第4節:「評論家とライターの視点」
事務所から逃げるように飛び出して数日後、私は地元の喫茶店に足を運んでいた。
昼下がりの時間帯で、店内はそこそこ空いている。
そんな落ち着いた雰囲気の中、私が待っていたのは佐伯祐介と野村香奈――地下アイドル界に詳しい評論家と音楽ライターだ。
まず話し始めたのは、評論家の佐伯祐介。
見た目は穏やかそうだが、その瞳の奥にはアイドルシーンへの情熱と批判精神が滲んでいる。
私があいさつを終えるか終えないかのうちに、彼は早速意見を口にした。
「この事件、地下アイドル界特有の“闇”が絡んでるんじゃないかと思います。運営もファンも、それぞれの欲望がぶつかる場所だからね。何より――水無瀬莉音さんの投稿時間。あれ、どう考えても不自然でしょう?」
そう言って、佐伯は自身のメモ帳を開く。
そこには一連の時系列やSNSの投稿記録がまとめられていた。
日付や時間、ちょっとしたファンの書き込みなどがびっしりと書き込まれている。
「事件が起きたとされる時間に、あの投稿が上がるなんて、普通に考えてあり得ない。つまり、予約投稿の可能性が高い。そして、それを仕掛けられる立場の人間は、莉音さんの内情を知っている人――ということになるね。いわゆる“内部”ってやつだ。」
彼の推理は私の胸に突き刺さる。
あの日からずっと抱えていた疑念とほぼ同じ内容だったからだ。
思わず私はうなずいてしまうが、反面「本当に誰がそんなことを…?」という疑問がいっそう強くなる。
隣では、音楽ライターの野村香奈がゆっくりとコーヒーを啜りながら会話の流れを見守っていた。
野村はファッションもこなれていて、軽快な雰囲気を纏っているが、その目は鋭く情報を見極めようとしている。
「私も一通り調べてみたけど、莉音ちゃんは事件前に誰かに脅されていた可能性があるんじゃないかしら。彼女がSNSで暗に助けを求めるような発言をしていた形跡もあるし、過去の握手会でトラブルを抱えていたファンもいたみたい。」
野村がタブレットを見せてくれる。
その画面には、過去の莉音の投稿やファン同士のやりとりがスクリーンショットされている。
ファンサイトの匿名掲示板に「莉音、裏で誰かと揉めてるらしい」「あの笑顔の裏に何があるんだろう?」などという書き込みが散見される。
「脅されていたって……具体的に何かあったんでしょうか?」
私は目を凝らしながらタブレットを覗き込む。野村は肩をすくめてみせた。
「証言レベルだけど、握手会の前に誰かと密かに会っていたらしいわ。そのことを知っているファンがいたようで、ちょっと騒ぎになったみたい。名指しこそしていないけど、“莉音は危ない人に目をつけられてる”と噂した人がいたわね。」
心臓がドクンと鳴る。
事件前の莉音の行動、それを目撃した人たち――一体どこまで事実で、どこからが噂なのだろう。
私の頭の中が混乱するが、確かに「誰かと密かに会っていた」という話は初耳だった。
やはりあの子は、何かを一人で抱えていたのかもしれない。
さらに、佐伯が話題を続ける。
「ステージに立つ資格、つまり“センターにふさわしいのは誰か?”みたいな問題が、メンバー間に存在していたんじゃないかな。アイドルというのは華やかに見えて、裏側ではスポットライトの奪い合いが起きやすい。特に地下アイドルでは、その競争が表に出づらいだけに、深刻になりがちだ。」
スポットライトの奪い合い――正直、思い当たる節がまったくないわけじゃない。莉音の不在で揺れるメンバーの心、橘かりんの不可解な行動、天野雪菜が傷つき、篠宮ひなたが痛々しい笑顔を作り続ける現状。
もしかすると、みんな言えない秘密を持っているのかもしれない。
でも、だからといってあの子を殺すなんて、そんなことがあり得るのだろうか…。
沈黙したままの私を見て、野村が声のトーンを落とす。
「未来さん、自分を責める必要はないのよ。あなたも被害者の一人。ただ、あなたが一番近い位置にいるのは事実だから、こうして私たちも情報を集めてるの。何か新しい動きがあったら、すぐに教えてほしい。」
私は弱々しく笑い返しながら、「ありがとうございます」と小さく答える。
正直、彼らに何を求めていたのか、自分でもわからなくなっていた。
ただ、外部の視点から話を聞いてみたかった。
事務所やメンバーだけでは見えてこない、事件の本当の姿を探すために。
店を出る前、佐伯は私に名刺を手渡しながら静かに言った。
「もし、予約投稿が本当なら、犯人は内部の人間だけとは限らない。運営やファン、それ以外の関係者も含めて、誰が莉音さんのアカウントに干渉できたかを考えるべきだ。鍵は、やっぱりあのスマホにあるんじゃないかね。」
私は名刺を眺めながら、今度は深くうなずく。
確かに、ここまで話を聞いても“真相”は遠いままだけれど、外部の協力者を得られたのは大きな一歩かもしれない。
(莉音が事件前に密会していた相手、そして予約投稿の謎……。あのスマホが手元にあれば、もっと掴めることがあるんだろうか?)
胸に押し寄せる不安とほんの少しの期待を抱え、私は喫茶店を出た。
外の空気が思いのほか冷たく、身震いしてしまう。
夜の街にまぎれながら、私はステージに残る闇の深さを改めて思い知る。
だけど、もう戻れない。
事務所とも対立し、メンバーもバラバラになりかけている今、私が止まってしまえばすべてが終わる。
絶対に真実を見つけ出さなくちゃ――。そんな決意を胸に、私は暗い街路を歩き出した。
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