第17章:暗き道の先に――さらなる進化へ


 人間の大軍が押し寄せるまで、一週間――。その間、俺はさらに血の饗宴を重ねることになった。

 魔族の情報網で把握した小規模な偵察隊、斥候、少数精鋭の冒険者パーティーなどを、俺が先頭に立って襲撃し、狩り尽くす。森の夜道で待ち伏せることもあれば、わざと気配を漏らして誘い込むこともある。


 闇魔法も、最初の“魔力弾”から少しずつバリエーションが増え、より強力な“闇の奔流”のような技を使えそうになってきた。角の先端に高濃度の闇属性エネルギーを集め、一気に解き放つことで複数の敵を巻き込みながらダメージを与える仕組みだ。

 試しに冒険者パーティー相手に使ったところ、周囲の木々を巻き込む爆発となり、自分も少し被害を受けたが、それでも敵を一瞬で殲滅できるほどの威力を誇っていた。


 何度も捕食を繰り返すうちに、ついに俺はレベル9を迎える。身体がさらに逞しくなり、毛並みや角にも禍々しい黒い文様が浮かび上がってきた。フェンザ曰く、魔羊としての“進化形態”に近づいているらしい。

 もはや外見だけでは羊とは思えない化け物だ。体格も二回りほど大きくなり、角は鋭く、闇魔法のオーラを漂わせている。目つきも赤く濁り、近づく雑魚魔物などは俺を見ただけで逃げ出すほどだ。


 当然、人間の間でも“禍々しい羊の魔物”の噂が広まっているらしい。名前さえ定かでないままに、数多くの冒険者や騎士を喰らった凶悪な化け物――彼らは俺を「魔羊王(デモン・ラム)」などと呼び始めたという噂話も耳に入ってきた。

 “王”……その言葉に奇妙な胸の高鳴りを覚える。魔王への道の入口かもしれない――。


 そんな折、メルクの儀式の準備が最終段階に入ったとの報を受け、俺は拠点へ呼び戻された。

 「よくぞここまで時間を稼いでくれた。おかげで生贄も十分に集まり、転移門の魔力も臨界に達しようとしている」

 儀式の場は、遺跡の最深部に位置する巨大なホール。そこには無数の魔法陣が幾重にも重なり、中央には黒い円環が虚空に浮かび上がっている。周囲には囚われの人間が磔にされ、血を滴らせながら絶叫を上げている。


 「この最後の生贄の魂を捧げれば、門は開かれ、“魔王城”から大いなる力が顕現する……。そうなれば、あの人間たちの大軍が来ようとも、我らはひとかきで殲滅できるだろう」

 メルクは狂気じみた笑みを浮かべながら、黒いローブを翻して儀式を執り行う準備に取りかかる。フェンザや他の魔族たちが魔力を込め、血の祭壇を活性化させていく。

 俺はその光景を眺め、(なんという地獄絵図だ)と思う。だが、同時に興奮も抑えられない。ここまで来たら、魔王に会うのも時間の問題だろう。俺が目指す“頂点”への道が開かれる。


 ――ゴゴゴ……ゴォォォ……!

 祭壇が震動し、黒い円環が渦を巻くように広がり始める。空間が歪み、そこから凄まじい量の魔力が逆流してくるのがわかった。

 「いよいよだ……!」

 メルクが歓喜に叫び、魔族たちが口々に魔王を称える言葉を唱える。闇のオーラが遺跡全体を覆い、脳を痺れさせるような圧が走る。


 (このまま魔王が降臨すれば、俺はどうなる? ――配下として仕えるのか、それとも……)


 そう思いを巡らせた矢先、遺跡の上層部から激しい衝撃音が響き、瓦礫が落下してきた。さらに遠くから人々の怒号や、魔物の悲鳴が混じった音が聞こえる。

 「なに……!?」

 魔族たちが顔を見合わせ、慌てて声を張り上げる。どうやら上の階層が“襲撃”を受けているようだ。


 バイルが急ぎ飛び上がり、天井付近の通路へ向かって偵察に行く。すぐに戻ってきた彼の表情は険しかった。

 「……人間の大軍が……もうここまで来ている! 結界を破って突入してきたんだ! このままでは儀式の邪魔を……」

 メルクは歯ぎしりをし、儀式の陣を維持するために必死に呪文を続けながら叫ぶ。

 「あと少し、あと少しで門が開くというのに……! なんとしても防げ!」


 魔族たちが一斉に武器や魔法を構えて上層へ迎撃に向かおうとする。だが、儀式はまだ途中であり、ここを完全に空けるわけにもいかない。メルクやフェンザといったキーパーソンは、陣の維持のために離れられない。

 「……魔羊、お前に頼む。上層の通路を防衛し、人間たちを足止めしろ。時間が稼げれば、儀式は完遂する!」

 メルクが怒声を上げる。俺にとっても、この儀式が完成すれば、さらなる“頂き”が見えるはずだ。ここが正念場。


 「メェエエッ!」

 俺は力強く咆哮し、急ぎ駆け出した。背後では黒い転移門がうねり、魔王の顕現を待ちわびている。俺が今しなければならないのは、上層を攻めてくる人間の大軍をくい止めること。

 階段を駆け上がると、そこには既に白銀の鎧をまとった騎士や、神官のような者、さらには大勢の兵士たちが乱入してきていた。松明や魔法の灯りによって、薄暗い遺跡の回廊が乱戦の舞台と化している。


 「止まれ! この先へは通すな!」

 魔族の兵士が必死に人間を押し返そうとするが、圧倒的多数を前に後退を余儀なくされている。血と金属の衝突音が激しく響く。

 俺はその戦場に突っ込み、魔力弾を発射。先頭の兵士数名が爆裂に飲まれ、血飛沫を上げて倒れる。その惨状に、人間たちがざわめく。


 「なんだ、あの羊の化け物は……!?」「あれが噂の魔羊か!?」

 声が飛び交う中、指揮官らしき騎士が吠える。

 「怯むな! 数では我々が上だ! こいつを倒せば魔族の儀式は潰せるぞ!」


 なるほど、ここでの戦いが正念場なのは、向こうも承知らしい。人間たちは大盾を構え、槍を突き出して団体戦で攻めてくる。さすがにうまい連携で、俺も迂闊には踏み込めない。

 それでも、レベル9の力を誇る俺は、広範囲の闇魔法を炸裂させることで、一気に切り崩そうと狙う。周囲の魔族兵士も援護してくれている。


 「ウオオオッ!」

 人間の兵士たちが突撃し、数本の槍が同時に突き出される。俺は後ろ足で踏み込み、すれすれで角を逸らせながら槍の間合いをずらす。鋼鉄の切っ先が毛をかすめて痛みが走るが、致命傷には至らない。ここで魔法の出番だ。

 ゴウッと角の先に闇のオーラを集め、“闇の奔流”を放つ。複数の兵士が巻き込まれ、鎧ごと吹き飛んで壁に叩きつけられる。血反吐を吐いて倒れ、力尽きる者が続出。


 「なんだ、この力は……」「化け物め……!」

 恐れをなした一部の兵士が退がりはじめるが、指揮官が再び鼓舞して仕切り直そうとする。

 「ひるむな! あれだけの力を使えば奴も疲弊しているはず……! 強行突破しろ!」


 実際、闇の奔流は強力だが、一撃放つだけで相当な体力を消耗する。連発はきかない。捕食による回復をしたいが、こうした集団戦の最中に悠長に死体を食べる余裕はない。

 (くそ……確かにきついな。でもやるしかない)


 激戦が続く。俺の角で槍をへし折り、牙で喉を噛み切って一人ずつ兵士を仕留める。血の雨が降り、悲鳴と怒号が入り交じる。魔族の兵士も手助けをしてくれるが、数の差は大きい。

 (あと少し、あと少し耐えれば……儀式が完成する……!)

 そう自分を鼓舞しながら戦ううち、ふと人間側の部隊の後方から、新たな援軍が駆けつけてくるのが見えた。


 銀色の甲冑、胸には聖なる紋章。どうやら高位聖騎士団の一部かもしれない。先頭に立つ男は、肩に白いマントを纏い、鋭い目つきでこちらを睨んでいる。

 「そこの化け物……まさか貴様が噂の“魔羊王”か?」

 聖騎士が凛とした声で問いかける。俺は返事代わりに低く唸った。


 背後にいるのは神官風の集団。彼らは神聖魔法の詠唱を始めている。やばい、これは闇属性の俺にとって相性最悪の光魔法系かもしれない。

 聖騎士は剣を抜き放ち、神官のバフを受けながら力強くこちらに向かってくる。メルク曰く、「光や聖属性の魔法は、闇の魔法やアンデッドに絶大な効果を発揮する」という話だったが、俺も闇の力を使う魔物として相性が悪い可能性が高い。


 (まずい……ここであいつを止めないと、人間たちが一気に突入してしまう)

 魔族の兵士たちだけでは荷が重い。俺が何とかするしかない。疲労が溜まっているが、やるしかない――。


 「メェエエッ……!!」

 咆哮を上げ、聖騎士に突進。だが、聖騎士は落ち着いて剣を構え、正面から受け止める構えだ。キンッと鋭い金属音が鳴り響き、火花が散る。俺は衝撃で体を揺らしながらも、さらに角を押し込もうと力を込める。


 すると、聖騎士の剣が白い輝きを纏いはじめた。

 「光の刃、我に力を与えたまえ……っ!」

 呪文とともに剣が眩い光を帯び、俺の角を焼くような痛みが走る。闇属性の肉体が悲鳴をあげるように熱を持つ。


 (くっ……! これはまずい……!)


 回避しようとしたが、聖騎士は素早く足を踏み込み、俺の逃げ道を塞ぐ。さらに強烈な横薙ぎの斬撃が襲い、俺は必死に角でガードしようとするも、光剣の刃先が俺の首筋に深く食い込んだ。血が吹き出し、猛烈な痛みが走る。


 ――「メェエエッ……!!」


 思わず後ずさりし、闇魔法を放とうとするが、焦って詠唱のイメージがうまくまとまらない。傷からは血がドクドクと流れ、眼前がチカチカと暗くなる。

 「これで終わりだ、悪しき獣め……!」

 聖騎士が止めを刺そうと剣を振り上げた――その時。


 ――ズドンッ!


 突然、遺跡全体が揺れ、上階の天井が崩れ落ちるような轟音が響いた。魔力が乱れ、回廊の壁から黒い亀裂が走る。どうやら“儀式”が最終段階に突入したのか、あるいは何か異変が起きたのか。

 「何だ……!?」「天井が……!!」

 人間たちが一瞬気を取られ、聖騎士の動きも止まった。俺も倒れ込みながらそちらを見上げる。すると、上層から強大な闇のオーラが吹き抜けるように流れ込んできた。


 (これは……)


 漆黒の風が吹き荒れ、壁という壁を破壊していく。人間兵士も魔族兵士も、悲鳴を上げて吹き飛ばされる。まるで空間そのものを裂くような力――。

 「メルク……一体何を……!?」

 俺は意識が遠のきそうになりながらも、下層の祭壇に思いを馳せる。儀式が成功したのか、それとも暴走したのか……。


 結果はすぐにわかった。

 ドォォォォン……!

 地下から噴き上がった黒い閃光が、遺跡の天井を貫き、そこに楕円状の闇の空間を形成する。そこから現れたのは――巨大な影。

 尋常ならざる威圧感が辺りを包み、空気が凍りつく。人間も魔族も、その場にへたり込む者が続出。


 「グアアアア……」

 低い唸り声とともに姿を現したのは、巨大な竜――いや、竜に似た“魔竜”だ。しかも、その身体からは冥界のような黒い炎が立ち上り、眼光は深紅に燃えている。まさに破壊神の化身。

 (これが……魔王の眷属か!?)


 いずれにせよ、想像を絶する強さを持った存在であることは間違いない。目の前の聖騎士もその光景に圧倒され、呆然と立ち尽くしている。

 「な、なんだあれは……!?」

 遺跡の構造が崩れ、魔竜が上階へ身を乗り出すと、ブォンという一振りの尻尾で大量の兵士を薙ぎ払った。断末魔の叫びが響き、血と瓦礫の雨が降り注ぐ。


 ――まさに地獄。

 俺は首筋から血を流しつつ、辛うじて意識を保ちながら思う。メルクたちが呼び出したのは魔王……ではなく、魔王に仕える最上位の使徒“魔竜”だったのかもしれない。いずれにせよ、こんな化け物が出てきたら、人間軍は壊滅確実。

 しかし、このままでは魔族側も危険かもしれない。制御できなければ、魔竜は見境なくすべてを破壊するだろう。


 「メェ……」

 意識が薄れかける中、俺は“魔王”という絶対的存在をはじめて間近に感じた。――圧倒的な強さ。こんな怪物に比べれば、俺はまだまだちっぽけな魔羊にすぎない。

 けれど、だからこそ思う。俺はもっと強くなりたい。いずれ、この魔竜や魔王さえ喰らい尽くすほどに……!


 遺跡は瓦解の瀬戸際、上層も下層も崩壊寸前。人間も魔族も、混沌の渦に呑まれていく。倒れ込んでいた俺は、迫り来るがれきの山を目前に、かろうじて身を捨てて回避する。

 「メェエエッ……!!」

 雄叫びとも悲鳴ともつかない声が、暗黒の中に掻き消えていった。


 ――こうして、遺跡全体を舞台にした大戦は、想定を遥かに超える“魔竜”の出現によって大混乱の様相を呈する。

 はたして儀式は成功なのか失敗なのか、メルクたちは生きているのか、そして人間の軍勢はどうなるのか……すべてが混沌に飲み込まれる中、俺の“魔王”への道はさらに危険と混乱をはらんだまま、次の章へと突き進んでいくことになる――。

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