《第四部:混沌の扉と魔王への帰還》

第18章:崩壊の序曲


 遺跡の上層で勃発した激戦の末、人間の大軍の侵攻と、魔族の大規模儀式がぶつかり合った。その結果として、メルクたちが呼び出した“魔竜”が暴走し、遺跡全体を瓦解へと追いやっている。

 俺――“魔羊”として転生し、捕食を重ねて力をつけてきた存在は、首筋から深い傷を負わされ、意識が朦朧とするまま、辛うじてがれきの下敷きを免れた。


 「グルル……」


 地響きとともに、天井に亀裂が走り、大量の石材が崩れ落ちる。瓦礫を必死に避けながら、俺は血が滴る首を押さえ、後退するしかなかった。聖騎士による光の斬撃で受けたダメージは大きい。回復したいが、捕食できる死体は混戦の中に散らばっており、そこへ向かうのも命がけだ。


 遠くでは、竜の咆哮が遺跡の壁をぶち抜き、多くの人間兵や魔族兵を巻き込んでいる。恐怖のあまり絶叫する者、錯乱して剣を振り回す者……もはや戦場というより、地獄絵図の様相を呈していた。


 (このままじゃ全滅する。人間も、魔族も、俺自身も――)


 俺は必死で呼吸を整え、なんとか四肢に力をこめる。逃げるのは容易いが、それではもう“強くなる”ことは望めない。こんな千載一遇の――凄まじい力が現れている場でこそ、さらなる糧を得るチャンスだと、本能が囁いている。


 そのとき、頭上を見やると、先ほど俺に重傷を負わせた聖騎士の姿があった。彼も壁際に倒れ込み、光の剣を杖代わりにして立ち上がろうとしている。肩当てが外れ、鎖帷子が血で染まっているところを見ると、魔竜の衝撃波を受けたのだろう。


 (あいつを捕食できれば、大きな力が得られる……!)


 背後で魔竜の破壊活動は続いているが、このままここで死ぬよりは、せめて一噛みでも強くなってやる。俺は痛む首筋をこらえながら、聖騎士に向けて駆け出した。


 「メェエエッ……!!」


 聖騎士も気配に気づいたのか、顔を上げて青ざめた表情を浮かべる。しかし、立ち上がりきらない足取りでは、まともに回避できない。

 「くっ……離れろ、化け物が……!」

 光の剣を振りかざそうとするが、タイミングがわずかに遅い。俺は角でその手を弾き、さらに体当たりで騎士の身体を壁際に押しつけた。


 「ぐあっ……!」


 鈍い音とともに、騎士の呼吸が乱れる。鎧の隙間を狙い定め、牙を突き立てる。痛みで悶絶する騎士を逃がさぬよう、前足で抑え込んだ。

 俺が噛みつこうとした一瞬、頭に電流のような痛みが奔る。聖騎士の剣先が、かろうじて俺の顎のあたりを斬り裂いたらしい。だが、深手には至っていない。


 (よし……今だ……っ!)


 角で剣を押さえつけ、騎士の咽喉に思い切り歯を立てる。柔らかな肉と血管が裂け、鉄の味が口いっぱいに広がった。

 「がは……」


 騎士が限界の声を上げるのを、俺は聞き流す。生かしておく理由はない。首筋をさらに噛み裂き、血を啜る。力が漲るような感覚が戻ってくると同時に、深い傷の痛みがわずかに薄らいだ。捕食は回復の糧。


 ――「経験値を獲得しました」――


 視界の隅にステータスが浮かぶが、レベル9 → 10 には届かない。やはり既に俺のレベル帯だと、一体の捕食だけではそう簡単に上がらなくなってきているのか。

 それでも、生き血の温もりが俺の体力を多少は回復させたのは確かだ。戦闘継続は十分可能。


 「グルル……」


 唸り声をあげ、今度は周囲を見回す。魔竜は遺跡の中心部へ移動し、そこで暴れまわっている様子だ。崩壊しかけた通路を貫いて、下層の祭壇まで届きそうな勢い。

 一方、仲間であるはずの魔族たちもほとんどが散り散りになり、なかには魔竜の攻撃に巻き込まれて大破している姿も見える。


 「メルク……どうした……」


 黒ローブの魔族――メルクがまだ生きているかどうか、ここでは確認のしようがない。下層で儀式を続けているのか、それともすでに……。

 俺は迷う。今の俺は首の傷こそだいぶ軽減されたが、このまま魔竜に突っ込むのは無謀だろう。しかし、このままではせっかくの“呼び出し”が暴走で終わり、拠点は完全崩壊。人間の大軍も、魔族も、一緒に壊滅する恐れがある。


 (どうする……?)


 思案している暇はない。遺跡の壁にまた大きなひび割れが走り、瓦礫が雨のように降り注ぐ。下層への階段も一部崩れてしまい、転落しかねない状況。遠くでは魔竜が吠え、黒い炎を吐いているのか、火柱のような光が見えた。


 突然、背後からせわしない足音と金属音が聞こえる。警戒して振り返ると、そこにはバイル――コウモリ翼の魔族がいた。ボロボロの姿だが、まだ飛行できるようだ。

 「お、お前……まだ生きていたか……」

 バイルは俺を見るなり、ほっとしたような表情を浮かべるが、その顔は青ざめている。彼の背後には二、三人の魔族兵もいるが、いずれも傷だらけだ。


 「状況は最悪だ。魔竜が制御不能なまま上層に上がってきて、こちらの兵も蹂躙している。人間側も大打撃を受けてはいるが、すでに無差別に巻き込まれている状態だ……」

 バイルは空を見上げ、天井の崩落をしのぎながら続ける。

 「メルク様がどうなったか、詳しくはわからんが……儀式が暴走したか、あるいは魔竜そのものが“魔王”の意図を汲まずに暴れているのかもしれない」


 俺は無意識に唸る。いずれにせよ、このままでは危険すぎる。

 「お前も撤退するか? 遅かれ早かれ、ここは崩落する。俺たちはいったん森へ退避して立て直すつもりだ」

 そう言うバイルに、俺は低く鳴いて拒否するように首を振る。こんなところで逃げては、何のために血を流してきたのか。


 バイルは驚いたように目を見開く。

 「……馬鹿を言うな。あの魔竜に立ち向かう気か? 冗談じゃない。あんなのは戦う相手ではないぞ……」

 けれど、俺は食い下がる。言葉にはならずとも、踏みとどまる意思を示す。


 (あの魔竜を……倒せとは言わないが、少なくとも“捕食”できれば、俺はさらなる高みに到達できるかもしれない……)


 思考がどこか常軌を逸しているのは、自分でもわかる。だが、転生して以来、俺は捕食による成長こそが唯一の道だと信じてきた。今さら引き返せない。

 バイルは呆れたようにため息をつき、翼をばたつかせる。

 「……どうしようもない執念だな。だが、今のお前じゃまともに戦う前に破片の一つで潰されるぞ」


 その言葉は重い現実だ。魔竜の一撃をまともに受ければ、たとえ今のレベル9でも即死だろう。

 だが、俺は首をかしげて考える。魔竜が暴れている場所まで行くには、崩れた下層か、中央広間の大穴を通るしかない。いずれにせよがれきまみれだ。


 すると、バイルの隣にいた魔族兵の一人が口を開いた。かすれ声だ。

 「……地下には“転移門”の制御装置があるんだろう? メルク様が開こうとしていた門は、魔王城と繋がるはず……うまくすれば、この混乱を逆手に取って、魔竜をその門へ放り込むか、あるいはお前が門を潜って逃げることも可能かもしれん」


 俺はその兵士の言葉にドキリとする。

 (転移門――そうか、儀式が半ばでも、一時的に門が開いている可能性はある。もしかすると、そこから魔竜が出現したのかもしれないし、あるいは魔王城とこちらが不安定に繋がっているかも……)


 バイルが苦渋の表情を浮かべて俯く。

 「確かに、門を利用すればワンチャンあるかもしれない……が、あの門はまだ不完全だ。一歩間違えば“異空間の裂け目”で身体が引き裂かれるだけだぞ。メルク様の制御がなければ、危険すぎる」


 それでも、ここに留まっていても瓦礫に潰されるだけ。ならば、俺としては賭けるしかない。運が良ければ、転移門の向こう――魔王城があるという領域に踏み込めるかもしれない。

 そうなれば、魔王そのもの、あるいはその眷属を捕食する機会が得られるかもしれない……。


 「メェエッ!」


 小さく鳴いて意志を伝えようとする。バイルは呆れたように首を振り、少し離れた位置から言った。

 「……あんたがそこまで突き進むなら、俺たちが止めることはできないな。俺たちはここで一部の通路を塞いで時間を稼ぐ。お前が魔竜を足止めできれば、それも助かるし、もし辿り着けるならメルク様を探してくれ」


 そう告げられた俺は、もう一度頷くようにメェと応える。まさに危険な選択だが、今はそれしかない。

 バイルたちが通路をふさいでくれるなら、後続の人間兵を防げるかもしれない。その隙に俺は下層の祭壇へ向かって、魔竜の本体と転移門に挑む、ということになる。


 「気をつけろよ……“魔羊王”さんよ」


 バイルが皮肉混じりにそう呟き、仲間を連れて去っていく。彼らは森へ撤退するつもりなのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る