第14話

 1階の広々としたリビングで、私はソファーに腰を下ろすように促された。ソファーはふんわりと柔らかく、腰や背中など触れた部分から重力を奪っていくような心地よさだ。そういえば今日は実家を発ってから緊張し通しだったことを思い出す。そんな身体をこのソファーは優しく労わってくれた。


「少しお待ちくださいね」


 佐原さんはそう声を掛けると、ダイニングの奥に姿を消した。数分後、カップを載せたトレイを手にリビングへと戻ってきた。


「陽菜先生、コーヒーは大丈夫ですよね?」


 リビングに香ばしい芳気が広がる。コーヒーってこんなにいい香りがするものなんだ。正直なところ、コーヒーなんて眠気覚ましに飲むものだと思っていたけど、これは認識を改めねばいけないだろう。

 目の前に置かれたコーヒーカップを手に取り、鼻に近づける。漆黒の液体から放たれる香気が直線的に鼻腔に入り込み、さらにその奥の脳内にまで心地良い刺激が与えられる。


 その蠱惑的な香りの魅力に抗えず、私はカップをそっと口に運んだ。


「あぁぁあああーーー、にがぁぁあああーーー!」


「大丈夫ですか、陽菜先生!?」


「は……はい。みっともない姿をお見せして申し訳ありません。実はブラックコーヒーは苦くて飲めないのですが……このうっとりする香りを嗅いでいると飲んでみたくなって……でもやっぱり無理でした」


 何という醜態、これは恥ずかしすぎる。顔がどんどん熱くなる、カップをソーサーに置くやいなや、私は両手で顔を覆ってしまった。

 視界を遮断して身をすくめていると、カタリと物音がした。目を覆う指の隙間を広げ、音の方向に視線を向けると、ミルクポットとシュガーポットが私のカップの横に寄せられていた。


「陽菜先生、コーヒー自体がお嫌いでないのでしたら、どうぞミルクと砂糖をお使いください」


 指の隙間から佐原さんの表情を窺うと、変わらず柔和な顔つきだった。表情から、怒ってもいなく嘲ってもいないことを確認すると、我が両手を顔から外し姿勢を正した。そこからこの一連の見苦しい所業をひたすら詫びた。もう全力で謝り倒した。穏やかな佐原さんの表情が困り顔に転じていた。


 私のみっともない謝罪文句が途切れたところで、佐原さんは咳払いをし、


「陽菜先生、少しは気が紛れましたか?」


 情けないことに、つい先ほど私はひまわりちゃんの現状を耳にして、どう対処すべきか判断できずに固まっていたのだ。失声症の児童に接したことがないどころか、そもそも疾患についての知識も皆無だったからだ。知識も無ければ対処力も欠落している、そう思い知らされて自己嫌悪に陥りかけたとき、佐原さんがリビングまで導いてくれていたのだった。


「はい、おかげさまで。ご配慮ありがとうございました」


 私がそうお礼を述べると、不意に佐原さんは立ち上がり、私に向かって深々と頭を下げてきた。

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