「ただいま」が言える場所

隅田 天美

「ただいま」の言える場所

「おつかれさまでした」


 会社を出て、私は最寄り駅までの道のりに足を進める。


「せんぱーい、まぁた煙草を吸う真似をしていますよ」



 私は考え事をするとき、煙草を吸う真似をする。


 祖父と父が大のチェーンスモーカーぶりを目の前で見ていた影響らしい。


 なお、吸えれば父と同じ『ケント』がいい。


(私は肺が激弱いです)


 仕事の余韻からか、明日の仕事のスケジュールや、帰宅後のことを細かくあれこれ考える。



「……だから、先輩。精神こころがぶっ壊れやすいんですよ。せいぜい、家に帰って『池田さん』といちゃこらすることぐらいでいいんです」


 後輩が続ける。



『池田さん』とは私が寝るときに一緒にいる蛙のぬいぐるみで、好きな作家の名前を組み合わせた。


『池田正三郎』


 この名前を見て「ああ、あの人とあの人か!」と分かったら、かなり歴史小説(チャンバラ)すきだろう。



 後輩と話をしつつ、でもやっぱり、帰宅後のごはんのことなどを考える。


 一緒にビール……ではなく、コーヒーを自動販売機で買い飲んで、お互い別れる。



 ホームには同じ帰宅目的のサラリーマンや旅行者、最近は外国人も多い、学生などで程々に混んでいる。


 その間、私はスマートフォンで今日のニュースや夕食に必要な情報を集める。


 時には、作るのが嫌になって途中下車して饂飩屋やパスタ、ラーメンなども食べるがお金がかかる。


 基本、自炊だ。


--確か、昨日の残り物は……


--カップ麺にするか?


 そんなことを思っていると電車が来た。



 電車の中は常に快適な温度に設定されている。


 夏に暑ければ涼しく、冬に寒ければ温かい。


 が、ドア側の席に座ると各駅に止まるたびにドアが開閉して、空気が変わり、最悪風邪を引く。


 ので、私にとって電車の中の玉座は真ん中ということになる。


 もちろん、他の客が座っている場合は、他の席に座るが……



 駅を降り、時々、途中のスーパーで夕食や明日の朝食に足りないものを買い、家に帰る。


 誰もいない一人暮らし。


 鞄を置き、髪留めを外して、洗面台で手洗いうがいをして化粧を落とす。


 タオルで拭いて、床で寝ている(という設定)の池田さんを抱きしめる。


 頬をトントンと叩く。


『た・だ・い・ま』


 池田さんの手が動く(動かしている私だけど)。


『お・か・え・り。お・つ・か・れ・さ・ま』



 この瞬間、私は会社員から素の自分に戻る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「ただいま」が言える場所 隅田 天美 @sumida-amami

作家にギフトを贈る

カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?

ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画