寡黙な戦士と裏切りの聖女

@flameflame

第1話

吹き抜ける風が、古びた酒場の扉を軋ませた。薄暗い店内で、屈強な男たちがジョッキを傾け、騒がしい談笑を交わしている。その片隅で、一人の男が静かにグラスを傾けていた。漆黒の鎧に身を包み、顔は兜で覆われている。寡黙な戦士、グレンだ。


かつて、彼は賑やかな冒険者パーティの一員だった。勇者、魔法使い、盗賊、武闘家、僧侶、そして戦士。六人は固い絆で結ばれていた。特に、幼馴染の僧侶、エリンとは恋人同士だった。優しく微笑むエリンの姿は、グレンの凍てついた心を温める陽だまりだった。


しかし、その温かい日々は、ある日を境に崩れ始めた。パーティのリーダーである勇者、ガイアスが、エリンに目を付けたのだ。ガイアスは天性のカリスマと容姿を持ち、多くの人々を魅了してきた。エリンもまた、その魅力に抗えなかった。


ある夜、グレンは偶然、ガイアスとエリンの情事を目撃してしまう。月明かりの下、絡み合う二つの影。エリンの口からは、愛しい恋人に向けるのとは違う、甘く蕩けた吐息が漏れていた。グレンの心は、氷のように冷え切っていくのを感じた。


翌朝、エリンはいつものようにグレンに微笑みかけたが、グレンの瞳は以前の温かさを失っていた。その変化に気づいたエリンは、不安げにグレンを見つめたが、グレンは何も言わずに視線を逸らした。


その日から、グレンは変わった。以前はパーティのムードメーカーだった彼から、笑顔が消えた。言葉数も極端に減り、まるで別人のようになった。エリンは何度もグレンに話しかけようとしたが、彼の周りには冷たい壁が築かれており、近づくことさえできなかった。


ある日、エリンは意を決してグレンに問い詰めた。「グレン、一体どうしたの?私に何か隠していることがあるでしょう?」


グレンは静かにエリンを見つめた。その瞳には、失望と悲しみが深く刻まれていた。「お前がガイアスと…」


言葉を最後まで聞かずに、エリンは顔を青くした。俯き、震える声で言った。「違うの、グレン。あれは…」


「もういい」グレンは冷たく言い放った。「お前とは、もう何も話すことはない」


その言葉を最後に、グレンはパーティを去った。誰も彼の決意を翻すことはできなかった。


グレンが去った後、エリンは後悔の念に苛まれた。自分が犯した過ちの大きさを、今更ながらに痛感した。グレンの優しさ、温かさ、そして何よりも自分への深い愛情を、愚かにも裏切ってしまったのだ。


エリンはグレンを追いかけようとしたが、彼の足跡は既に消えていた。残されたのは、冷たい風と、後悔の念だけだった。


グレンを失ったパーティは、次第に歯車が狂い始めた。以前はグレンの的確な判断と冷静な対応で難なくこなせていたクエストも、失敗続きとなった。ガイアスのカリスマだけでは、パーティをまとめることはできなかったのだ。


そして、ある日、彼らは過去最大級のクエストに挑んだ。強力な魔物が棲む迷宮の攻略。かつての彼らならば、十分に攻略できたはずのクエストだった。しかし、グレンを失ったパーティは、連携を欠き、魔物の猛攻に為す術もなく倒れていった。


エリンは最後の力を振り絞り、回復魔法を唱えようとしたが、既に魔力は底をつきていた。倒れ伏す仲間たちの中で、エリンは薄れゆく意識の中で、グレンの姿を思い描いていた。あの優しかった瞳、温かい手、そして何よりも自分を愛してくれた心。


「グレン…」


エリンの呟きは、迷宮の奥深くで虚しく消えた。


グレンはその後、各地を放浪し、数々の戦場を渡り歩いた。かつての仲間たちのことを思い出すことはほとんどなかった。ただ、時折、夢の中でエリンの面影を見るだけだった。


ある夜、グレンは夢の中でエリンと再会した。エリンは以前と変わらぬ優しい笑顔で、グレンを見つめていた。


「グレン…ごめんなさい…」


エリンの言葉に、グレンは静かに首を横に振った。そして、エリンの手を取り、優しく握りしめた。


夢から覚めたグレンの目には、一筋の涙が伝っていた。それは、過去への決別、そして、失われた愛への弔いの涙だった。


その後、グレンがどうなったのかを知る者はいない。ただ、各地の酒場で、漆黒の鎧を纏った寡黙な戦士の伝説が、時折、語られるだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

寡黙な戦士と裏切りの聖女 @flameflame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ