第5章 真衡死す 3



 康平五年九月十七日、厨川柵。


 大きな軋みを響かせながらぐらぐらと櫓が傾き始め、やがて雷のような地響きを鳴らしながら南西の四番矢倉が外壁諸共崩れ落ちた。


「ああっ! 矢倉が! 薄姐さんが!」

「薄姐さんっ! 薄姐さんっ‼」

 倒壊していく矢倉を前に悲鳴を上げる二人の侍女達をはじめ、炎に呑まれゆく柵壁から脱出を試みていた者達は言葉を失い呆然と立ち尽くした。

 この瞬間、国府・清原連合軍の攻撃を一昼夜耐え凌いでいた安倍軍最後の砦の護りは崩壊したのである。

「……外だ、外に出られるぞ!」

 誰かの呟きに、皆がこぞって外壁の切れ目へと殺到する。

「早く、火が回らないうちに逃げようよ!」

 たちまちのうちに、瓦礫と化した矢倉を前に泣きじゃくる侍女達を残し雲霞の如く避難を求める人の波が出口に向かって押し寄せた。

 その様子を、内壁から身を乗り出し見下ろしていた家任が血相を変え大声を上げる。

「待て、そこから外へは出るな! 敵勢のど真ん中じゃ!」

 しかし、これが炎から逃れる絶好の機会と我先に壁の穴へと群がる喧騒に忽ち搔き消され、彼の声は誰一人にも届かない。

「まずいぞ、あそこは射手を失い守備を欠いた一角じゃ。敵の大軍が集中しておる。そこに穴が開いてしまえば今に脱出を試みる者らと鉢合わせしてしまうぞ!」

 家任の傍らで重久が顔色を失う。彼は経清の実弟であった。

 その言葉が終わらぬうちに、崩壊した外壁に押し寄せていた人々の流れが悲鳴を上げて散り散りに逆流を始めた。すぐにわらわらと清原の軍勢が片端から矢を射掛けながら侵入してきたのである。

 背中に矢を受けた徒兵の一人が侍女達の足元で俯せに倒れ伏した。すると、侍女の一人が徒兵が放り出した弩を拾い上げると、止めようとするもう一人の少女の手を振り払い渾身の力を込めて矢を装填し、鬼のような形相で敵兵に向かって弩を構える。

「姉さん、早く逃げようよ!」

「よくも、……よくも薄姐さんをっ!」

 少女の激しい怒りの絶叫が、内陣から見下ろす家任達の元まで響き渡った。

「ええい、早く逃げろというにっ!」

「父上っ⁉」

 堪らずに重久が弓を携えて内壁を飛び降り、二人を救おうと敵の押し寄せる只中へと飛び込んでいく。

 父の決死の斬り込みを目の当たりにし、己も後に続こうと柵に手を掛ける重久の息子を慌てて家任が背後から羽交い絞めにして押し留める。

「止せ、おまえが後を追うても犬死にするだけじゃ! それよりも重久殿が敵を引き付けておる間に一人でも多く女子供らをここから退避させよ!」

「放してくだされ! 今が死に時じゃ、ここでおめおめと父上や伯父上が討ち果てていくのを徒に眺めていろと申されるか!」

 男泣きに咽ぶ彼の目前で、敵兵に囲まれ立往生する父親の姿と、その向こうで同じく敵兵に取り押さえられ泣き叫びながら連れ去られようとする侍女達の姿が、後年まで彼の目に焼き付いたままとなった――。



 二十年後、胆沢郡白鳥村付近。


 眩しい朝焼けは、まるであの日、厨川柵を飲み込んでいった焔を彷彿とさせた。

(――結局、この二十年間は、死に場所を見失い只々生き恥を忍んだばかりであった。我が父を目の前で討たれ、あの侍女達を救うことも叶わず、主家悉く討ち滅ぼされた挙句に牙を抜かれた俘虜として屈辱を堪え、清原真人などという張り子の虎を相手になすすべなく平伏して、な。……だが、その悔恨の二十年も最早終いじゃ)

 人気のない早朝の郊外に、真っ白な外套を羽織った騎馬兵が十数騎。その先頭で白狼の毛皮を肩に纏った重光が、白鳥村に立ち並ぶ官舎、そしてその中央に建つ白鳥館を見つめながら思いを巡らせる。

(貞任殿、伯父経清殿、そして我が父上らが土となり根を張りえにしを紡ぎ続けた陸奥の大地。その平穏へ卑劣にも土足で踏み入り我らが縁を蹂躙した出羽の裏切り者共、国府の侵略者共、それにおもねった恥晒し共。もはや一刻たりともこの地で生存を許さぬ。一人たりとも生かしてはおかぬ。我らの矜持に掛けて、これ以上彼奴等の勝手を、この陸奥の地で許すことは出来ぬ!)

 手綱を引きながら重光が一同を振り返り、声高らかに問いかける。

「……皆よ、己のあぎとを忘れてはおらぬか!」

 応おおおおうっ! と木の葉の朝露を振るい落とすほどの轟が響き渡る。

 彼らの双眸には、燃えるような復讐の意志と、宿願を前にした強い闘志が在りし日の戦いの戦火を鏡に映しているかの如く炎を上げていた。彼らはいずれも、かつて安倍勢の最精鋭と謳われ、天下無双の河内武士団を壊滅寸前にまで追い詰めた胆沢狼いさわおおかみの生き残り達であった。

「ならば彼奴等にも思い出させよ、知らしめよ! 我ら胆沢狼の咢を以て、今一度我ら白狼の雄叫びを以て再び出羽の木偶侍共を慄かせよ! 彼奴等が厨川で我らが同胞を焼き尽くした業火を以て、侵略者共を一人残らず焼き尽くすのじゃっ!」

 白衣びゃくいを翻し重光が指し示す先に火矢が次々と放たれ、早朝の微睡に静まる白鳥村に炎の雨が降り注いだ。




 出羽国刈和野付近、真衡本陣。


 荒川陣地付近にて遭遇戦が勃発してから二週間ほど経過しているが、未だ両陣営は拮抗状態が続いたまま戦況の進展はみられていない。兵糧の備えも半分を割り、清原陣営にも焦りの色が浮かび始めていた。

「主上、少し休まれてはどうか。この中州に布陣してからというもの、碌に寝食も取っておられぬではないか」

 不眠不休で各陣へ伝令を飛ばし夜も床に就かず地図を睨みつけ、用意された糧食にも手を付けぬ真衡の様子を見かねた貞衡が苦言を呈するも、当の真衡は布陣を記した地図の上から顔を上げぬまま答える。 

「既に持久戦となっておる現状、食料は貴重じゃ。前線で奮闘しておる将兵らに優先して与えよ。皆が死力を尽くしておるときに俺だけ休養を取るなど許されぬ」

 そこへ、従卒の兵士が「申し上げます!」と現れ貞衡に何やら耳打ちする。それを聞いた彼はあからさまに顔を顰め、

「主上、また良くない知らせじゃ。嘉久隊の将兵が一部無断で陸奥に帰還したらしい。嘉久からも、これ以上の継続は不可能と離脱を求める伝令が来ておりますぞ」

 うんざりしたように深い溜息を吐くが、これを聞いた真衡は逆に久しぶりに笑顔らしい表情を浮かべる。

「戦意を失うた者らは捨て置くがよい。兵糧が浮いて却って好都合じゃ。それに叔父上よ、斉の孫臏そんぴんの故事は存じておろう? 左様、自陣の竈の数を徐々に減らし敵の油断を誘い、遂に魏の軍を馬陵に誘い込み壊滅せしめたという策略じゃ」

 俄かに自信を見せる真衡であったが、貞衡は否定的であった。

「『佯北ようほくの計』ですかな? しかし、あれはいわば奇略じゃ。自軍が優位な立場にあるにも関わらず奇抜な計略を用いるのは却って危険を孕みますぞ」

「叔父上は定石に捕らわれ過ぎじゃ。まあ、見ておられよ。敵は我らの兵力が消耗しつつあると錯覚しておろうが、その実、我が将兵は益々少数精鋭化しておるのじゃ。今に、その油断に付け入り頃合いを見計らって一気に荒川を攻め落とすぞ!」

 不敵な笑みを見せる真衡であったが、突如、「推参致す! 一大事にございますぞ!」と真っ青な顔をした従卒が転がるように駆け込んできた。

「今度は何事じゃ⁉」

 只ならぬ様子に貞衡のみならず今まで余裕を見せていた真衡までもが目を剥いて顔を上げた。

 しかし二人が受けた報告は彼らの懸念と想像を遥かに超えるものであった。

「白鳥館より危急の伝令にござる! 今朝方、突如白衣を纏った一団が白鳥村を強襲し、村内の公舎を悉く焼き払ったようにございまする。賊は二十騎足らずながら凄まじい勢いで今まさに館の目前まで攻め寄せているとのこと!」

「何だと⁉」

 思わず座卓を蹴って立ち上がる真衡の傍らで、貞衡はもう一方の理由で慄きの呟きを漏らした。

「白衣の一団だと……⁉ まさか――」

 彼の脳裏に蘇るのは二十年前の攻防戦。共闘した国府の源氏将兵には『金ヶ崎の人食い狼』と怖れられ、戦場で白い外套が翻るのを目の当たりにしただけでも彼らは腰を抜かし怯えるほどであった。

「それで、その白衣の賊の正体は掴んでおるのか? 一体何者じゃ!」

 予想だにせぬ事態に声を上ずらせながら詰め寄る真衡に、従卒は一瞬躊躇いに口籠りながら答える。

「は、敵首魁は藤原重光――主上の弟君、清衡様の腹心にございまする!」




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黎明 -後三年合戦記- 香竹薬孝 @me13064441q

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