第五話

蠱毒の王女アインザーム



 大気中の何かが彼女の身体にまとわりついた。妖しい光を放ち、包み込む。



「あれは…もしかして魔素マナなの!?」



 皆がその光景に見惚れている中、ヴィーナ殿が声を上げた。研究者の彼女が言うことだ。おそらくそうなのだろう。そして、魔素マナが輝きを失うと、着ていた服とは大きく異なる、黒と紫の入り混じったドレスを身に着けていた。また、彼女の周囲に謎のモヤのようなものが微かに見える。見間違い…ではなさそうだが…。



「お前ら、ブルが突っ込んでくるぞ!!」



 無事壁から抜け出せたブルは頭部を左右に揺らし、体についた壁の破片を振り落とした。我々を睨みつける。その直線上にいるのは彼女、ベイル殿だ。

 


「皆様、私から離れてください!!」



 彼女の忠告通り、私たちは少し離れた。魔王様はお嬢様を抱え、私より後方で待機していた。もちろん、言葉など知らないブルは今か今かとその機会を伺っている。


ブルの頭が少し下がった。強く前脚を踏み込むと、突進の構えをとる。

 

 レイジングブルは魔獣に分類される生物の中でも特に足が速い…とまではいかないが、決して油断してはならない種である。我々を超える体重を持つ彼らから繰り出される突進は、毎年農村の柵や住居を破壊、負傷者も確認されている。打ちどころが悪ければ最悪死に至ることもある危険な生き物。ましてや、この個体は中でも大型。その危険度は更に増している。



「来るぞ!」



ハルバード殿が叫ぶと同時にブルは動き出した。その巨体にそぐわないスピードで、その先にいるベイル殿に向け駆ける。だが突然、ブルの前脚が硬直したのを私は見逃さなかった。脚がつっかえ、頭から地面を叩きつける。角が擦れ、床を抉り、ついに行動を停止した。彼女に届くまでの距離はあとほんの僅か。彼女は一度もその場から動いていない。これが彼女の魔法の力…。


「すげぇじゃねえか!一体どんな魔法なんだ?ちょっと教えてくれよ!」



ハルバード殿が彼女に駆け寄ろうとする。が…



「駄目!今近づくと貴方にも…!」



 声を荒げ、ハルバード殿を拒絶した。彼女は今にも泣きそうな表情をしている。何かに怯えているようだった。私は動揺が隠せなかった。私とベイル殿は教育係の関係でよくご一緒する機会が多いのだが、あそこまでするような人ではないと認識していた。そんな方があのハルバード殿にここまでするとは…。



「そうね、今はよしておいたほうが良さそうよ、ハルバード。本当は、私も近づきたいんだけどね…」



 まさか、あのフワフワした声が特徴のヴィーナ殿とは思えないほど冷静で落ち着いた声色でハルバード殿を制止する。が、彼女自身は冷静を保っているのが精一杯らしい。ブルが横たわってから、彼女の表情が硬い。



「ヴィーナ…?いつものお前らしくないぞ」


「そうね。普段の私だったら止めないかもね。でもこれは例外。とにかく後ろに下がりなさい」


「おう…なんだかよくわかんねぇけど。とにかく下がればいいんだろ?」



 不満げな表情を出しながら彼女の言葉に従う。彼女より後ろに下がったことを確認して、ヴィーナ殿はこう尋ねた。



「さて、ベイルちゃん…。その魔法、解除してもらってもいいかな?」

 

「はい、分かりました」

 


言葉通り、彼女は魔法を解く。すると、あのドレスは跡形もなく消え、いつものメイド服に戻った。そして、あのモヤのようなものも見えなくなった。それを確認したヴィーナ殿は真っ先に足元のブルに飛びついた。すると彼女はブルの四肢を触りだす。呼吸の有無や反応の有無など、まるで医者であるかのような立ち振る舞いであった。


 

「これは…なるほどね」



ヴィーナ殿はその場で立ち上がってこちらに顔を向ける。



「分かったも。彼女の魔法の正体」


「本当か!?早く教えてくれ!!」


「もちろん教えるよ。だけどその前に…」



 今度はすぐそばにいたベイル殿を見つめる。そして彼女の両手を握りしめてこう言った。



「ベイルちゃん、改めて言うわ。私たちアミナ騎士団に入ってくれない?」

 

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