第2話 ポールスミス氏

 その男子は背が高く、ピンと伸びた背筋にジャケットが良く似合っていて、改札を抜けた私の姿に気が付くと即座に腰を折り曲げた。

「桃山さんっ、本日はお越し下さりありがとうございますっ」

 改札前、良く通る声で長身の彼がそうするのはかなり目立つ行動だった。

 なにこれ、怖い。

 竦みあがった私はもにょもにょと挨拶を発すると逃げるようにその場を離れる。歩幅の大きな彼はすぐに追いつくと「こちらです」と先に立って歩き出した。背の高い人だな、という印象は、颯爽としている、に塗り替えられた。

 距離感を掴めないまま一段空けてエスカレーターに乗る。ふと、彼の下げている肩掛け鞄が目についた。PaulSmith。そうかぁ、これがポールスミスかぁ。インクの飛び散ったようなプリントのお洒落なデニムにも同じ文字がある。ここで「もしや」と思う。このジャケット、そして幾何学模様のシャツ、同じブランドではあるまいか。


 最上階のレストランで囲んだエスニック料理の味は良くわからなかった。

 食事をしながらお互いの境遇についてぼそぼそと話をする。

 彼は三年前まで二年間お付き合いした女子がいて、それ以来ずっと仕事に邁進していたものの、親にせっつかれてあの会場に足を運んだのだという。幸か不幸か私の持ち込んだガチ一眼レフが彼の琴線に触れたらしく、その場はカメラ談義となった。

「自分、実は新しいカメラを買ったところで。良ければ今度、何か撮影しに行きませんか?」

 ……スマートだ。相手を探りつつも目的を見失わない。思えば彼は先日の「猫カフェ合コン」でも、猫をじゃらしつつ「お仕事は何をされているんですか?」等の質問を繰り出してくる高等技術を擁する男子であった。


 私は彼に誘われるまま、カメラをぶら下げてほいほい出かけ、公園で写真を撮り、お洒落カフェで食事をした。三ヵ月間、彼は毎回ほぼ全身ポールスミスで現れた。

 仕事終わりの彼から電話がかかってくるようになった。職場でこそこそと次の待ち合わせを決め、残業に戻る。

 仕事も婚活も順調のはずなのに何故か疲労感が蓄積していく。ため息が出る。お願い今日こそはスマホよ鳴らないでと思う。どうしてだろう。でも行かなくちゃ。眠る前に「おやすみ、桃山さん」のメールが届き「おやすみなさい」と返す。安らかに眠りたい、と思う。希望に反して夢の中でも待ち合わせに向かう場面を見てしまう。勘弁してくれ、後生だから……。うなされながら、そんなことを願う。


 *


 謎に疲弊した私を迎え入れたのは、女友達数名による「女子会」だった。

 婚活状況を報告し、お相手について述べ、現状の疲労感を申告する。

 名前呼びイベント、手繋ぎイベント、共に未出現です。でもなぜか同棲フラグだけ立ってます、そして私ですが、謎に大変疲れています。

「悪い人ではないんです」

 とにかくそう繰り返す私に、女友達はまつげをバサリと震わせながら口をとがらせる。

「確かに悪い人じゃなさそうだけど、あのさぁ、気乗りしてないよね?」

 ……その通り。

 電話がかかって来るタイミングも、メールの返信に返信がくる速さも、毎週末予定を空けることも。婚活が上手くいっている事を示す要素のはずなのに、どうしてか「気乗りしない」がしっくりと当て嵌まる。彼はたぶん、間違いなく良い人なんだけど。だけど。

「……ひとつだけ、引っかかることが」

「なになに?」

 食い気味の女子会に打ち明ける。

「実は……彼の体臭というか、なんか独特の匂いがあって」

 そう。それは一番はじめに彼に続いて乗ったエスカレーターから感じていたことだった。一段空けているにも関わらず、何か心を穏やかにさせない、不思議な匂いがしていたのだ。

「あ、体臭が合わないのは駄目だよ。それって、遺伝子レベルの話だから」


 *


 終焉はいつも唐突に訪れる。

 もはや定時連絡と化した電話で次の待ち合わせには行けない旨を伝えると、少し黙った彼は颯爽と口を開いた。

「今までありがとうございました。実は僕、女性とお付き合いするのは初めてで」

 頭の上に疑問符を浮かべながら生返事をする。あ、はぁ、そうでしたか。

 つまり、彼は「女子とお付き合いして結婚する自分」を追いかけていたのだと気付く。


 彼の目には「私」ではなく「女子」が映っていた。目的を遂行する為には経歴を少し偽ることなど二の次。「私」に対して誠実である必要はない。自分が納得していればそれで話は進められるのだから。

 さらに言えば、ガチ一眼レフにデニムで現れた私の姿はいわゆる女子っぽい格好ではないため、女子に慣れていない彼にはハードルが低かった、という事だろう。

 出逢った異性と婚姻関係を結ぶ、という目的に対しては良い進捗だったのかも知れない。けれど、微妙な認識のズレは確実に積み重なり、私の足元はぐらぐらしていた。彼はこのまま何年も、何十年も、夫婦として家族として過ごせるのだと、そう思えていたのだろうか。

 もちろん、彼が全面的に悪いのではない。かと言って、彼に踏み込めなかった私に罪があるのでもない。お互いに積み上げ続けた不恰好なジェンガ。バランスを取りながらも無理に積み上げていく行為が、私に疲弊感をもたらしていたのだ。私たちにそうさせる「婚活」という不自然な状況こそが、恐らく一番の戦犯だろう。

「それでは」

「あっ、はい、ありがとうございました」

 どうぞ幸せになってくださいと伝える前に颯爽と通話は終了し、寂しさ以上に安心感が身を包んだ。違うとなったら後腐れなく切り替えるメンタルの強さ、嫌いじゃないぜ。

 彼がきちんと理想の相手を見つけて幸せになると良い。今でもそう願ってやまない。

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