第13話
「ひまわりー、入るよー」
佐原さんは2階の南側の一室の扉をノックする。中からの返答はないが、数秒後佐原さんはドアノブを捻って扉を開けた。
部屋は南からの陽光を存分に受け入れる窓設計になっているにもかかわらず、厚い遮光カーテンで一面覆いつくされていた。室内はむおんとした熱気が籠めており、温室のような空気感があった。
「ひまわりのお勉強の先生が来てくださったよ。前にも話したよね。ちゃんとご挨拶できるかな」
佐原さんは、部屋の真中の床に座る少女に声をかける。少女はクマのぬいぐるみを大事そうに強く抱きしめていた。その髪はベリーショートで、フリルのついた長袖シャツを着こんでいた。いくら5月とはいっても熱気の籠る室内での長袖シャツには幾分の違和感を覚える。
「佐原さん……”ひまわり” ちゃんにご挨拶してもよろしいでしょうか」
「ええ、お願いします」
佐原さんが頷くのを確認して、私はベリーショートのひまわりちゃんに近づいた。よくよく見ると、小学2年生にしてはかなり小さく、手足もやけに細い。何よりも、少女からは活気がまったく感じられない。私は身をかがめ、少女と目線を合わせて挨拶をした。
「はじめまして、ひまわりちゃん。私は鈴木陽菜っていいます。よかったら「ひな先生」って読んでくださいね」
少女は話しかけられると、顔を上げて私を見つめ、小さく頷くとまた視線を落とした。どうやら拒絶反応はないようだが、ご挨拶の声が聞かれなかったのは残念だ。
「ひまわりちゃん、ご挨拶できるかなー? 私、今日からこのお家で暮らすことになるのだけど、仲良くしてもらえるかな」
少女はまた同じように小さく頷く。声はまた聞かれない。これは ”アレ” かもしれないと察し、傍らの佐原さんに視線を向ける。
「佐原さん、あの……彼女は『場面緘黙症』なのですね」
場面緘黙症――特定の状況において言葉を発することができなくなる症状だ。きっとこの子は初対面の大人と直面すると不安や緊張で言葉が出なくなるのだろう。この症状は幼児期においては珍しいものではない。まずはコミュニケーションにおける不安を払拭することが最優先だ。彼女と私の間に一定の信頼関係を醸成することで、いずれ声を発してくれるだろう。根気よく向き合って不安を和らげて、改善へのお手伝いをしてみせる。そう心に決めたところで、佐原さんからの返答があった。
「陽菜先生、この子は『場面緘黙症』ではありません」
そう言った佐原さんは表情を大きく歪めていた。そして絞り出すように言葉を継いだ。
「この子は……ひまわりは……『失声症』なんです」
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