」

「お……スープで」

  二日連続肉スープは乙女的にどうなんだろう。いや、これは剣聖の紋章が太りやすいという誤解を晴らすための正しい行動だ。とはいえ、夕食は少し減らさないといけないかもしれない。

 先輩は上機嫌で肉スープに入れる葱を切っている。いい匂いがする。私は立ち上がった。

「私が切りましょうか」

 料理などはしたことがないが、切るだけならできるはずだ。切るだけなら。

「大丈夫。もう終わったよ。それに君の切り方だと切断面が綺麗すぎて匂いが立たないと思う」

「そうなのですか?」

 言われてみればそんな気もしてきた。そうか、私の紋章は料理でも使えないのか。

 椅子に座りなおして落ち込んでいたら、肉スープと骨付きソーセージと薄焼きのパンが出てきた。前より強化されている。どうしても私を太らせたいという強い圧を感じる。

 あるいは私を食いしん坊かなにかだと思っているのだろうか。だとすればそれは大きな間違いだ。正さなければならない。

「あの、今日私が来たのは……」

「紋章に引っ張られたんだろう?」

「そうですが」

 本当は違う、お礼を言いに来たのだが、つい勢いでそう言ってしまった。先輩は頷いて分かっているとかいう顔をしている。全然わかってない。

「国王陛下も書類仕事をしていると畑を耕したいと狂おしいほど思ってしまうらしい」

 現国王の紋章は農民だ。というよりも、三代続けて農民の紋章持ちが王に即位している。もちろん恣意的な選び方で、その結果としてこの国は三代で食料問題をほぼ解決してしまっている。完璧な種まきのタイミングや除草の仕方などを指導できるからだ。この国では王の指示通りに動けば、豊作が半ば約束されている。

 私は先輩の顔を見た。この人は私を慰めているのだろうか。だとすればそれは間違いだ。私は侯爵家の娘として、覚悟を持って生きている。

 のだが。

 見当違いの慰めでも、まあそこまで嫌ではない。多分。

「不敬ですよ、先輩」

「本人が言ってたんだが」

 王女の学友ともなると、騎士階級でも国王に謁見できるらしい。違うな。話の内容からして、正式な場ではあるまい。おそらく私的に会見して、娘の友人として大丈夫か見極められたのだろう。おそらく鑑定の紋章を持つ者が臨席していたに違いない。それで首が物理的に飛んでいないということは、要するに先輩は王家に仇なすような存在ではないと判断されたのだろう。身分が離れすぎているほうが、派閥の色がつかないで良いと思われたのかも。

 私は先輩の顔を覗き込んだ。小さい頃、家庭教師がそうやっていたのを思いだしたからだ。

「それでもです。貴族はすぐに足を引っ張りますよ。それはもう、呼吸するように足を引っ張るんです。他にやることがないのかっていうくらい」

「大変だな。貴族は」

「他人事みたいに言わないでください。王女殿下のご学友であれば、当然先輩もその対象です。王女殿下のためにも不用意な発言は控えるべきです」

「まあ、面倒くさくなったら他国へ逃げ出すよ」

 貴族でないからこそ言える言葉だった。先輩と自分の間には大きな断絶がある。私は、残念に思っているだろうか。そうでもないな。自由に生きられるのなら、それがいい。紋章に見合った生き方ができるのなら。それが一番だと思う。

 先輩は何を思ったか、ひどく優しい顔をした。

「そんなにしょげないでくれ。分かった。気を付けよう」

 はぁ? しょげてませんけど! 私は強いんで、心配なんかいりません!

 心の中でそう叫んだ。思わず口にするところだった。骨つきソーセージを食べていなかったら危なかった。食べられるところはまだ残ってないかしら。

「そんなに睨まないでも」

「……睨んでいません」

 私はそっぽを向いた。この人は王女殿下と親しくなって、貴族との付き合いの距離とかがおかしくなっているのかもしれない。貴族との付き合い方は遠くで関わらず、それが一番だと思う。貴族の令嬢が言っているのだから間違っていない。うっかり親しくなったせいで昼食でサラダだけを食べている庭師のおじいさんを私は知っている。

(……貴族との付き合い方は考えるべきです)

「声が小さくて良く聞こえていない」

「気にしないでください。私も気にしません」

「そうなんだな」

 先輩は頭をかいている。どこか困った様子。

「怒らせたのならすまない。教室でも良く怒られる」

「下級貴族はそれなりにいるでしょうからね」

「いや、貴族云々ではなく、お前は人の心が分かってないと」

 誰だか知らないが良いことを言う。確かに先輩は人の心を良く分かっていないところがある。まったく、全然。でも私以外の人がそんなことを言っているのだとしたら、斬っていいだろう。

「そういうことを言う人は、私が斬りましょうか」

 お礼にぴったりのような気がしてきた。これだ。これだ。

「いや、それには及ばない。気にならない」

「そういうところですよ。先輩。あと気にならないじゃなくて、気にしないの間違いでは」

「気にしないは、多分気にしているんだと思う」

「なるほど。そうかもしれませんね」

 納得しかけて、先輩が人の心が分からない問題についてはそれが根本原因のような気がしてきた。気にしないじゃなくて気にならないから失敗しているんだ。そもそも問題に気づきもしないのだろう。

「やっぱりそういうところですよ、先輩。気にならないじゃなくて、気にしないようにしていきましょう」

「大変そうだな」

「先輩のためです」

「それだと頑張れないな」

「骨付きソーセージのためだと思うのはどうでしょうか」

「気に入ったのか……いや、そうだな。あー」

 先輩は言いにくそう。私が睨むと先輩は口を開いた。

「まあ、君のためなら頑張れるような気もするが」

 私は立ち上がって転進した。今まで言われたことがなかった言葉だった。


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