1章 14話
「全く、君の弟アレどうにかしろよ」
ロガレルが部屋に入ってくるなりそう言う。
ジスクは思わず顔を顰めた。
非公式とはいえ互いに立場ある人間の会談だ。
「挨拶の前にそれか?」
「君の家はどういう教育してるんだか」
「お前がどう言う教育を受けたのかの方が気になるよ」
「知ってるだろ、俺は教育されてない。特別扱いだったもんでね」
相変わらずの調子に溜息を吐かずにはいられなかった。
ただでさえ疲れているのに、よりによってこいつと話さなくてはならないなど、憂鬱にも程があった。
長い付き合いだが、早く切りたい縁でもある。
もっともそれは不可能だ。
レオラという国は四つの領地に区分され、それぞれ領主に統治されている。ジスクは東部、ロガレルは南部の領主の後継だった。
慣例的に、北と西、南と東で何かと付き合いが深く、逆に東西、南北は対立が激しい。
そのためジスクとロガレルも必然的に関わらざるを得ないのだが、政治事情を捨て置いて良いならすぐにでも関係を絶っていたことだろう。
「で、東部領主殿はどう思った?」
話題も明確にしないままロガレルは尋ねる。
こういうときは大抵答えを求められていないと経験からわかっていた。
ただ些細な間違いを指摘する。
「まだ俺は領主じゃない」
「実質そんなもんだろ。瑣末なところ気にするなよ」
「父は生きてるんだがな」
ジスクは不快を隠さずに言った。
随分前から、現行領主である父親は病床についている。
ジスクがその代わりを務めていることは誰もが知っていたし、ジスクと父親の確執を知っている人間がそれをからかうのもよくあることだった。
名前だけ譲られない、或いは名前だけにしがみついている、と。
ロガレルは冗談か本気かわからない口ぶりで誤差だろと笑った。
「君のことを未だに領主だって思ってないのは、現行領主様くらいじゃないか」
「やめろ」
仲の良い親子ではないが流石に不愉快だ。
ロガレルは楽しそうに喉を鳴らす。
「早く死ねって言ったのは君だろ」
「いつの話だ」
「去年くらい?」
「蒸し返すなら覚えておけ。五年も前、子どもの戯言だよ」
「もうそんなに経つか。それじゃあ五年経って大人になったわけだけど、酒でも飲む?」
「まともに話す気がないなら寝かせてくれないか? 疲れてるんだ」
「そう苛々するなよ」
誰のせいだと。
黙って睨めば、諦めたようにロガレルはやっと椅子に座る。
「で、俺は説教されるのかな?」
「言い訳くらいは聞いてやる」
「別に言い訳は無いよ」
ロガレルが肩をすくめる。
「何を聞きたいの、君は」
「はぁ……。何故殿下をロベッタに?」
「あの方が望んだから」
「馬鹿かお前は」
「知ってるだろう、天才だよ」
「うるさい」
ジスクは何度目かもわからない溜息を零す。
確かにロガレルは言葉通りの才能人だ。
子どもの時分から戦略家として戦争に関わり、実際に成果を残している。名目上はまだ領主ではないが、それは彼の素行不良によるものであって、所領の内政どころか国政にも口を挟んでいるくらいだった。
天才性故に、彼はいつも特別だった。
そのために貴族としての振る舞いを教育されることもなかったようだが。
さらに言えば、表に顔を出さなくなったラルディムと、唯一言葉を交わせていたという点においてもロガレルは重用されている。
全く上手く立ち回ったものだと思う。
「ラルディム様のことは俺が一番よくわかってるよ」
自信に満ちた口調でロガレルは言う。
「あの方は大丈夫だと思ったから送り出した」
「お前の独断か?」
「当然。あの方と話しているのは相変わらず俺だけだしね」
「愚弟は?」
「どうして俺がアレを会わせると思う?」
急に声が険を帯びる。
失言だったかとジスクはロガレルから目を逸らした。
ジスクから見ればロガレルもザミスも同じようなものだ。自信家で口が悪く、しかし言葉に見合うだけの実力はある。
しかしこの二人は、ラルディムのことを抜きにしても昔から馬が合わなかった。
「アレが良い顔をするのは、敬愛するお兄様に対してだけさ」
「やめろ」
「弟に言えよ。アレがどれだけラルディム様を追い詰めているか、君もわかっているだろう」
弟のことだ、当然よくわかっている。
二人の間にある問題の性質も、恐らくロガレルと同程度には把握していた。
ザミスはラルディムとは歳が同じということもあり、友人としての付き合いを期待されていたのだが結果はこの通りだ。
完璧主義者と言えば聞こえは良いが、とにかくザミスはラルディムの弱さや不出来を許せなかった。
馬鹿らしいとジスクは思う。
しかし、同時にザミスがその点にこだわる理由も理解できるため、この問題に関してジスクは静観を貫いていた。
第一、弟に関して口を出せる立場でもない。
「君もそろそろ無視はできなくなるからな」
ロガレルが咎めるように言う。
「俺に言うな。ザミスのことは、俺にはどうもできん」
「腹違いでも弟は弟だろ」
「今更我が家の汚点たる内情を説明してやる必要があるのか?」
「君の父親がどう思っているかは知らないけど、弟くんは君を慕ってる。どうとでもできるはずだ」
「する気はない。俺と父の問題にザミスは巻き込まない」
確かに自分が言えばザミスは渋々でも聞き入れるだろう。しかし、その従順さがむしろ今は面倒だった。
父親は現状のザミスを肯定している。
そこに口を挟んで、父と兄の対立に巻き込むようなことはしたくなかった。
「君も大概、愛が重い口だよね」
ロガレルが呆れたように言う。
「甘やかすなよ。アレだってもう十八だろ、成人もしてる」
「お前だって殿下を甘やかしてる。そういうものだろ」
「否定しないのか。まぁ良いよ。しばらく忘れてたけど、君はそういう奴だった」
からかいの込められたロガレルの言葉に、ジスクは曖昧に首を振った。
わかったような口を聞かれるのは癪だが、この男は実際ジスクのこともよくわかっている。
他人を解し、上手く操り、その気になれば好かれることも簡単なのだろう。にもかかわらず嫌われやすいのは、彼がそれを望んでいるからか。
扱いにくく厄介で、決して敵に回したくはない。
「そういえば、君は大丈夫なの?」
ロガレルが思い出したように言う。
「……何がだ?」
「珍しく怪我したって聞いたけど」
ジスクは右手に巻きつけた包帯を見て、首を横に振った。
「問題ない、軽症だ」
「さすがだねぇ」
からかうようにロガレルは笑って、それからふっと不意に声が真剣の色を帯びる。
「サレンのことも聞いたよ。君、ずいぶん仲が良かっただろう?」
ジスクは何も答えずロガレルの灰色の目を見つめた。
どこまで知っていて、何のためにそれを口にしたのだろうか。
「君からしちゃ死なんて珍しくもないのかもしれないけれど、無理は良くないぜ」
普段よりも落ち着いた様子でそんなことを言う姿からは、他意があるようには見受けられない。
ジスクは別に、と目を逸らした。
「同日同刻に死ぬと思っていたわけでもない。アイツのほうが早く死ぬのはわかっていた」
「そうかい」
ゆるやかな沈黙が部屋に降りる。
しばらくそのまま二人は黙り込んでいたが、ジスクの方から再び口を開いた。
それは質問というより、確認だった。
「殿下は王位を継がれるのか?」
ロガレルは心外だとでも言いたげに顔を顰める。
「当然だろ。それ以外に何があると思うんだ」
「殿下は六年も表に出てないんだ。わかるわけがない」
「じゃあ六年ぶりに会って、君はどう思った? あの方は王位に値するか、どうか」
からん、とロガレルが手の中で空の杯を回す。
どう答えるべきか。
少し迷って、苦笑する。
これもまた彼の好む意味のない問いだった。
「聞くってことは答えもわかっているんだろ」
ロガレルは悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。
「わからないから聞いてるんだよ」
「……面白い方だと思った。それくらいだな」
「君にしちゃあ淡白な評価だね」
「優れた目を持ってるわけではないからな。資質や適正なんて俺にはわからん」
「ま、今はそれでいいよ」
この話題に誘導されていたことをやっと悟る。
全くもって話しづらい相手だ。
満足したように笑うロガレルに、思いつきで言葉を継ぐ。
「ただ、お前が殿下に入れ込んでいる理由はわかった」
「うん?」
意外だったのか、ロガレルは面白がるように灰の目を輝かせた。
丸切り子供のような仕草に苦笑する。
「どういう意味?」
「臆病なようで芯が強い。判断力もある。世間の評価より随分優れた方だった」
「不敬な言い方だねぇ、東部領主殿」
「やめろと言ってるだろ」
「ま、君が大人しく兵を引いて、王都ではなく俺の元にこんな真夜中に訪ねてきた時点で、殿下のことをそれなりに気に入ってくれたんだろうことはわかってたんだけどね」
「随分嬉しそうに言うな」
「そりゃ俺の王が認められたんだから嬉しいさ」
不敬はどちらだと言いたくなるが、言い合いを長引かせる方が面倒だった。
言葉の代わりに立ち上がる。
「おや、説教は終わり?」
「寝る。お前相手に何を言っても無駄なことはわかっているからな」
「おぉ、賢いね。じゃあ適当な部屋使って良いから。あ、もう会えたとは思うけど、弟くんは東の方のどっかの部屋使ってるよ」
「案内くらいちゃんとしろ」
立ち去ろうとして、ふと違和感に気がつく。
ジスクは振り返って、ロガレルの顔をじっと見た。
「どうかした?」
訝るように首を傾げるロガレルに、敢えて言葉を選ばず違和感を口にする。
自分が弄する小細工程度で本心を聞き出せる相手ではない。
「ロガレル。お前は殿下が無事だとどうして確信していた?」
「ん? 君ならちゃんと気がつくと思って」
「今回のロベッタ攻略は奇襲だった。俺が加わることも、日程すらお前には何も話していない。それに危害を加える恐れがあったのは俺たちじゃないだろう。むしろロベッタの人間や、最悪の場合クリュソ兵と出くわす可能性もあった」
「そうだね」
「あの方が帰らない選択をする可能性もだ。無茶にも程がある」
この男は気に触る部分も多々あるが、絶対に愚かではない。
しかしこれはどう考えても愚策だった。
愛や期待、信頼では片付けられない。
ロガレルは口元に笑みを湛えたまま、その指摘もわかっていたかのように頷いた。
「そうだね」
「……何故こんなことを?」
「帰ってこなければそれまでだよ」
何でもないことのように言う。
冷淡、というのはロガレルとは縁遠い言葉だと思っていた。
よく笑い、何事も面白がって楽しんでいる、子どものような天才が彼だとそう思っていた。
酷い誤解だ。
ジスクはロガレルの笑顔に強い嫌悪を覚えた。
「そこで終わるなら、それまでの人だったということだろう」
「……そうか、わかった」
「東部領主殿は相変わらずお優しいね」
可哀想にと、心底思う。
ジスクはそれ以上何もいうことなく部屋を後にした。
────────────────────────
夢を見る。
ハクトはぼんやりと、霞がかった空を見上げた。
『いるのか?』
口は動くが、声にならない。
当然返事もなかった。
あたりを見渡すが、神の気配はなさそうだ。
死んだのだろうか。
ぞっとしない考えが浮かぶ。
一本の木の他には何もない無表情な草原だ。死後の世界と言われれば、なるほど納得できてしまう。
ふと、誰かの声がした。
すすり泣きのような、微かな声だ。
自分の他には誰もいないはずなのに、確かに聞こえる。
仕方なく、ハクトは木に向かって歩き出した。
風もないのに枝葉が揺れている。
手を伸ばして幹に触れれば、まるで何かの魔法のように一斉に白い花が咲いた。
むせかえるような香りに顔を歪める。
「おや、お客さんとは珍しいね」
それは突然だった。
枝の隙間、花の間から白い頭が覗く。
『誰だ?』
声は出なかったが、それはハクトの意図を理解したようだった。
女とも男ともつかない顔で微笑むと、ふわりと木から降り立つ。
まるで重みを感じない、花びらのような姿だった。
小柄で平凡な格好をしているが、何かが異質に感じる。
耳のあたりで切り揃えられている髪は真白で、ついリディを思い出した。
まるで色が抜け落ちたような、白。
それの顔を見て、思わずぎょっとする。
ハクトに向けられた瞳は、あらゆる色を持つように揺らいでいた。
「私はここの守護者だ。私の領域だから、君の思考もわかる。声を出せなくても心配しないで良い」
少女にしては低い、少年というには高い、不思議な声だった。
『ここは?』
「ロベッタだ。知ってるかい? それとも君の時代にはもう存在していないだろうか。ここは時の流れが緩慢でいけない」
そんなはずがない。
ハクトは首を振った。
ロベッタのことは隅まで知っているが、一度としてこんな場所を見たことはなかった。ここがロベッタなはずがない。
「あぁ、なるほど。君は此岸のロベッタに住んでいるのか。ふむ、何かのきっかけでこちらに繋がってしまったのかもしれないね」
『此岸?』
「此岸、現世、この世といっても良いかもしれない。とにかくほら、君の生きる世界のことだ」
『じゃあここは何?』
「私は彼岸と呼んでいる。何と説明してあげれば良いかなぁ」
『……オレは死んだの?』
「どうかな、死にかけているかもしれないね。どれ、君の記憶に触れても構わないか?」
首を傾げるその姿からは、敵意は感じ取れない。
ハクトは頷いた。
『良いよ。でもその前に、アンタが何なのかちゃんと説明してくれ』
「何、とは?」
『名前も、その守護者ってやつが何なのかもオレは知らない。神の関係者か何か?』
「ああ、そうか。そうだね。久しぶりの会話だから、つい礼儀を忘れてしまっていたよ」
納得したようにぱちりと手を叩いて、それはにこりと笑みを深めた。
「私はタッカラ。二柱の神の御名の下、この神域を守護する神官だ。務めに就いてから三千と数百年ほどになる」
『三千?』
「神のある世界で、何ら不思議ではないだろう。神々もその程度は生きている」
『……神ではないの?』
「ただの守護者。一介の神官に過ぎない」
頭痛がしてきた。
神だか守護者だか知らないが、そういったものとは無縁に生きていたいのだがどうやらそれは叶わないらしい。
三千以上の時を生きていると言ってのけたタッカラは、それが当然であるように微笑んでいる。
何もおかしくはない、と。
『……アンタは、何を守ってるの?』
「全てを」
そう言ってタッカラは、両腕を大きく広げた。
途端に風景が変わる。
木には蔦が張り付き、草原だった大地は石造の歩道に。
タッカラの服装も、神官らしいものに変わっていた。裾を引くような白いローブに、顔も白布で隠している。
「これが本来の聖域だ。神域の景色、でも私は好きじゃなくてね、いつもはあの景色を投影しているのさ」
『それは?』
タッカラの後ろ、先程まではなかった二つの箱を指差す。
木製の大きな箱で、白と黒の花にそれぞれ飾られていた。
「空箱さ」
そう言ってタッカラは、愛しむように黒の箱を撫でた。
「これを守るのが、守護者の使命だ」
『空箱なんだろ。何のために』
「いつか壊されるその日のために」
面布の奥でどんな表情をしているのか、ハクトにはわからなかった。
壊されるために、守り続けている。
三千年以上もだ。
『イカれてる』
「そうかもね」
タッカラは問題ではないという態度で頷いて、それからハクトの方へと向き直った。
「君の肉体も今は空箱。そしていつか壊れるその日のために、今誰かが守っている」
『何の話だ?』
「君は君の中身。箱を此岸に置いて、中身だけでここに来てしまったんだよ」
タッカラは微笑んで、ハクトの額に手を当てる。
「さあ、あまり長く彼岸にいると戻れなくなるかもしれないね。記憶を覗かせてくれ。帰り道の手がかりを探そう」
『……ああ』
ハクトは目を伏せた。
何故かはわからないが、直視してはいけない気がした。
するり、とタッカラの手がハクトの額を突き抜ける。
背筋に悪寒が走って、それと同時にタッカラが火に触れたように勢いよく手を引き抜いた。
神域が崩れて、元の草原が戻ってくる。
タッカラは驚愕の表情でハクトを見ていた。
得体の知れない瞳は、今は紫一色をしている。
「……君は、ロズベリアに会ったんだね」
震える声に、ハクトは首を横に振った。
『ロズベリア?』
「……黒き女神だ」
ハクトは何の感慨もなく、あれは本当に神だったのだなと思った。
そんなのどちらでも構わないのだが。
「可哀想に、神の愛子よ」
タッカラはそう言って、ハクトの額に自分の額を押し当てた。
触れられているはずなのに何も感じない。
タッカラの言うように肉体を此岸に置いてきたからなのか。それとも三千年を生きるうちにタッカラが肉体を失ったのか。
両方だろうと、ハクトは笑った。
『そんなのどうでも良いよ。それでオレは帰れるの?』
「……帰っても、君は幸福にはなれないよ」
『それでも良い』
タッカラが閉じていた目を開く。
瞳は再び無数の色に揺らめいていた。
『誰かが空箱を守ってるんだろ。帰るよ』
「……少年、君を憂うよ」
『そりゃどうも』
笑って目を閉じる。
タッカラが何か呟くと同時に、沈み込むような感覚と強い花の香に包まれた。
「箱を壊しにおいで」
霞む意識の最後に、そんな言葉を残される。
「神から逃げるには、神を殺すしかないのだから」
────────────────────────
「おはよう」
ノックの音がして、相手を確認することもなく、ラルディムは声を返した。
「おや、起きてらっしゃったんですね」
眠たげな顔をひょこりと出して、意外そうにロガレルが言う。
ラルディムは苦笑しながら置き時計を叩いた。
「起きてるよ。何時だと思っているの?」
「十二時あたりですかね。お疲れだったでしょうに」
「ここまで寝過ごしはしないよ」
「そうですか? 俺はさっきまで寝てましたよ」
「朝が弱いくせに夜更かしするから」
「はは、これじゃあどっちが保護者かわかりませんね」
愉快そうに笑ってから、ふと気がついて、驚いたように目を丸くする。
「髪、どうしたんです?」
「どうしたって、自分で編んだ以外にはないでしょう」
「自分で? いやぁ、少し会わないだけで成長するものですね」
今までの何もできなさを言われているようで、ラルディムは肩を竦めて見せた。
できないというより、やろうともしていなかったのだが。
「芋の皮むきも覚えたよ」
「えぇ、いつ使うんですか、それ」
「髪ももう時期切るしね」
ラルディムは皮肉な口調で言って、それから微笑んだ。
「でも役に立たないことを学ぶのは楽しかったよ」
「はは、いいですねぇ。皮むきは俺もできないかもな」
「君に刃物持たせるのは危なすぎる」
「ラルディム様までそんなこと言うんですか?」
久しぶりの慣れたやりとりに声を出して笑う。
ロガレルはレオラの貴族には珍しい、根からの文官だ。天才性故に幼少から多くのことを免除されてきている。全く戦闘能力のない貴族など彼くらいだろう。
ラルディムでさえ多少は剣を振れるというのに。
「そういえば、昨日褒めるのを忘れていました」
にやりと悪戯っぽい笑みをロガレルは浮かべる。
「褒める?」
「ジスクをどうやって言い負かしたんです? アレに兵を引かせるのは骨が折れたでしょう」
「あぁ……彼には謝らないと」
「別に気にしてないと思いますよ」
「そんなわけないでしょう」
あまりに楽観的すぎて、流石に否定する。
しかしロガレルは大丈夫だと言うように笑った。
「そういう男です。事象に心情を左右させることは、ごく一部を除いてない」
「そうかなぁ」
「話せばわかりますよ。どうです?」
珍しい提案に驚く。
ロガレルは決してラルディムの世界を無理に広げようとはしない。
他人と話すことを明確に拒否したことはなかったが、ラルディムが抱いている人への恐怖心を彼はよく理解してくれていた。彼自身は強い人なのに、何故かそういった機微をわかってくれる。
彼が誰かと会うことを勧めるのは、この六年で初めてのことだ。
ラルディムはゆっくりと頷いた。
「……そうだね。ちゃんと謝りたいし、彼とは話しておきたいかもしれない」
「え、本当ですか?」
「本当だよ」
「無理はしないでくださいよ?」
「大丈夫だって」
自分から言い出したというのに、意外だったのかロガレルは心配そうに眉を寄せる。
「彼は大丈夫、だと思う」
ラルディムはそう付け加えて笑ってみせた。
「……無理はしないでくださいね」
もう一度ロガレルが言う。
ありがとうとラルディムは頷き返した。
ロガレルが過度に案じてくれるのは、ジスクがザミスの兄であるからだろう。
しかし兄弟であろうとも同じ人間ではない。
「ジスクは、きっと私にあまり関心がないよね。だから大丈夫」
思い当たるところを口にすれば、ロガレルはけらけらと声を出して笑う。
「はは、どうしてそう思ったんです?」
「私にというより、誰にもあまりないのかなと思って」
「半分正解ですかね。彼は嫌いな人以外に関心がないんですよ」
「嫌いな人はいるんだ」
「俺はまぁまぁ嫌われてますよ。あいつ、適当な人間が嫌いだから」
「あぁ、なるほど」
「納得しないでください」
そう軽口を叩いてみたが、ロガレルとジスクの関係も、ロガレルが口にするほど単純ではないだろう。
やはりジスクは好き嫌いでは人間を測っていないはずだ。ああ言ってはみたが、無関心ともまた違うのかもしれない。すべきかどうかという無機質な判断基準を持っているように見えるという方が適切だろうか。
そういう人間は信用できる。
偉そうな物言いだなと内心笑いながら、ラルディムは大丈夫だよともう一度言った。
「髪も編めるし、刃物も多少は扱えるようになった。人と話すくらいはもうできるよ」
「ま、時間は無限ですからね。のんびりやっていきましょう」
「有限じゃないの?」
「人生は長い、無限に思えるほどです。焦るだけ無駄ですよ」
生き急ぐなと、言外に窘められる。
そうだねと笑い返しつつ、それは無理だと内心で呟いた。
六年。
あまりに長く休み過ぎた。そろそろ走り出さなくては、皆の背も見えないまま終わってしまう。
それに、ハクトならばきっと、逃げることも止まることもしないはずだ。
どうしているだろうか。
知り得るはずもない影を求めて、ラルディムはそっと目を伏せた。
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