帰る場所がなくなった隣の席の先輩は、不憫可愛い。

ひっちゃん

帰る場所を失くした先輩

 ポケットの中で不意にスマホが振動を始めた。普段なかなか電話なんて来ないからちょっと驚きつつも、画面に表示された名前を見て迷わず通話ボタンをタップする。


「はい、斎藤です」


「……あっちゃん」


 返ってきたのは、蔵前くらまえ 瑞穂みずほ先輩の、不安と焦りに満ちた掠れた声だった。ただ事ではなさそうな様子に息を詰めて次の言葉を待っていると。


「……帰るとこ、なくなっちゃった」


「……はい?」


 そんな予想外過ぎる一言が私こと斎藤さいとう 明里あかりの思考を完全に停止させ、テレワーク中で一人きりの部屋の中にどこか気の抜けたような一言だけが反響した。







「あっちゃあああああああああああんっ!!! ごめんね、ほんっとうにごめんねえええええええええええ!」


「わぶっ」


 最寄り駅で待っていると、私の姿を認めた先輩が改札を抜けるなり猛ダッシュで私に向かって飛びついてきた。よほど心細かったのだろう、その顔は今にも泣きだしてしまいそうだ。


 正直すれ違っていく人たちからの視線が気になるんだけど、今の先輩を引きはがすのは流石に気が引けるしこのままでいくしかないか。


「だ、大丈夫です全然。それより帰る場所がなくなったってどういうことです?」


 あやすように背中を撫でながら、とりあえず経緯の説明を求めてみる。電話ではほとんど話を聞けなかったから単純に気になるし、話すことで落ち着くのもあるだろうし。


「うん、えっと……」


 先輩はすっかりしょぼくれた声で語り始めた。


「今日のお休み、引っ越しのためっていうのは言ってたよね?」


「あぁ、そうですね。聞いてました」


 今日の先輩は引っ越しのために有休を取得していた。新居が随分と気に入っていたらしく、昨日なんかもウキウキしながら「引っ越すの楽しみ!」なんて言っていたものだ。


 ……待てよ、もしかして。


「それでね、不動産屋さんに鍵を取りに行ったら、入居予定日が明日になってて」


「何やってるんですか先輩」


「違うの! 私のせいじゃないの! 絶対今日にしたし、何なら担当の人もびっくりしてたもん!」


 いけない、ナチュラルに先輩が入居日を間違えてたって思ってしまった。けどよく考えたらこの先輩がこういう目に遭うときは絶対に本人のミスは絡んでないし、まぁこれが妥当なところか。


 ……いやいやおかしいおかしい。つまりはどこかで入力なのか連携なのかにミスが出て、当日に至るまで誰も気づかなかったってことでしょ? そんなことある? ……でも先輩だもんなぁ。あるんだろうなぁ。というか実際に起こってるし否定のしようもないのか。


「もう大変だったよぉ……荷物は全部出した後だったから慌てて引っ越し屋さんに電話して、何とかトランクルームを借りられたからいったん荷物はそこに入れてもらって。荷物はそれでいいんだけど、前のところはもう引き払っちゃってるから帰るとこなくなっちゃって……」


 そのあたりの処置が手早いのは流石先輩と言ったところだろうか。私が同じ状況になったら正直パニックで何もできないだろうし。


 とりあえず、これで今の状況の半分はわかった。後は、と。


「帰れなくなったのはわかりましたけど、別に一泊くらいならホテルでもネカフェでも泊まれる場所はありますよね? なんで私に連絡されたんです?」


 そう、よほどの田舎ならいざ知らず、都内近郊にはそれなりの数の宿泊施設があるはずだ。女性一人はちょっとリスキーかもしれないけれど、完全個室のネカフェだってある。一晩の宿くらいどうとでもなりそうなんだけど。


 私がそんな疑問を呈すると、先輩は無言でスマホを操作してその画面をこちらに向けてきた。どうやらそこに私の問いに対する回答があるらしい。


 そして、その画面を見た私は絶句した。


 表示されていたのは宿泊施設の予約サービスのウェブサイト。そこに記されているこの近隣の宿は、そのことごとくが今日に限って予約不可となっていたのだ。


「今日から明日にかけて、この辺りでいろんなイベントがいっぱいあるらしいの。それもあってホテルは全滅だし、ネカフェとかももう全然入れなくて。このままじゃホームレスかもって思ったら怖くなっちゃって」


 それで私を頼ってくれたのか。そういう時に名前が浮かぶというのは正直嬉しい。……嬉しいんだけど。


「……お祓い行った方がいいんじゃないですか」


「……引っ越し落ち着いたら、割と本気で考えてみる」


 入居日誤りの時点でたいがいなのにそこにホテル満室まで重なるなんて、どんな星の下に生まれてるんだこの人は。願掛けでもなんでもいいから、ぜひ一度検討してほしい。







 それから私たちは、夕飯のための買い物を近くのスーパーで済ませてから帰ることにした。


 夕方というのもあって店内はそれなりに混んでいる。カートがぶつかる音や走り回る子供を注意する親の声なんかを聞きながら、私たちもゆっくりと店内を物色する。


「ふんふんふーん♪ 白菜ー、おネギー、ニンジンー、お豆腐に豚肉ー、餃子にウィンナー♪」


「ちょっ、大杉ですって。何人前作るつもりですか。てか寄せ鍋に餃子とかウィンナーってなんか違くないです?」


「ふっふっふ、実はお鍋に入れるとなかなか美味しいのだよ! あまったらおつまみにもなるし!」


「絶対そっちメインじゃないですか」


「あはは、バレたか。でも美味しいのはホントだからさ、だまされたと思ってやってみよ?」


「胃薬の準備をしておきます」


「いやいらないから!」


 と、あれこれ言いながら食材をそろえたり。


「あっちゃん見てみて! 期間限定だって! のものもー!」


「いいですけど何缶入れるんですか。食材の時にも思いましたけどこれから籠城でもするつもりですか」


「えー? これくらい一晩で余裕でしょ余裕! お金は私が出すし、余ったらあっちゃんち置いてていいから、ね?」


「じゃあこれも先輩のお金ということで」


「ちょっ!? 『魔王』は高すぎるって! いくらすると思ってるのさ!?」


 お酒のコーナーでそんなわちゃわちゃがあったりしつつ、私たちは無事に買い物を終えた。


 手にした買い物袋から見え隠れする具材を見て、今日からしばらくは鍋が続きそうだななんて内心苦笑しながら、今は二人並んで家路についている。冬らしく空気は冷たいが、風はなくとても穏やかな夜だ。


「えへへ、あっちゃんち楽しみー♪」


 先のスーパーでのやり取りからもわかる通り、先輩もだいぶ気持ちが落ち着いてきたみたいでむしろ機嫌よさそうに鼻歌まで歌っている。


「別に面白くもなんともないですよ。というか前にも来た事あったじゃないですか」


「そうだけど、何て言うかこうやって買い物袋をぶら下げて歩いてると、なんかあっちゃんちに帰ってる! みたいな感じがするんだよねー」


 そういわれると確かにそうかもしれない。アイテム一つで見え方が変わるなんて何だか不思議だ。


「ね、ね、あっちゃんアレやりたい! 買い物袋二人で持つやつ!」


「歩きにくいですし危ないですよ」


「いいじゃんいいじゃん! ね、ちょっとだけ!」


「はいはい、わかりました」


 こうなった先輩は簡単には止められない。私はさっさと諦めて、自分が持っていた買い物袋の持ち手の片方を差し出した。


 先輩がそれを掴むと、腕にかかっていた重さがすっと軽くなる。思ったよりも肩と肩が近くて、何故か少しドキッとした。


「えへへ、他の人から見たらカップルに見えるかな?」


「せいぜい姉妹じゃないですか。妹の我儘を聞く姉みたいな」


「ちょっと、それなら姉は私だよ! わ・た・し!」


「買い物袋ぶんぶん振ってる人が何言ってるんですか」


 こういう子供っぽい仕草も、先輩なら可愛いと思えるから不思議だ。ホントいろいろ恵まれてる人だなぁ。……それと同じくらい、別の恵まれ方もしてるわけだけど。


「……ね、あっちゃん」


 不意に隣から、先ほどまでとは違う落ち着いた声で名前を呼ばれた。ちらりと横顔を見ると、先輩はいつになく真面目な表情をしていた。


「今日はホントにありがとう。あっちゃんがいなかったら私、もっとヤバかったかも」


 そういって笑った先輩からは最初の電話の時に感じた焦りや不安は全く感じられなくて、私もつい頬が緩む。


「なんですか、急に改まって。……先輩にはいつもお世話になってますし、このくらい大したことないですよ」


「えへへ、あっちゃんはやさしいなぁ」


 信号が赤になり立ち止まる。大きく振られていた買い物袋は、いつしかピタリと止まっていた。


「こんな風に私が抱えてきた荷物を一緒に持ってくれるの、あっちゃんだけだよ。ホント、あっちゃんは頼れる後輩だぁ」


「……そう、ですか」


「お、あっちゃん照れてるー」


「うるさいです」


 しょうがないじゃないか。私にとって先輩はエンジニアとして目指すべき姿で、そんな人から頼れる後輩だなんて言われたら嬉しくないはずがないだろう。


 もう、真面目な感じだったのになんなんだ急に。こういうまっすぐな誉め言葉に弱いんだ私は、からかうのは勘弁してほしい。頬にあたる夜風が丁度良く感じられるのは、たぶん気のせいじゃないだろう。恥ずかしい。


 ……でも、先輩は何もからかいだけが目的だったわけではないようで。


「私もね、もっと頼れる先輩にならないとなぁって思うんだ」


「……もう、十分なってると思いますけど」


「ありがと。でも、もっともっと頼れるようにならなきゃって思うの」


 信号が変わって、どちらからともなく歩き始める。買い物袋を持つ手の甲同士が軽く触れて、ちょっと反応してしまう。


「自分が迷惑かけてる自覚はあるからさ。その分、それを加味しても使いたいって思われる人間になることが、私の目標なの。だからもっともっと頑張って、あっちゃんの仕事もなくなっちゃうくらい頑張る! だからガンガン頼ってね!」


 そう語る先輩の横顔は、日が落ちた後なのにすごく眩しく見えた。


 ……そうか、こういう人だからあれだけの技術力を身に着けることができたんだ。向上心を忘れず、常に努力し続けられるから。先輩はエンジニアとしてはもちろん、そもそもが努力の天才なのかもしれない。


「……仕事がなくなるのは勘弁ですね。私だってコード書きたいですから」


「むむっ、そっかぁ……じゃあちょっと残るように頑張る!」


「なんですかそれ」


 ちょっとずれた先輩の発言に苦笑しつつ歩く。我が家まではもう少し、着いたら頑張りたいらしい先輩のために、とびっきりあたたまれる鍋を作らないと。


 ……たまにはこんな帰り道というのも、アリかもしれない。


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帰る場所がなくなった隣の席の先輩は、不憫可愛い。 ひっちゃん @hichan0714

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