あの頃に帰りたいとは言ったけど!?
青樹空良
あの頃に帰りたいとは言ったけど!?
子どもの頃はよかった。何も知らない、将来は何にでもなれると思っていたあの頃、自分自身のこんな姿を予想しただろうか。
なんとか就職できたと思ったら会社が潰れて無職になり、新しい職も見つからない。更に、子どもの頃は誰でもいつかは結婚できるものだと思っていたのに、結婚どころか付き合っている人すらいない。
「はぁ」
私はとぼとぼと道を歩きながら、ため息を吐く。
このままでは貯金も無くなって、住んでいるアパートにすらいられなくなりそうだ。
アパートの中でじっとしていても、考えが嫌な方向へ行くだけなので外へ出てみたのだけど、歩いていても暗い気分になるのは同じだった。
「帰りたい」
思わず呟いてしまう。
帰りたいと思うのは、もちろん実家とかじゃない。そんなの肩身が狭すぎる。
帰りたいのは、あの頃だ。
何も知らなかった、幼い頃。
出来たらそこまで人生を巻き戻してやり直したい。
「ん?」
私は足を止めた。
いつも通っている道なのに気付かなかった。小さな神社がある。なんとなく、神頼みでもしてみたい気分になった。もはや、それくらいしかやれることがない。
財布を開くと500円玉が一枚入っていた。正直、今の私には結構大金だ。
だが、
「えい!」
思い切って、賽銭箱に放り込んだ。
神様、お願い!
私は手を合わせて、目を閉じて神様に祈る。
何も知らなかったあの頃に帰りたい。
幼かったあの頃に帰りたい。
帰りたい、帰りたい、帰りたい!
真剣に祈る。
きっと、こんなに切実に神頼みするのは生まれて初めてだ。
でも、こんなのきっと気休めにしかならない。子どもの頃、家族と初詣に行った後にも特に何も起こらなかった。今回もきっとそうに違いない。
切羽詰まりすぎてお賽銭を多めに入れてしまったことを、ちょっと後悔しながら目を開ける。
目を開けた私は、
「……」
え! と声を上げようとして声が出なかった。
私は水の中にいた。
しかも、なんだか波に揺られている感じだ。
水中にいるのに苦しくない。水の中だから声が出ないのかと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。
声帯が、無い。
人間ですら、無い。
しかも、小さい。
ただ海の中を漂っている。
どうして、思考が出来るのかわからない。それは、私がさっきまで人間だったからなのか。
この身体はまさか……。
「………(これって、単細胞生物ってやつ?)」
呟こうとしても声が出ない。
海の中にいるはずなのに、周りには魚もいない。私と同じ、小さな小さな生命だけだ。
まだ食う者も食われる者もいない、平和で静かな海。母なる海。
「……(ここって、もしかして)」
私は、思う。
めちゃくちゃ突飛な考えだが、ここはもしや太古の地球なんじゃないだろうか。魚とか、哺乳類とか生まれる前の、まだ生命が誕生したばかりの地球ってことだ。
「……(おお、神様)」
確かに私は何も知らなかったあの頃に帰りたいとは思ったけど、ここまで巻き戻して欲しかった訳じゃ無い。さすが神様、スケールがでかい。
何も知らなかったあの頃とかじゃなくて、自分が子どもだった頃に帰りたいと具体的にお願いしなければいけなかった。
幼いにも程がある。
でも、
「……(ま、いっか)」
こうして波間にたゆたっているのは、なかなかに気持ちがいい。
ここには天敵もいなさそうだ。やけに私にばかり当たってくる上司とか、結婚を勧めてくる母親とか。ここだったら、私を食べようとする動物とか。
それに、家賃のことも考えなくてよさそうだ。この海の中が私の住処なのだから。お金を払えなんて誰も言わない。
なんといっても、本当に何も考えなくていい。今の私は単細胞生物なのだ。ただぼんやりとぷかぷかしていればいい。
もしかして、ここはパラダイス?
心地いい揺れに身をまかせて、私は思考を止めたのだった。
あの頃に帰りたいとは言ったけど!? 青樹空良 @aoki-akira
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