第3節:「運営との対立」

翌朝、私は事務所の会議室に呼び出された。

天野雪菜の事故が報じられたこともあってか、いつもより重苦しい空気が漂っている。

長いテーブルの奥に陣取る沢村(事務所社長)は、顔に明らかな苛立ちを浮かべていた。

隣にはマネージャーの藤崎涼子が立っていて、どこか落ち着かない様子だ。


「……とにかく、お前たちにはこれからもステージに立ち続けてもらわないと困るんだよ。」


沢村が静かな怒気を含んだ声で言い放つ。

声が響くたびに、窓ガラス越しの光がざわつくように見える。

私は思わず拳を握りしめた。

天野雪菜が負傷したばかりなのに、あまりに一方的な言い分だと思う。

彼の眼中には、事故の真相よりも「どうやって活動を続けるか」だけがあるように感じられる。


「でも、あの照明の落下は本当に『事故』なんでしょうか? 私はそうは思えないんです。もうこれ以上、私たちを危険にさらすわけには――」


口を挟んだ私に、沢村は険しい表情を向けた。

まるで邪魔者を見るかのように、冷たく言葉を返してくる。


「余計なことを言うな。警察だって公式には『事故の可能性が高い』と言っている。うちとしてもそれで押し通すしかないんだよ。下手に騒ぎを大きくすれば、全部お前らの首を絞めることになるだけだ。」


苛立ちを露わにする彼の目は、まるで私を挑発しているかのようだ。

強い反論を押しとどめようと口を噤む私の肩に、マネージャーの涼子がそっと触れてきた。

まるで沈黙を促すような動作だ。


「未来ちゃん、今は追求しない方がいい……。いろいろ、事情があるの。」


彼女はそう囁きながら視線を逸らす。

弱々しい声に逆に苛立ちが募る。

涼子さんだって、私たちを守りたいはずなのに、なぜ社長の言い分に屈するような態度を取るのだろう。

事務所全体が何かを隠しているんじゃないか、そんな疑念が膨らむ。


私は悔しさを噛みしめながら視線を下に落とす。

机の上にはいくつかの書類が散らばっている。

そこにちらりと見えたのは、聞いたことのない経理関連のファイルや、何かの契約書のような書類。

無意識に目を凝らしてみると、ところどころ墨消しされたような箇所があることに気づいた。

ほんの一瞬のことだったが、妙に胸騒ぎを感じる。まるで「見てはいけない」ものを見てしまったような。


会議室の中では、社長が引き続き活動再開のスケジュールを怒鳴るように話している。

メンバーの休養期間や生誕祭の追加公演など、まるで何事もなかったかのように提案を進めている姿に、私は激しい違和感を覚えた。

亡くなった莉音の事件も、雪菜の負傷も、すべて数あるトラブルのひとつでしかない――そんな風に思っているのかもしれない。


「もう……いい加減にしてください! 私たちの気持ちや安全を、いったいどう考えてるんですか?」


つい声を荒げてしまう。

すると、社長は鼻で笑い、机を乱暴に叩いた。


「いいか、売り出し中の地下アイドルがこんなことで活動を止めてどうする? 知名度が上がってる今こそ、攻めに出るしかないんだ。いい加減、わかれよ。」


その言葉に私は心底ぞっとする。社長の目に映っているのはメンバーではなく、金を生む駒に過ぎないのではないか――そう感じずにはいられない。


涼子さんが申し訳なさそうな表情で、言い訳を探すように口を動かす。


「……社長も、みんなが危険だとは思ってないのよ。ただ、今は騒ぎを大きくしないほうがいい、って考えてるだけで……」


私は涼子さんを睨みながら、小さく首を振る。

これ以上、何を言っても無駄な気がした。

けれど、このまま引き下がるわけにはいかない。


「わかりました。私たちは歌い続けます。でも、私はもう……この事務所を信用できません。なぜこんな事件が起きても“事故”で済ませようとするのか、本当の理由を知りたい。」


そう言い残して、私はドアを開ける。

後ろから沢村の苛立ち混じりの声が聞こえるが、振り返らずに会議室を出た。

廊下に出ると、さっきまでの張り詰めた空気が薄れていく代わりに、自分の心の中で怒りと疑念がますます強くなっているのを感じる。


(この事務所は何かを隠してる。絶対に。)


ふと、さっき見た不審な書類のことが頭をよぎる。

墨消しされた文字や契約書らしきファイル。そこにはどんな秘密が眠っているのだろう。

私たちを危険にさらしてでも活動を続けさせたい理由が、あの書類の中にあるのかもしれない。

そう思うと、胸がざわつき、足取りが重くなっていく。


複雑な思いを抱えながら廊下を歩き、私は自分の顔が曇っているのをガラスに映った姿で確認した。

次にステージに立つ時、果たしてどんな気持ちで歌えばいいのだろう。

そんな不安を噛みしめつつ、私は静かに事務所を後にした。

これ以上、同じ部屋にいられなかった。空は灰色に染まり、雨が降るような気配がする。

まるで私たちの行く先を暗示するかのように――。

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